海沿いの遊歩道を真っすぐ歩いていくと、青い屋根の平屋が見えてきた。おばあちゃんちだ。
「おばあちゃーん! 海叶だよ! 入るね~」
ガラガラと玄関の戸を開けながら呼びかけると、廊下の先から足音が聞こえてくる。
「海叶、いらっしゃい。待ってたよ」
おばあちゃんは、目もとに笑いジワを寄せながら、あたたかな笑顔で迎えてくれた。
電話ではときどき話していたけど、直接会うのは三年ぶりだ。元気そうな顔を見て、ホッとした。
「電話がかかってきてから、ずいぶん時間が経っていたけど、迷っていたのかい?」
おばあちゃんから聞かれて、ギクッと口元を引きつらせる。
途中でヒサメくんたちとお喋りしていたから、遅くなってしまったんだけど……。
海の生き物がニンゲンになったなんて話をしても、おばあちゃんを驚かせてしまうだけだよね? 内緒にしておいた方がいいかも。
「えっと、海を見ながらのんびり歩いていたら、遅くなっちゃった」
「そうかい。白波海岸の海は、穏やかでキレイだからね。見惚れてしまうのもわかるよ」
「あははー」
納得してくれたようでよかった。
「さあ、玄関で立ち話もなんだから、中へお入り」
「うん。お邪魔しまーす」
靴を脱いで上がろうとしたところで、おばあちゃんは笑いながら首を振った。
「『お邪魔します』じゃなくて『ただいま』でいいんだよ。今日からは、ここが海叶の家なんだから」
「あ……」
そうだった。今日から私は、この家で暮らすんだ。うっかりいつもの調子で、お邪魔しますって言っちゃった。
「た、ただいま」
もう一度、言い直してみる。まだ慣れていないから、胸の奥がくすぐったい感じがするな。
「はい。おかえり」
おばあちゃんにもう一度微笑みかけられたことで、胸の奥がぽかぽかした。
廊下の先にある一番奥の和室は、ママが子どもの頃に使っていた部屋だ。今日からは、ここが私の部屋になる。
前に暮らしていた家は、全室フローリングだったから、畳のある部屋は新鮮だった。旅館に来たみたいで、ワクワクする。
「畳のにおいって、落ち着くなー」
心地いい畳のにおいに癒されながら、重たかったリュックを下ろした。
しばらく荷物の整理をしていると、障子の向こうから味噌汁の香りがただよってくる。それにつられて、ぎゅるる~とお腹の虫が鳴きはじめた。
「海叶~、そろそろ夕飯の時間だよ」
「あ、はーい!」
もう夕食の時間か。荷物の整理を中断して、私は居間へ向かった。
「わあ! 海の幸がたくさん!」
テーブルには、お刺身、エビフライ、ツナマヨサラダ、ホタテの入った炊き込みご飯、ワカメの味噌汁が並んでいる。
どれもおいしそう! ごくりっと唾をのんでいると、台所からおばあちゃんがやってきた。
「たくさんあるからどんどんお食べ。これは、タコの酢の物だよ」
「ありがとう!」
黒い小鉢には、ぷりっとしたタコが盛られている。それを見ていると、昼間に見たダイオウイカのお兄さんが頭の中をよぎった。「うふふ♡」という不敵な笑い声まで。
うう、これはちょっと、食べずらいような……。
「いや! あれはイカ! こっちはタコだから大丈夫!」
じっとタコの小鉢を見つめていると、おばあちゃんが不思議そうに首をかしげる。
「どうしたんだい? 海叶」
「何でもない! いただきます!」
慌てて笑顔を浮かべて、箸を手に取った。
おばあちゃんの料理はどれもおいしくて、あっという間に平らげてしまった。
お茶を飲んでふぅっと一息ついたところで、空が薄紫色に染まっていることに気付く。
ヒサメくんには、夜になったら浜辺に来てと言われていたんだよね。あまり遅くなると危ないし、そろそろ出かけよう。
「おばあちゃん。ちょっとだけ散歩してきてもいいかな?」
「もう外は暗くなっているけど、大丈夫かい?」
「大丈夫! 何かあったら、スマホで連絡するし」
ポケットにしまったスマホを見せると、おばあちゃんは心配そうな顔をしながらもうなづいてくれた。
「あまり遅くならないようにするんだよ。それと夜の海には絶対に入らないこと」
「はーい」
おばあちゃんと約束をしてから、私は家を飛び出した。
海岸沿いの遊歩道を歩いていると、空がだんだんと暗くなっていく。心細さを感じながらも浜辺を見渡していると、人影が見えた。
水玉模様のパーカーを着た、背の高い男の子。ヒサメくんだ!
