難しいお話は少し休憩という雰囲気になって、薫の君は僧都にお尋ねになる。
「小野のあたりに、僧都のご家族がお住まいだそうですね」
「ええ。山の麓の小さな家に、私の老母が尼になって暮らしております。都に立派な屋敷があるわけでもございませんので、それならいっそ、私がいつでも駆けつけられるところにいてほしいと存じまして」
「あのあたりは少し前まで住人も多かったようですが、だんだん人が減っているとか」
さりげない会話を続けて、薫の君は少し僧都に近づかれた。
小声でおっしゃる。
「つかぬことをお尋ねしますが、小野に私の知り合いが隠れ住んでいるという噂を聞いたのです。その人を僧都が出家させなさったというのは本当ですか。『まだ若い娘だったのに、どうしてくれるのだ』と向こうの親から責められましてね」
浮舟の君の母君は薫の君を責めてなどいないけれど、僧都が知らないふりをしないように、大げさに困ったお顔をなさった。
僧都は青ざめる。
<あの女性は薫の君の恋人だったのか。たしかにそこらの娘とはとても思えないような美しさだった。こうしてわざわざお探しになるということは、大切な恋人だったのだろう。出家を望む者を尼にしてやるのは僧侶として当然の行いとはいえ、軽はずみなことをしてしまった>
どうお返事したらよいか必死に考えたけれど、
<もう何もかも調べなさったのだろう。隠そうとしても無駄だ>
と、正直にお話しすることになさった。
「それはひょっとしますと、あの女性かもしれません。小野に住んでおります母と妹が、去年の春、長谷寺へお参りにいったときのことでございます。母が体調を崩したと連絡を受け、急いで駆けつけました後、なりゆきで宇治の院に泊まることになりました。ずいぶん荒れはてたところでしたが、到着するとすぐに弟子が不思議なものを見つけまして」
僧都は声を潜めて浮舟の君を見つけたときのことをお話しになった。
「建物に入れてご看病いたしますと、衰弱なさりながらも呼吸は続いておりました。これは生き返りなさるかもしれないと、力のある弟子たちにお祈りをさせたのでございます。私は老母のためのお祈りにかかりきりになっていて、姫君のご容態ははっきりとは見ておりませんでした。おそらく何かしらの妖怪がさらって来たようなご様子だったでしょうか。
お名前も住んでいた場所もおっしゃいませんから、とりあえず小野にお連れいたしました。妹は寝たきりの姫君を張り切ってお世話していたようです。一人娘を亡くしたあと沈みきっておりましたから、娘と同じ年ごろの美しい姫君と巡りあって、これは観音様のお導きだと信じこんでしまったのです。
しばらくしますと、山へ戻っていた私のところに、泣きながら書いたらしい手紙が届きました。『姫君のご体調がよくなりません。絶対に死なせたくないのでお祈りしてください』と必死に頼む内容でしたから、下山してお祈りをしたのです。憑りついていた妖怪を追い出すと、姫君は回復なさったのですよ。
しかしながら、それから二か月ほどしたころ、『やはり妖怪は今も体に憑りついているような気がする。きっとまた私を重い病気にするだろうから、出家して病気を避け、来世の幸せを祈りたい』と姫君は悲しそうにおっしゃいました。僧侶としましてはお断りはできません。むしろお勧めするべきことですから、私が尼にしてさしあげたのでございます。
薫の君の恋人でいらっしゃったとは夢にも思いませんでした。もっと早く、めずらしい世間話としてお耳に入れればよろしゅうございましたね。妹が『姫君の世間体のために噂にはしないでください』と申しましたので、どなたにもお話ししなかったのです」
薫の君は夢のような心地がして涙ぐまれる。
<死んだと思っていたのに、本当に生きていたのか>
とはいえご立派な僧都に弱々しいところはお見せになれない。
さりげなく振舞われるけれど、僧都はお見通しなの。
<これほど大切な恋人でいらっしゃったのに、尼という死んだも同然のお姿にしてしまった>
仏様もお怒りになるだろうと、僧都はぞっとする。
「妖怪が憑りついたのは運命とは申せ、高いご身分の家の姫君でいらしたのでしょうか。そのような姫君が、どうしてこのようなことにおなりになったのでしょう」
