役目を終えたはずの巫女でした 婚約編 短編集

土曜日の夕食は、全員がそろっていた。

アルトとエリス、リナに加え、クロトと桜。

普段より少しだけ賑やかな食卓に、穏やかな時間が流れている。

話題に上がっているのは、2人で進めている結婚式の準備のことだった。

「……来賓の人数、また増えましたね」

桜が小さく息をつくと、

「王宮側からも、参列の申し出が来ています」

と、クロトが簡潔に答える。

準備を進めるほどに、式の規模は少しずつ大きくなっていた。

「……ひっそり行えたらと、話してたんですけどね」

桜はクロトの方を見て苦笑する。

その言葉に、クロトもわずかに眉を寄せた。

「正直、目立つのは私もサクラも得意ではありませんしね」

ぽつりとこぼれた本音に、アルトが肩をすくめる。

「サクラは元巫女で、お前は副師団長だ。そもそも、その規模でも小さいくらいだろう」

あっさりと言い切られ、桜は少しだけ言葉に詰まった。

「……分かってはいるんですけど」

「避けられないことは分かってるよ」

クロトも、少しだけ不満をにじませながら返す。

2人とも理解はしている。
それでも、どうしてもため息が混じってしまう。

その様子を見て、エリスがやわらかく微笑んだ。

「本当に大変ね。でも、仕方のないことだわ」

「そうですね……」

桜は苦笑しながらうなずき、少しだけ空気がゆるむ。

その流れのまま、ふと桜が言いづらそうに口を開いた。

「ドレスも、その……私専用で仕立ててもらっていて、やっぱり1回しか着ないのに、もったいないなって思ってしまって。……もちろん、すごく嬉しいんですけど」

その言葉に、クロトの手がわずかに止まる。

「サクラ」

低い声で呼ばれ、視線が合った。

「前にも言いましたが、それだけは譲れません」

迷いのない口調だった。

「一度きりのことですから」

それ以上は言わない。
けれど、その一言で十分だった。

桜は少し顔を赤くしながら、小さくうなずく。

「……その、分かってます。あの……ありがとうございます」

そのとき――

「サクラちゃんのドレス、かわいかった!」

リナがぱっと声を上げた。

「え?」

思わず振り向く。

「この前、おうちに来た人が見せてくれたやつ! 絵で描いてあったドレス!」

「あ……あのときの」

思い当たって、少しだけ顔が熱くなる。

「うん! きらきらしてて、すごくきれいだった!」

無邪気な言葉に、思わず頬がゆるんだ。

「……ありがとう」

そのやり取りに、食卓の空気がふっと和らぐ。

会話はそのまま続き、穏やかな時間のまま夕食は終わりを迎えた。

部屋に戻り、湯を使ったあと。

髪を乾かしながら、桜は小さく息をつく。

今日の会話が、頭から離れない。

結婚式まで、あと2か月。
準備は順調に進んでいる。

何も問題はないはずなのに、胸の奥がどうにも落ち着かなかった。

嬉しいはずなのに、どこかそわそわする。

「……少し、散歩に行こうかな」

誰に言うでもなく呟いて、部屋を出る。

夜の空気に触れたくて、庭園へと続く道を歩いた。

扉を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でる。

昼間とは違う、落ち着いた庭。
人の気配はなく、灯りだけが控えめに周囲を照らしていた。

石畳の上に、足音が小さく響く。

何を考えるでもなく、ただ歩く。

そうしているうちに少しずつ呼吸は整っていったが、それでも胸の奥のざわつきは消えてくれない。

(……どうしたんだろう、私)

夜空を見上げて、深く息を吸い込む。

「どうしましたか」

不意に背後から声がして、桜ははっと振り向いた。

そこにいたのは、クロトだった。

「クロトさん……」

姿を見た瞬間、不思議なくらい胸のざわつきがやわらいでいく。

クロトは桜の表情を見て、穏やかな声で続ける。

「眠れませんか」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」

うまく言葉がまとまらないまま、桜は少し視線を落とす。

それでも、何も聞かずに隣に立ってくれる気配があって、ぽつりと本音がこぼれる。

「なんていうか、その……結婚が、近づいてきてるなぁって、今日、思って」

少しだけ言葉を切る。

「すごく嬉しいし、楽しみなんですけど……その、少し落ち着かなくて」

言いながら、自分でもうまく説明できていない気がした。

けれど、クロトは困ったような顔もせず、ただ受け止める。

「そうですか」

その一言だけで、少しだけ肩の力が抜けた。

桜はためらいながら、そっと尋ねる。

「クロトさんは、その……そういうの、ないですか?」

クロトは少しだけ苦笑した。

「もともとは、私がサクラに傍にいてほしくて、早めの結婚を望んだことですから」

どこか申し訳なさそうな響きが混じる。

そして、少し間を置いてから続けた。

「……もし不安なら、少し遅らせますか。今なら、まだ――」

言い切る前に、桜は思わずクロトの手首をつかんでいた。

「ち、違うんです」

自分でも驚くくらい、慌てた声が出る。

「そういうんじゃなくて……その……今のままで、大丈夫です」

言葉の終わりは小さくなったけれど、それだけははっきり伝えたかった。

クロトは少し目を見開き、それからふっと笑みを浮かべる。

「……わかりました」

その声がやさしくて、余計に恥ずかしくなる。

そこでようやく、桜は自分がクロトの手首をつかんだままだったことに気づいた。

思っていたより、距離が近い。

クロトもそれに気づいたように、ふと視線を落とす。

その仕草で、さらに距離を意識してしまう。

思わず、息を止めた。

けれど――

離そうとは、思わなかった。

クロトが、ゆっくりと距離を詰める。

近づいてくるのが分かって、鼓動が跳ね上がる。

それに引き寄せられるように、思考が途切れて――

そのまま、そっと唇が触れた。

ほんの一瞬。

それだけのはずなのに。

離れたあと、遅れて一気に顔が熱くなる。

「……っ」

思わず、両手で口元を押さえる。

何が起きたのか分かっているのに、身体がまったくついてこなかった。

視線も合わせられず、桜はその場で真っ赤になって固まってしまう。

「……大丈夫ですか」

クロトの声に、桜ははっとして顔を上げた。

けれど、うまく言葉が出てこない。

小さく首を振る。

それでも、少し迷ってから、かすれた声で答えた。

「あの、でも……頑張ります」

言ってから、自分でも何を言っているのか分からなくなる。

けれど、それ以上の言葉は出てこなかった。

クロトは一瞬だけ目を瞬かせ、それからふっと小さく笑みを浮かべる。

「……そうですか」

否定も、訂正もせず、そのまま受け止める。

そして、当たり前のように腕を差し出した。

「部屋に戻りますか」

桜はその何気ない仕草に、ほっとして手を伸ばす。

そっとその腕に触れた瞬間、胸の奥に残っていたざわつきが、すっとほどけていくのを感じた。

そのまま2人で並んで歩き出す。

夜の庭を抜け、屋敷の灯りへと戻っていく。

その足取りは、もう先ほどまでのようには揺れていなかった。