シェルターの奥で、結衣は涙を拭いた。
泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、袖で何度も目元をこする。
それでも涙は止まらない。
嬉しいのに、悔しい。
「妻だ」と言われたのに、今までの孤独が一気に押し寄せてくる。
ルルが小さく鳴き、結衣の腕の中で身を丸めた。
その体温が、結衣を現実につなぎとめてくれる。
蓮は一歩も逃げずに、結衣の前に立っていた。
いつものように冷たく見えない。
苦しそうで、必死な顔をしている。
「……結衣」
呼ぶ声が、少しだけ柔らかい。
結衣はそれを聞いて、胸がまた痛んだ。
「……今さら、って顔をするな」
結衣は首を振った。
「してません」
嘘だ。
している。
でも、今さらでも言ってほしかった。
蓮は息を吐いて、言葉を一つずつ置くように言った。
「望月が“支える”と言ったのは、仕事だ」
「……でも、“俺を支えていい”のは、お前だけだ」
結衣の喉が詰まる。
「そんなの……」
言い返したいのに、声が震えて出ない。
蓮は結衣の手元――ルルを抱く腕を見て、少しだけ目を細めた。
「……猫、重くないか」
結衣は小さく笑ってしまった。
泣きながら笑う自分が、子どもみたいだ。
「大丈夫です」
蓮は一瞬迷ってから、そっと言った。
「……俺が持つ」
結衣は首を振る。
「今は、いいです」
今は、ルルが盾になってくれる。
抱きしめられたら、全部崩れてしまうから。
小春が遠くから様子を見て、気づかないふりをしてくれている。
その優しさがありがたかった。
蓮は視線を落として、小さく言った。
「……結衣、家に戻れとは言わない」
結衣の胸がひゅっと縮む。
(戻れ、じゃないの?)
蓮は続けた。
焦って押しつけない。
それが、今の蓮の“誠実さ”だった。
「でも――一緒に帰ろう」
一緒に。
その二文字が、結衣の心の奥に落ちて、温かく広がった。
結衣は唇を噛んだ。
「……私、怖いんです」
言ってしまう。
やっと本音が出る。
「また、黙られたら」
「また、望月さんみたいな言葉を聞いたら」
「……私、またひとりで答えを作って、消えてしまう」
蓮は、即座に頷いた。
「……分かった」
そして、ゆっくりと、結衣の目を見て言う。
いつもなら言えなかったことを、今は言う。
「不安にさせたのは俺だ」
「黙って逃げたのも俺だ」
「……ごめん」
謝罪。
たったそれだけで、結衣の胸がほどけそうになる。
結衣は小さく首を振った。
「謝らないでほしいわけじゃない」
「……でも、謝るだけで終わらないで」
蓮は、結衣の言葉を受け止めるように息を吐いた。
「終わらせない」
その声が、少しだけ――猫に向ける声に近かった。
蓮はポケットから、小さな箱を出した。
結衣が置いていったリングケースだ。
結衣の息が止まる。
「……持ってきたんですか」
「……返されると思ったから」
蓮は照れたように目を逸らし、すぐ戻す。
「でも、返さない」
結衣の目が潤む。
蓮は箱を開き、指輪を取り出した。
光が小さく揺れる。
蓮は結衣の左手を取ろうとして、止まった。
結衣の反応を待つように。
結衣は、ゆっくり手を差し出した。
怖い。
でも、欲しい。
蓮の指先が、結衣の薬指に触れる。
その瞬間、蓮の声が落ちた。
低いのに、柔らかい。
「……怖かったら、言え」
「俺は、黙らない」
指輪が、ゆっくり嵌められる。
冷たい金属が、結衣の体温で温まっていく。
結衣は泣きながら笑った。
「……その声」
蓮が一瞬固まる。
結衣は続けた。
「その声、ちゃんと私に向けてくれました」
蓮は、少しだけ顔をしかめる。
照れを隠すみたいに。
「……練習中だ」
「合格です」
結衣がそう言うと、蓮の口元が僅かに緩んだ。
その笑みは、猫に向けたほど無防備じゃない。
でも、結衣に向けられた笑みだった。
蓮は結衣の手を握ったまま、もう一度言う。
「一緒に帰ろう」
結衣は頷いた。
小さく、でも確かに。
「……はい」
ルルが小さく鳴く。
まるで「やっとだね」と言うみたいに。
結衣はルルを小春に返し、最後に蓮を見上げた。
「……私、まだ怖いです」
「それでいい」
蓮は結衣の手を握り直した。
今度は離さない力だった。
「怖いなら、俺が言葉を渡す」
「――君が妻だ」
結衣の胸の中で、長い冬が終わる音がした。
夫婦の再スタートは、派手じゃない。