「あの姫は皇族と言えなくもない血筋なのです。もともと正式な妻にするつもりはなかったのですが、まさか妖怪に憑りつかれて行方不明になる運命の人とは思いませんでした。宇治の山荘に置いておいたところ、跡形もなく消えてしまいましたから、川に身を投げたのではないかと思っていたのです。
出家して穏やかに暮らしているなら、私としてはそれでよかろうと思うのですが、母親が気の毒なのですよ。今も恋しがって悲しんでいるようですから、見つけたと知らせてやりたいのです。妹君が本人のためを思ってお隠しになっているのに、ご迷惑でしょうか。母親に知らせれば、娘はこの世と縁を切ったと分かっていても、訪ねずにはいられないでしょうから」
母親にも知らせてやりたいけれど、やはりご自分が浮舟の君にお会いになりたい。
「僧侶のあなたにお願いしては失礼ですが、私を小野のお屋敷に連れていってくださいませんか。ここまでいきさつを聞いてしまったのに、『あぁ、そうですか』では済ませられません。悪夢のようなこの一年あまりの出来事を、姫と語り合いたいのです」
僧都はお困りになる。
尼になった女のところに、未練たらたらの元恋人を連れていってよいはずがないもの。
<出家した男でも昔の恋人のことは忘れられない。まして女はもっと気が弱いだろう。あの姫君がお悩みになれば、姫君だけでなく悩みの原因を作った私のことも仏様はお叱りになる>
とりあえず先延ばしにするしかない。
「下山は今日明日は都合が悪うございます。来月になりましたらご案内いたしましょう」
薫の君はご不満だけれど、あまりしつこく頼むのもみっともない。
「では、そういうことで」
と帰るそぶりをお見せになる。
それからお供のなかの少年をお呼びになった。
浮舟の君の異父弟で、「小君」と呼ばれているかわいらしい子よ。
「姫の身内なのです。ちょうど今日連れてまいりましたから、お手紙だけでも今すぐお書きくださいませんか。短いものでかまいません。私の名前は出さず、姫を探している人がいるとだけ。この小君にお渡しいただけたら、帰る途中で姫のところに届けさせましょう」
「そんなことをすれば私は仏様から罰を受けてしまいます。事情はすべてお話しいたしましたから、もうあなた様だけでお訪ねになって、どうとでもお好きなようになさいましたら」
僧都としては、自分が手引きしたというふうにはなさりたくない。
薫の君はお笑いになる。
「姫に未練があるとお思いになっては困ります。私はほとんど出家しているようなものなのですよ。幼いころから出家したいと願いながら、一人息子の私を頼りになさる母宮に遠慮してできずにいただけです。たしかに出世や結婚もいたしましたが、それは私から望んだことではありません。そういう仕方がなかったこと以外では、仏様の教えに従い、心のなかは僧侶のつもりでいるのです。
尼になった人に手を出そうなんて思っておりません。そんなつまらないことで仏様のお怒りを買っては馬鹿馬鹿しい。私をお信じください。姫に会って、母親がつらそうにしている様子などを伝えてやりたいだけなのです」
と熱心にお話しになった。
僧都は諦めたようにうなずかれる。
日が暮れてきたので、本当は小野の家にお泊まりになりたい。
<しかし、確実なことが分かるまでは焦ってはいけない>
と薫の君がお気持ちを静めていらっしゃるとき、僧都はしげしげと小君をご覧になって、かわいらしい子だとおほめになった。
「ええ、本当に。いかがですか、この子が今日来たのも何かの縁とお思いになって、小君のためにもお手紙をお書きいただけませんか」
もう一度お願いなさると、僧都は手早くお手紙を書いて小君にお渡しになった。
「これからもときどき山においでなさい。一緒に遊びましょう。私は姫君の仏教の師ですからね、そなたがあの姫君のお身内なら、私のことを他人と思ってはいけませんよ」
小君はぽかんとしながらお手紙を受け取った。
お行列が山を下りると、薫の君は小君をお呼びになる。
「誰にも気づかれないように行列から外れて、お手紙をあの家にお届けせよ」
