亡者逃走中 in 現世

「何でここにいるんですか?」
ライブ終わりの余韻に浸っていた都市くんは、一瞬だけ視線を左右に激しく泳がせてから、蚊の鳴くような声でそう言った。
あからさまに逃げ道を探すみたいに周囲をキョロキョロと見回しているけれど、すでに前後左右を私達に完全に包囲されていることに気づいたらしい。
「閻魔から『都市王がいなくなった〜』って招集かけられて今これ」
変成くんがいつも通り、にこやかで綺麗な笑顔を浮かべて言う。だけど、その目が一切笑っていないのが一番怖いかもしれない。
「で、何していた。定時連絡と会議に出なかった理由を詳しく聞かせてもらおうか」
しょーくんも胸の前でガシッと腕を組み、冷徹な目でじっと都市くんを見据えている。
私とごーちゃん、宋の三人は、とばっちりを喰らって巻き込まれないように、静かに気配を消した。
「ここじゃ人多いから、一旦僕の家に来て下さいよ。そこで話します」
観念した都市くんの案内で、私たちは彼のマンションの一室へと移動した。
という訳で、都市王の家に上がらせてもらったのは良いのだけれど――。
玄関のドアを開けた瞬間、私を含めた全員がその場でカチコチに固まった。
壁一面。
本当に、一面だった。
「凄っ……」
​思わず私の口から唖然とした声が漏れる。
部屋の壁には所狭しと美少女キャラクターのポスターやブロマイド、雑誌の切り抜きが貼られ、部屋の隅には実物大の等身大パネルまで鎮座(ちんざ)している。
本棚には分厚いアルバムがぎっしりと並び、勉強机の上には缶バッジとアクリルスタンドが寸分の狂いもなく綺麗に整列。さらにテレビ台や棚の上には、二次元の推しであろうアイドルの高価そうなフィギュアがずらりと並べられていた。
「なーなー、何で都市くんの部屋にはお人形が沢山置いてあるの?」
​宋が好奇心を抑えきれなかったらしく、棚の最前列にあったフィギュアを持ち上げた――その瞬間だった。
都市くんが俊足スキルを発動し、目にも止まらぬスピードで宋の手からフィギュアを奪い取った。
「触んなぁぁぁ!」
「え、え!?」
「おいコラ宋帝王!何勝手に僕の尊い推しに触ってんだぁぁ!」
​都市くんは宋の胸ぐらをグッと力任せに掴み上げ、さっきまでの気弱な態度が嘘のような、ガチのキレ顔で詰め寄った。
「え、あ……ごめん」
「誰がごめんだよ、『すみません』だろうが!」
「す、すみません……」
「誰が僕に謝れと言った!?」
​宋は完全に都市くんの狂気的な迫力に負け、床のフローリングに対して見事なまでの土下座を極めた。
「すみませんでした……!」
「あーあ、可哀想に。オタクの逆鱗に触れちゃって」
「オタク?」
​不思議そうに首を傾げる宋に、変成くんがさも当然のように解説を始める。
「ある特定の分野に対して熱中し、深い知識を持つ人のことだよ。都市王の場合はアイドルやアニメオタクだね」
「なるほど」
「……で?」
低く冷たく落とされたその一言に、部屋の空気が一気にピシッと締まる。
声の主はしょーくんだった。腕を組んだまま、じっと都市くんを真っ直ぐに見据えている。
「そろそろ本題に入るぞ、都市王」
​都市くんはハッと我に返り、両手で大事そうに抱えていたフィギュアを、そっと服の袖で拭いてから棚の元の位置へと戻した。
コホンと咳払いをして座り直す。
「定時連絡がなかったのは何でだ」
「単純に、スマホの電源が切れてました」
「え?」
宋が素で声を漏らす。
「ライブ前に充電がヤバくて。写真も動画も撮るし、途中で切れたら嫌じゃないですか。それにライブ中は電子機器の使用は禁止ですし……だから一回切って、終わったら充電しようと思ってたんです。あと同人ショップ巡りしてました」
「そのまま忘れたと」
しょーくんが抑揚(よくよう)のない声で淡々と補足する。
「……はい」
「で、会議に来なかった理由は?」
しょーくんの追求に、一瞬だけ都市くんの視線が気まずそうに泳いだけれど、すぐに全てを諦めたように開き直って口を開く。
「推しの……握手会がありました」
沈黙。
「ライブの後の購入者特典会で、当選確率数パーセントの握手会のチケットが奇跡的に当たったんです!楽しかったですよ、推しのいる生活って良い……!」
心の底からの幸福そのものの笑みを浮かべながら、都市くんがベッドの上から推しのイラストがプリントされた抱き枕を愛おしそうに抱きしめる。
「楽しそうで良かったね……うん」
「会議開いた意味なかったね」
