梅雨と雨恋 図書室の鳴らないオルゴール

第14話 届いた小包、届かなかった言葉

 十二月の校舎は、午後四時を過ぎると急に夜みたいになる。廊下の窓ガラスに外の冷えが貼りつき、手すりに触れると指先がきゅっと縮んだ。

 理科室の前で、想が立ち止まった。白衣は着ていない。制服のまま、鞄の口だけを少し開けて、中を確かめる。そこに入っている薄い小包は、角がきっちりしていて、紙の上からでも硬さが伝わる。

「来た?」
 望愛が声を落として聞くと、想は頷いた。言葉の代わりに、鞄から小包を出して、両手で支える。紙に印字された店の名前。時計店の角印。望愛はその四角を見ただけで、喉の奥が乾いた。

 寿樹が理科室のドアを押し開け、勢いで入ってきた。いつもより厚手のセーターで、肩が少しもこっとしている。
「よし! 今日は鳴る! 鳴らす! 鳴ったら俺、結衣に電話する!」
「電話って、番号知ってんの?」
 明乃が机に腰を当てながら言うと、寿樹は胸を張った。
「知ってる! ……たぶん」
「また“たぶん”かよ」
 望愛がつっこむと、寿樹は指を立てて真剣な顔をした。
「いや、でもさ。鳴ったら、覚えてなくても思い出す気がするだろ?」
 言ってから自分で変なことを言ったと気づいたらしく、寿樹は咳払いをして誤魔化した。

 想は笑わない。けれど、小包を机の上に置く指が、ほんの少しだけ慎重になる。望愛はそれを見て、胸の中で数を数えた。息を吐く、吸う。吐く。吸う。吐く。自分の呼吸で、木箱が揺れないように。

 理科室のストーブが小さく唸り、アルコールランプの匂いが薄く残っていた。想は工具箱を開ける。ピンセット、精密ドライバー、ルーペ。必要なものだけが並ぶと、教室の空気が少し整う。

「じゃ、拍手で迎える?」
 寿樹が両手を上げた瞬間だった。
「おまっ……!」
 明乃が止めるより早く、寿樹の手のひらがぱちんと合わさって――

 バチッ。

 乾いた音が理科室に響き、寿樹が肩をすくめて飛び跳ねた。
「いったぁぁぁ! 静電気! なんで今!」
 望愛も反射で肩を上げ、木箱を抱えた腕に力が入る。想まで一瞬だけ目を見開いたのが見えて、望愛はそのことに驚いた。

 明乃は淡々と、理科室の流し台の方へ行き、霧吹きを持って戻ってきた。
「手。これ。湿らせる」
「俺、植物か?」
「乾燥してると、バチる。さっきの音、鳴らない箱より存在感あった」
 寿樹はムッとしながらも、霧吹きを手のひらに受けた。水滴が光って、少しだけ人間らしい手になった。

 望愛は笑いそうになって、口の端を噛んだ。笑うと、いろんなものがこぼれそうだった。結衣のいなくなった教室。色紙の名前の訂正。街灯の下で抱えた木箱。あの時に出した言葉。

 想は小包の封を、はさみでまっすぐ切った。紙が裂ける音が、やけに大きい。中から出てきた小さな板バネは、銀色で、思っていたよりも頼りなく見えた。こんな細いものに、あの旋律が預けられている。

「これ?」
 寿樹が顔を近づける。
「息、かけるな」
 想が即座に言う。声は低いけれど、怒ってはいない。ただ必要な注意だけを置く。寿樹はすぐに口を手で押さえ、目だけで「すまん」と言った。

 望愛は呼吸を止めたまま、想の指先だけを追った。ピンセットが板バネをつまむ。手は震えていない。けれど、手首の内側の筋が少し張っている。緊張がそこに集まっているのが分かる。

 木箱は望愛の膝の上にある。金具の冷たさが、制服越しでも伝わってくる。望愛は自分の親指の爪が、木の縁に食い込んでいるのに気づいて、そっと力を抜いた。失うのが怖い。直らないままが怖い。鳴ってしまって、終わってしまうのも怖い。怖いものが多すぎて、笑いながらも指先が固まる。

 想が蓋を開けた。中の機構が冬の光を受けて鈍く光る。以前は欠けていた場所に、板バネが入る。小さなネジが回り、止まる。想の指が止まったところで、理科室の時計の秒針の音だけが聞こえた。

「……いける」
 想が短く言った。

 寿樹がまた拍手しそうになり、明乃に霧吹きを向けられて手を引っ込めた。
「分かった、分かったよ! もうバチらせない!」
「バチらせるのは自分だけにして」
「それ、嬉しくない!」

 望愛は、笑ってしまった。笑い声は小さく、すぐに喉の奥で消える。でも、消えた場所に、熱が残った。想が顔を上げ、望愛を見る。目が合う。望愛はうなずいた。言葉にしなくても「回して」と言っているのが伝わる。

 想はゼンマイに指をかけた。回す前に、ほんの一瞬だけ止まる。怖いと言ったあの夜の声が、望愛の耳の奥でよみがえる。望愛は息を吸って、吐いた。想が、回した。

 ――コトン。

 箱の中で何かが動いた音。続けて、薄い金属が擦れる気配。そして。

 ――ひとつだけ。

 かすれた一音が、理科室の空気を切った。鈴みたいに澄んではいない。喉をならすみたいに、少し掠れている。それでも、確かに“音”だった。

 寿樹が息を吸い込み、叫びそうになって、自分の口を両手で押さえた。明乃は目を丸くしてから、すぐにいつもの顔に戻した。想は音の余韻が消えるまで、指を動かさない。

 望愛は、笑おうとして、笑えなかった。喉の奥が熱くなる。胸の中で、何かが小さく崩れる音がした。鳴った。たった一音。でも鳴った。鳴ったのに、続かなかった。

 望愛が木箱に手を伸ばす。触れた瞬間、金具の冷たさが、冬よりもやさしく感じた。

【続】