とお命じになった。
「小野のあたりに、僧都のご家族がお住まいだそうですね」
「ええ。山の麓の小さな家に、私の老母が尼になって暮らしております。都に立派な屋敷があるわけでもございませんので、それならいっそ、私がいつでも駆けつけられるところにいてほしいと存じまして」
「あのあたりは少し前まで住人も多かったようですが、だんだん人が減っているとか」
さりげない会話を続けて、薫の君は少し僧都に近づかれた。
小声でおっしゃる。
「つかぬことをお尋ねしますが、小野に私の知り合いが隠れ住んでいるという噂を聞いたのです。その人を僧都が出家させなさったというのは本当ですか。『まだ若い娘だったのに、どうしてくれるのだ』と向こうの親から責められましてね」
浮舟の君の母君は薫の君を責めてなどいないけれど、僧都が知らないふりをしないように、大げさに困ったお顔をなさった。
僧都は青ざめる。
<あの女性は薫の君の恋人だったのか。たしかにそこらの娘とはとても思えないような美しさだった。こうしてわざわざお探しになるということは、大切な恋人だったのだろう。出家を望む者を尼にしてやるのは僧侶として当然の行いとはいえ、軽はずみなことをしてしまった>
どうお返事したらよいか必死に考えたけれど、
<もう何もかも調べなさったのだろう。隠そうとしても無駄だ>
と、正直にお話しすることになさった。
「それはひょっとしますと、あの女性かもしれません。小野に住んでおります母と妹が、去年の春、長谷寺へお参りにいったときのことでございます。母が体調を崩したと連絡を受け、急いで駆けつけました後、なりゆきで宇治の院に泊まることになりました。ずいぶん荒れはてたところでしたが、到着するとすぐに弟子が不思議なものを見つけまして」
僧都は声を潜めて浮舟の君を見つけたときのことをお話しになった。
「建物に入れてご看病いたしますと、衰弱なさりながらも呼吸は続いておりました。これは生き返りなさるかもしれないと、力のある弟子たちにお祈りをさせたのでございます。私は老母のためのお祈りにかかりきりになっていて、姫君のご容態ははっきりとは見ておりませんでした。おそらく何かしらの妖怪がさらって来たようなご様子だったでしょうか。
お名前も住んでいた場所もおっしゃいませんから、とりあえず小野にお連れいたしました。妹は寝たきりの姫君を張り切ってお世話していたようです。一人娘を亡くしたあと沈みきっておりましたから、娘と同じ年ごろの美しい姫君と巡りあって、これは観音様のお導きだと信じこんでしまったのです。
しばらくしますと、山へ戻っていた私のところに、泣きながら書いたらしい手紙が届きました。『姫君のご体調がよくなりません。絶対に死なせたくないのでお祈りしてください』と必死に頼む内容でしたから、下山してお祈りをしたのです。憑りついていた妖怪を追い出すと、姫君は回復なさったのですよ。
しかしながら、それから二か月ほどしたころ、『やはり妖怪は今も体に憑りついているような気がする。きっとまた私を重い病気にするだろうから、出家して病気を避け、来世の幸せを祈りたい』と姫君は悲しそうにおっしゃいました。僧侶としましてはお断りはできません。むしろお勧めするべきことですから、私が尼にしてさしあげたのでございます。
薫の君の恋人でいらっしゃったとは夢にも思いませんでした。もっと早く、めずらしい世間話としてお耳に入れればよろしゅうございましたね。妹が『姫君の世間体のために噂にはしないでください』と申しましたので、どなたにもお話ししなかったのです」
薫の君は夢のような心地がして涙ぐまれる。
<死んだと思っていたのに、本当に生きていたのか>
とはいえご立派な僧都に弱々しいところはお見せになれない。
さりげなく振舞われるけれど、僧都はお見通しなの。
<これほど大切な恋人でいらっしゃったのに、尼という死んだも同然のお姿にしてしまった>
仏様もお怒りになるだろうと、僧都はぞっとする。
「妖怪が憑りついたのは運命とは申せ、高いご身分の家の姫君でいらしたのでしょうか。そのような姫君が、どうしてこのようなことにおなりになったのでしょう」
