冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第4話 小さな石碑、削られた面 
 
 十二月上旬の放課後。理科室の窓の外はもう薄暗く、ガラスに映る自分の影が二重に見えた。水道の蛇口をひねると、冷たい水の音が教室の静けさを割る。
 優李亜が持ってきたバケツと雑巾は、角がきれいに揃っていた。誰に言われたわけでもないのに、石を洗うための道具だけが、最初から全部そろっている。

 「え、優李亜、いつの間に……」
 悟真が目を丸くすると、優李亜は「図書室の帰りに」とだけ言って、雑巾を二枚、瑞生の前に置いた。
 瑞生は短くうなずき、手袋の上から雑巾を握る。芽郁は腕を組んで、わざとらしくため息をついた。
 「放課後に石洗いって、どうしてこう……」
 啓恭がすぐに乗る。
 「ロマンだろ。理科室で石を洗う。青春の匂いがする」
 芽郁が目だけで刺す。
 「匂いは、塩素」

 石碑は、教室の机の上に置くと、思ったより小さかった。持ち上げたときの重さはあるのに、誰かが手のひらで包める大きさ。側面には、土がこびりついて、文字みたいな線が埋もれている。
 瑞生が蛇口の下に石碑を滑り込ませ、指でそっと土をなでた。水が土をほどいて、茶色い筋が流れていく。
 悟真が周りを見回して、理科室のドアの鍵を確かめた。
 「先生、来ないよな」
 啓恭が笑って言う。
 「来たら俺が、理科の力で説明する」
 芽郁が即座に返す。
 「理科の力って、何」
 「重力。俺たち、石に引かれてます」
 「それ、ただの言い訳」

 洗い終わると、石碑の表面が少しだけ光った。刻字の溝が、黒っぽく影を作る。瑞生が石碑を机に置き、蛍光灯を消した。窓からの夕方の光だけになると、刻字が浮いて見える。
 「角度」
 瑞生が言うと、悟真がスマホのライトを出した。
 「これで――」
 瑞生は首を横に振る。
 「窓」
 悟真は慌ててライトを消し、代わりに窓際へ移動した。優李亜がカーテンを少しだけ引き、光が斜めに落ちるように調整する。芽郁は石碑の反対側に立って、影を濃くした。

 啓恭が口をすぼめて、また変な擬音を言いかける。
 「ピカ――」
 芽郁が小声で遮る。
 「十分だけ、静かに」
 啓恭は指で口にチャックを作って、肩で笑った。

 刻字は、やっぱり全部は読めなかった。見えるのは断片。
 「月」
 「火」
 それから、離れた場所に、途切れ途切れで「…げます」。
 悟真が身を乗り出して、目を細める。
 「『月、火、上げます』……?」
 啓恭が待ちきれない顔で、両手を広げた。
 「ほら! 危ない! 放課後に火を上げますって宣言してる!」
 芽郁が、石碑を見たまま言う。
 「危ないのは口」
 「俺の口は、注意喚起だよ」
 「注意喚起は、静かにやるの」

 瑞生は刻字の周りを雑巾で拭き、溝に指を当てて確かめる。優李亜はノートを開かずに、石碑の位置がずれないよう、机の端を押さえた。
 芽郁は、石碑の側面の一か所に視線を止めた。そこだけ、溝がない。欠けたというより、面が妙に平らで、触ると指が滑る。
 「……ここ」
 芽郁が言うと、瑞生がその面に指を置いた。
 「平ら」
 「欠けたんじゃない。削った跡」
 芽郁が、爪で軽くなぞる。自然に割れた石なら、こんなふうに一直線にはならない。角が変にそろっている。
 悟真が「削るって、わざと?」と声を落とした。
 優李亜が、何も大げさにせずに言う。
 「……隠したい文字があった、かも」
 啓恭が身を縮めて、急に小声になる。
 「つまり、危ない文字を……」
 芽郁が啓恭の額を指で押した。
 「危ないのは、今の想像」

 瑞生は、自分のノートを開いた。採点表が挟まっていて、角がきれいに揃っている。瑞生は芽郁の欄に、静かに書き足した。
 「芽郁(観察九)」
 芽郁は「なにそれ」と言いながら、少しだけ口の端を引いた。否定するほど、嫌ではない。
 啓恭が「俺も観察してる!」と手を上げた瞬間、悟真が啓恭の手首を下げた。
 「観察は、口じゃなくて目」
 「目でも言えるだろ!」
 「言えないから、目なんだよ」
 言い合いの途中で、理科室の廊下から、コツ、と靴音がした。誰かが通っただけかもしれない。でも、四人の背中が同時に固まる。
 瑞生が石碑に布をかけ、優李亜がバケツを机の下へ滑らせる。芽郁が雑巾を畳み、啓恭はなぜか黒板消しを手に取って「掃除です」みたいな顔をする。悟真は息を止めたまま、ドアのほうへ視線だけ送った。

 靴音は遠ざかった。
 啓恭が、肺に空気を戻しながら言う。
 「俺、今、黒板消しに救われた」
 芽郁が小さく笑う。
 「救われたのは、廊下の人」
 瑞生は布の上から石碑を押さえ、短く言った。
 「続き。探す」

 窓の外には、夕方の薄い月が出ていた。芽郁は一度だけそれを見てから、削られた平らな面へ視線を戻した。
 欠けたんじゃない。誰かが、削った。
 その「誰か」は、何を消したくて、何を残したくて、ここを平らにしたのだろう。

【続】