「何事もなくて良かったけどねー」
私とごーちゃん、変成くんの緩い感想に、しょーくんが「お前らな……」と深く頭を抱えた。
「あ、そうだ!都市くんってこの日空いてる?」
私は思い出したように、カバンから例の『温泉半額チケット』を取り出してローテーブルの上に置いた。
都市くんはそのチケットを人差し指と中指で挟んで持ち上げ、蛍光灯の光にかざしたりしながら、まじまじと裏表を観察する。
「このチケットって……浄土湯じゃないですか」
「良かったら行こ!」
「あ、無理です」
光の速さで即答された。
「そこを何とか!都市くんが行かなかったら閻魔が穴埋めで行くことになるんだよ〜」
宋が半泣きで都市くんの肩をガタガタと揺さぶる。
「良いじゃないですか温泉。閻魔の隠し口座のお金でお土産とか満喫したら良いじゃないですか!」
「都市くん、お願い!」
「無理」
「何で!?」
「その日は!推しの!初の個別限定サイン会があります!!」
全員の声が、綺麗に重なった。
「当選確率めちゃくちゃ低いやつで。しかも名前入りですよ?世界に一つだけの、僕のためだけのサインですからね!? 行かない選択肢なんてこの世に存在しないでしょ!?」
早口で言い切ってコップの水を飲み切る。
「とにかく!僕はそういう大切な用事があるんで、温泉には行けません!」
「「「「えぇー」」」」
一斉に不満の声が上がる。
「本人が断固拒否しているんだ。無理に誘う必要もないだろう」
​ハァ、と本日何度目か分からない重いため息をつきながら、しょーくんがスマホを取り出し、温泉の公式ホームページに載っているお土産コーナーの画面を都市くんに見せた。
「土産は何が良い」
「じゃあ、この『温泉限定・開運魔除け饅頭(まんじゅう)』をお願いしますね。十二個入りのやつで」
​都市くんは画面を慣れた手つきで素早くスクロールしながら、的確に一番高い饅頭の画像を指差した。
「分かった」
「冥府にもアイドルがいれば良かったんですけどね」
「いないもんね〜……もしかして、都市くんの自室に飾ってある写真とかって……盗撮!?」
宋が素朴な疑問を投げかけると、都市くんは本気で心外だと言わんばかりの不服そうな顔をした。
「なわけないじゃないですか。あれは二次元です!」
「違いが分からない」
「どこが分からないんですか」
​都市くんが本気で不服そうな顔をして熱弁を振るう。
「二次元は公式と制作陣、そして原作者様の尊い愛と許可のもとにこの世に存在してるんですよ!それに対して三次元の盗撮なんて、対象への不敬にも程がありますし、何より現世の法律で普通に捕まります」
「不敬……」
「神格化してる……」
宋と変成くんが、ヒソヒソ声でドン引きの感想を漏らす。
「でも、同人誌は結構愛読してるんだね。冥府の自室に隠すように大量にあったよ。……あれ、それってまさか」
「……ぐっ」
変成くんの笑顔での容赦ないピンポイント爆撃に、都市くんが盛大にむせた。
「好きな子が画面から出てこない切ない恋しているんですよ!」
「アイドルの子は?」
「あの子は推しです!」
「ちょっとオレ、違いが分かんない」
宋の言葉に、変成くんと一緒に「うんうん」と深く頷く。
「はぁ、やれやれ……これだから素人は。推しは推しです。冥府の僕の部屋に飾ってあるアニメキャラたちは、僕の女達です」
「僕の女達……?」
「それに、二次元なら多少何しても許され―――」
ガンッ。
「もう良いよ」
変成くんは変態になり始める都市くんの頭をわし掴み、机に叩きつけた。
い、痛そう……。
「……都市くん、大丈夫?」
​ローテーブルに突っ伏したままピクリとも動かなくなった青髪の同僚に、私は恐る恐る声をかけた。机の上で寸分の狂いもなく整列していたアクリルスタンドが、衝撃でわずかにガタガタと震えている。
​「……死んではないみたいだな」
​しょーくんが腕を組んだまま冷ややかに一瞥する。その足元で、オムライスが「くぅん」と、どこか同情するような声を漏らして都市くんの足元をくんくんと嗅いでいた。
「――っ、つ、つううう……!」
​数秒の沈黙の後、都市くんが涙目で額を押さえながらのっそりと起き上がってきた。
​「な、何するんですか変成王!脳細胞が死滅して推しの名前を忘れたらどうしてくれるんですか!訴えますよ!閻魔庁の最高裁判所に訴えますからね!?」
「裁判長が裁判長を裁いてどうすんの」
「こうなったら、僕の裁判所にある光明箱(こうみょうばこ)の炎で焼かれれば良いんです!」