「あの姫は皇族と言えなくもない血筋なのです。もともと正式な妻にするつもりはなかったのですが、まさか妖怪に憑りつかれて行方不明になる運命の人とは思いませんでした。宇治の山荘に置いておいたところ、跡形もなく消えてしまいましたから、川に身を投げたのではないかと思っていたのです。
出家して穏やかに暮らしているなら、私としてはそれでよかろうと思うのですが、母親が気の毒なのですよ。今も恋しがって悲しんでいるようですから、見つけたと知らせてやりたいのです。妹君が本人のためを思ってお隠しになっているのに、ご迷惑でしょうか。母親に知らせれば、娘はこの世と縁を切ったと分かっていても、訪ねずにはいられないでしょうから」
母親にも知らせてやりたいけれど、やはりご自分が浮舟の君にお会いになりたい。
「僧侶のあなたにお願いしては失礼ですが、私を小野のお屋敷に連れていってくださいませんか。ここまでいきさつを聞いてしまったのに、『あぁ、そうですか』では済ませられません。悪夢のようなこの一年あまりの出来事を、姫と語り合いたいのです」
僧都はお困りになる。
尼になった女のところに、未練たらたらの元恋人を連れていってよいはずがないもの。
<出家した男でも昔の恋人のことは忘れられない。まして女はもっと気が弱いだろう。あの姫君がお悩みになれば、姫君だけでなく悩みの原因を作った私のことも仏様はお叱りになる>
とりあえず先延ばしにするしかない。
「下山は今日明日は都合が悪うございます。来月になりましたらご案内いたしましょう」
薫の君はご不満だけれど、あまりしつこく頼むのもみっともない。
「では、そういうことで」
と帰るそぶりをお見せになる。
それからお供のなかの少年をお呼びになった。
浮舟の君の異父弟で、「小君」と呼ばれているかわいらしい子よ。
「姫の身内なのです。ちょうど今日連れてまいりましたから、お手紙だけでも今すぐお書きくださいませんか。短いものでかまいません。私の名前は出さず、姫を探している人がいるとだけ。この小君にお渡しいただけたら、帰る途中で姫のところに届けさせましょう」
「そんなことをすれば私は仏様から罰を受けてしまいます。事情はすべてお話しいたしましたから、もうあなた様だけでお訪ねになって、どうとでもお好きなようになさいましたら」
僧都としては、自分が手引きしたというふうにはなさりたくない。
薫の君はお笑いになる。
「姫に未練があるとお思いになっては困ります。私はほとんど出家しているようなものなのですよ。幼いころから出家したいと願いながら、一人息子の私を頼りになさる母宮に遠慮してできずにいただけです。たしかに出世や結婚もいたしましたが、それは私から望んだことではありません。そういう仕方がなかったこと以外では、仏様の教えに従い、心のなかは僧侶のつもりでいるのです。
尼になった人に手を出そうなんて思っておりません。そんなつまらないことで仏様のお怒りを買っては馬鹿馬鹿しい。私をお信じください。姫に会って、母親がつらそうにしている様子などを伝えてやりたいだけなのです」
と熱心にお話しになった。
僧都は諦めたようにうなずかれる。
日が暮れてきたので、本当は小野の家にお泊まりになりたい。
<しかし、確実なことが分かるまでは焦ってはいけない>
と薫の君がお気持ちを静めていらっしゃるとき、僧都はしげしげと小君をご覧になって、かわいらしい子だとおほめになった。
「ええ、本当に。いかがですか、この子が今日来たのも何かの縁とお思いになって、小君のためにもお手紙をお書きいただけませんか」
もう一度お願いなさると、僧都は手早くお手紙を書いて小君にお渡しになった。
「これからもときどき山においでなさい。一緒に遊びましょう。私は姫君の仏教の師ですからね、そなたがあの姫君のお身内なら、私のことを他人と思ってはいけませんよ」
小君はぽかんとしながらお手紙を受け取った。
お行列が山を下りると、薫の君は小君をお呼びになる。
「誰にも気づかれないように行列から外れて、お手紙をあの家にお届けせよ」
とお命じになった。



