野いちご源氏物語 五二 蜻蛉(かげろう)

(かおる)(きみ)は、(おんな)(いち)(みや)様を垣間(かいま)()した(わた)廊下(ろうか)へ行かれた。
ここは本来は女房(にょうぼう)たちの控室(ひかえしつ)だから、女一の宮様がおいでにならないことは分かっていらっしゃる。
それでもつい来てしまわれるのよね。
女一の宮様は夜は中宮(ちゅうぐう)様のおそばでお休みになるので、女房たちは気楽に月見をしていた。

(そう)の優しい音色が聞こえる。
「誘われたような気がするのですが」
薫の君が突然声をおかけになったので、女房たちはびっくりした。
中国の物語に、美女が誘うような音色で(こと)を弾くというお話があるみたい。
物知りな女房が、それに気づいてお返事した。
「残念ながら私は美女ではございませんよ。あの物語の主人公には美男で有名な兄がいたはずですが、そんな兄もおりません」

「私は叔父(おじ)にあたるのですよ。女一の宮様の」
冗談めかしてお名乗りになる。
「女一の宮様は今夜も中宮様のお部屋ですか。ところで宮様は、六条(ろくじょう)(いん)ではどのようにお暮らしなのでしょう」
さりげなく尋ねてごらんになると、先ほどの女房がお答えする。
内裏(だいり)にいらっしゃいましても、こちらにいらっしゃいましても、とくに何をなさるということはございません。ただのんびりと一日をお過ごしです」

薫の君は苦笑なさる。
<いかにも高貴(こうき)内親王(ないしんのう)様らしいお暮らしだ。私は恋心に苦しんでいるというのに>
思わずため息が出そうになったとき、(すだれ)の向こうから和琴(わごん)が差し出された。
ため息を(まぎ)らわせるように少しお弾きになる。

せっかく秋らしい調子(ちょうし)で弾いていらっしゃったのに、すぐにやめてしまわれたから、音楽好きの女房はがっかりする。
薫の君はお手を止めて、
(おんな)()(みや)様を頂戴(ちょうだい)しただけでも恐れ多いことだけれど、女一の宮様も妻にできたらよいのに>
などと夢のようなことをお考えになっている。