冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第2話 採点表、爆誕 
 
 十二月上旬の放課後。新校舎の廊下は、部活の掛け声と雑巾の水の匂いで、昼より少しだけ騒がしい。
 瑞生は教室の隅の机に、白い紙を一枚置いた。紙の上には、定規で引いた細い線。見出しは、太くはないのにやけに目に入る字で書かれている。

 ――採点表。
 瑞生の定規が机に当たる音は小さいのに、妙に響いた。線の上に並ぶ四角い枠が、教室の隅を「作戦会議の場所」に変える。芽郁は笑ってごまかす代わりに、紙の端を押さえた。紙が動けば、今決めたことも動いてしまいそうで。

 悟真は「テスト?」と言いながらも、膝がそわそわ動いている。走り出す前の動きだ。啓恭は「百点」を口にしながら、欄外に自分の名前を書き足したくてうずうずしている。優李亜はまだ来ていない。来ていないのに、机の上に空席があるみたいに、芽郁は一つ分の余白を残しておいた。


 紙の真ん中に、消しゴムの粉が一粒だけ残っていた。瑞生はそれを指の腹で払う。たったそれだけで、教室の空気が『遊び半分』から『ちゃんとやる』に切り替わった気がした。
 芽郁は、思わず椅子の背を握り直す。いつもなら笑って流すところなのに、紙の白さが、なぜか逃げ道を塞ぐみたいに見えた。

 悟真が椅子を反対向きにして座り、紙を覗いた。
 「なにこれ。テスト?」
 啓恭が肩越しにのぞき込み、即座に指で叩く。
 「俺のツッコミ欄、どこ? 百点のやつ」
 「百点は、まだ出てない」
 瑞生は黒ペンの先を軽く振って、乾いたインクのにじみを確かめるみたいに言った。

 紙には、四つの項目があった。
 「見張り」「作業」「口」「片づけ」。
 悟真が笑いをこらえながら読む。
 「口、って……」
 啓恭が胸を張る。
 「俺の仕事だろ。口はプロフェッショナル」
 芽郁が鞄を机に置き、上着の襟を指で直しながら言う。
 「自分で言うの、恥ずかしくないの」
 啓恭は恥ずかしくない顔で、さらに言った。
 「恥ずかしいのは、点数が低いことだよ」
 芽郁が目を細める。
 「今、低い前提で話したよね」

 瑞生が採点表の端を押さえ、悟真に向けて言う。
 「昨日。見張り、助かった」
 悟真は指で自分の胸を指した。
 「俺? そりゃ、任せて。危ないの来たら、俺が……」
 啓恭がすかさず割り込む。
 「叫ぶ」
 「叫ばない! 静かに合図する!」
 「静かにって、どんな?」
 悟真は両手で口元を囲んで、小声のつもりで叫んだ。
 「……先生来たーー!」
 芽郁が、机を軽く叩く。
 「うるさい!」

 瑞生のペンが、悟真の欄に丸を一つ描いた。丸は小さいのに、妙に嬉しそうに見える。
 啓恭が身を乗り出す。
 「俺の丸は?」
 瑞生は一拍置く。
 「昨日。心の当番。……変」
 啓恭が両手を広げた。
 「変ってなに! 先生の心、守っただろ!」
 芽郁が乾いた声で言う。
 「守られてない。むしろ疲れてた」

 そのとき、教室のドアが少し開いて、優李亜が顔だけ出した。
 「……まだ、いますか」
 声は小さい。けれど、聞き逃しにくい丁寧さがある。
 芽郁が「いるよ」と手を上げると、優李亜は静かに入ってきて、机の上に封筒を置いた。茶色い封筒。中には紙が数枚、きれいに揃っている。
 啓恭が封筒をつまもうとして、芽郁に手首を掴まれた。
 「勝手に開けない」
 「俺、開封係もできる」
 「できなくていい」

 優李亜は、封筒の角を指で整えながら言った。
 「……先生に見つかったら、困るので。筋は、後で通します」
 悟真が「助かる」と短く言い、瑞生は封筒を見て小さくうなずいた。
 「ありがとう」

 啓恭が、ぽん、と自分の胸を叩く。
 「筋通すなら、俺が職員室で踊って――」
 芽郁が無言で立ち上がり、啓恭の頭を上から押した。椅子がギシ、と鳴る。
 「踊らない」
 啓恭は押されながらも笑う。
 「芽郁、圧が強い」
 「圧は、必要なときだけ」
 瑞生が採点表に、さらさらと書き足す。
 「芽郁(制圧・高)」

 「ちょっと! 制圧って何!」
 芽郁が言うと、瑞生は目を上げずに言った。
 「事実」
 悟真が腹を抱えて笑い、啓恭は「ほら、俺のツッコミ百点だろ」と勝ち誇る。
 瑞生はペン先を止めて、啓恭の欄を見た。
 「啓恭(騒ぎ・中)」
 「中!?」
 啓恭が机を抱え込む。
 「俺、上だろ! 上!!」
 芽郁がため息をつき、鞄の中から手袋を取り出した。
 「はいはい。石、移すよ。ここで叫んでたら見つかる」

 理科室は、夕日の色が窓ガラスで薄く伸びていた。アルコールランプの匂いと、薬品棚の金属の冷たさ。誰もいないのに、先生の目だけが残っているみたいで、啓恭が急に小声になる。
 「……理科室って、息が白くなる気がする」
 「それ、ただ寒いだけ」
 芽郁が返す。

 棚の奥、使っていない箱の裏に、石碑を滑り込ませる。瑞生が位置を決め、悟真が埃を払って、優李亜が布を一枚そっとかけた。
 啓恭は「布、供養っぽい」と言いかけて、芽郁の視線に気づき、口をつぐむ。
 その沈黙が、なぜか妙に面白くて、悟真が肩を震わせた。

 戻り道。校舎の窓の外に、薄い月が上がっていた。瑞生は足を止め、何も言わずに見上げる。芽郁も、つられて視線を上げた。
 啓恭が、いつもより低い声で言う。
 「……月、あれ、ストレス解消法だっけ」
 瑞生は少し考えてから、短く言った。
 「静かになる」
 芽郁は「へえ」とだけ返した。返事は軽いのに、胸の奥が少しだけ整う感じがした。

 その夜。芽郁は自分の部屋で、机の引き出しから小さなメモ帳を出した。ページの上のほうに、昨日の文字が残っている。
 「断れない」
 書いた瞬間、心がむずむずする。恥ずかしさを押し込めて、芽郁はその下に新しい一行を足した。
 「逃げそうになったら、十分だけやる」
 ペン先が止まらない。線を引いて、丸をつける。誰にも見せないのに、字が丁寧になる。

 リビングから、家族の笑い声が聞こえた。芽郁はドアを閉め、窓の外の月を一度だけ見てから、机に向き直った。
 明日、また理科室に行く。あの石の刻みを、もう少し読むために。
 面倒だと思う気持ちは、消えない。けれど、消さなくても手は動く。
 瑞生の採点表の丸みたいに、小さい一歩でいい。

【続】