でも、確かに温かかった。
泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、袖で何度も目元をこする。
それでも涙は止まらない。
嬉しいのに、悔しい。
「妻だ」と言われたのに、今までの孤独が一気に押し寄せてくる。
ルルが小さく鳴き、結衣の腕の中で身を丸めた。
その体温が、結衣を現実につなぎとめてくれる。
蓮は一歩も逃げずに、結衣の前に立っていた。
いつものように冷たく見えない。
苦しそうで、必死な顔をしている。
「……結衣」
呼ぶ声が、少しだけ柔らかい。
結衣はそれを聞いて、胸がまた痛んだ。
「……今さら、って顔をするな」
結衣は首を振った。
「してません」
嘘だ。
している。
でも、今さらでも言ってほしかった。
蓮は息を吐いて、言葉を一つずつ置くように言った。
「望月が“支える”と言ったのは、仕事だ」
「……でも、“俺を支えていい”のは、お前だけだ」
結衣の喉が詰まる。
「そんなの……」
言い返したいのに、声が震えて出ない。
蓮は結衣の手元――ルルを抱く腕を見て、少しだけ目を細めた。
「……猫、重くないか」
結衣は小さく笑ってしまった。
泣きながら笑う自分が、子どもみたいだ。
「大丈夫です」
蓮は一瞬迷ってから、そっと言った。
「……俺が持つ」
結衣は首を振る。
「今は、いいです」
今は、ルルが盾になってくれる。
抱きしめられたら、全部崩れてしまうから。
小春が遠くから様子を見て、気づかないふりをしてくれている。
その優しさがありがたかった。
蓮は視線を落として、小さく言った。
「……結衣、家に戻れとは言わない」
結衣の胸がひゅっと縮む。
(戻れ、じゃないの?)
蓮は続けた。
焦って押しつけない。
それが、今の蓮の“誠実さ”だった。
「でも――一緒に帰ろう」
一緒に。
その二文字が、結衣の心の奥に落ちて、温かく広がった。
結衣は唇を噛んだ。
「……私、怖いんです」
言ってしまう。
やっと本音が出る。
「また、黙られたら」
「また、望月さんみたいな言葉を聞いたら」
「……私、またひとりで答えを作って、消えてしまう」
蓮は、即座に頷いた。
「……分かった」
そして、ゆっくりと、結衣の目を見て言う。
いつもなら言えなかったことを、今は言う。
「不安にさせたのは俺だ」
「黙って逃げたのも俺だ」
「……ごめん」
謝罪。
たったそれだけで、結衣の胸がほどけそうになる。
結衣は小さく首を振った。
「謝らないでほしいわけじゃない」
「……でも、謝るだけで終わらないで」
蓮は、結衣の言葉を受け止めるように息を吐いた。
「終わらせない」
その声が、少しだけ――猫に向ける声に近かった。
蓮はポケットから、小さな箱を出した。
結衣が置いていったリングケースだ。
結衣の息が止まる。
「……持ってきたんですか」
「……返されると思ったから」
蓮は照れたように目を逸らし、すぐ戻す。
「でも、返さない」
結衣の目が潤む。
蓮は箱を開き、指輪を取り出した。
光が小さく揺れる。
蓮は結衣の左手を取ろうとして、止まった。
結衣の反応を待つように。
結衣は、ゆっくり手を差し出した。
怖い。
でも、欲しい。
蓮の指先が、結衣の薬指に触れる。
その瞬間、蓮の声が落ちた。
低いのに、柔らかい。
「……怖かったら、言え」
「俺は、黙らない」
指輪が、ゆっくり嵌められる。
冷たい金属が、結衣の体温で温まっていく。
結衣は泣きながら笑った。
「……その声」
蓮が一瞬固まる。
結衣は続けた。
「その声、ちゃんと私に向けてくれました」
蓮は、少しだけ顔をしかめる。
照れを隠すみたいに。
「……練習中だ」
「合格です」
結衣がそう言うと、蓮の口元が僅かに緩んだ。
その笑みは、猫に向けたほど無防備じゃない。
でも、結衣に向けられた笑みだった。
蓮は結衣の手を握ったまま、もう一度言う。
「一緒に帰ろう」
結衣は頷いた。
小さく、でも確かに。
「……はい」
ルルが小さく鳴く。
まるで「やっとだね」と言うみたいに。
結衣はルルを小春に返し、最後に蓮を見上げた。
「……私、まだ怖いです」
「それでいい」
蓮は結衣の手を握り直した。
今度は離さない力だった。
「怖いなら、俺が言葉を渡す」
「――君が妻だ」
結衣の胸の中で、長い冬が終わる音がした。
夫婦の再スタートは、派手じゃない。
でも、確かに温かかった。