「お待たせ! ヒサメくん」
石階段を下りて、ザクザクと砂を踏みながら駆け寄ると、ヒサメくんが振り返る。マリンブルーの瞳で見つめられると、ふわりと優しく微笑みかけられた。
「クラゲ、来てくれてありがとう」
「うん。約束したからね」
小指を立ててみると、ヒサメくんも真似して小指を立てた。その仕草がなんだかおかしくて、笑いがこみあげてくる。
「ジンベイザメも、小指を絡ませて約束する方法を知っているんだね」
「うん。昔、ニンゲンの親子が小指を絡ませているのを見たことがあるんだ。あれはなにって、海の仲間に聞いてみたら、ニンゲンはああやって約束をするんだって教えてくれて」
「そうだったんだ」
納得していると、ヒサメくんは自分の小指をそっと触れる。
「ニンゲンになったらやってみたいこと、一つ叶った」
あ、そっか! ジンベイザメにはニンゲンのように指がないから、小指を絡ませて約束はできない。ヒサメくんにとっては、初めてのことだったんだ。
それにしても、ニンゲンになってやってみたいことの一つが、小指を絡ませて約束っていうのは、ちょっとカワイイかも。
「ん? どうしたの? クラゲ」
「ううん! 何でもない」
ゆるんだ頬を引き締めながら、ぶんぶんと首を振った。
「それより、相談したいことってなにかな?」
本題を切り出すと、ヒサメくんは真面目な顔を浮かべる。
「クラゲに相談したいのは、俺たちの未来のことだ」
未来と聞いて、どきりと心臓が鳴る。
「それって、ニンゲンが海を汚したせいで、海の生き物たちが住処を失い、命の危険にさらされているって話かな?」
「そう。仲間が滅びる未来を変えるために、俺たちはここにきたんだ」
海の仲間が滅びるなんて、ヒサメくんたちからすれば一大事だ。悲しい未来を回避したいって気持ちは、すごくわかる。
「ヒサメくんたちは、仲間が減ってしまったのは、ニンゲンたちが海を汚したからだって思っているんだよね?」
恐る恐る聞いてみると、ヒサメくんは目を伏せながらうなづく。その反応を見て、ずんっと気持ちが重くなった。
そっか……。私たちニンゲンは、ヒサメくんたちにとっては海を脅かす悪者なんだね。だから、海を汚すニンゲンを消したいって思っていたのか。
大好きな海の生き物から、憎まれているのは、すごく悲しいことだな……。
「だけど俺は、ニンゲンが好きなんだ!」
「え?」
意外な言葉が飛んできて、パッと顔を上げる。ヒサメくんは、マリンブルーの瞳で真っすぐこちらを見つめていた。
「だってニンゲンってすごいじゃん! 海に潜れる船を作ったり、遠くの仲間と会話をする機械を作ったり」
「それは潜水艦とスマホのことかな?」
心当たりのあるものを言ってみると、ヒサメくんは嬉しそうにうなづく。
「多分そうだよ! 海の仲間からニンゲンの話を聞かされるたびに、ワクワクするんだ!」
そう話すヒサメくんは、子どものように目をキラキラを輝かせていた。それから、ズボンのポケットを漁り始める。
「あとこれは、昼間に海岸で見つけたんだ。キラキラ光っていて、見る角度によって色が変わるすごい石だ。これもニンゲンが作ったんだろ?」
ヒサメくんが見せてくれたのは……ビー玉だ!
「うん、それもニンゲンが作ったものだよ」
「やっぱりそうなんだ! すごいよなぁ! これは強大な力を秘めているオーラを感じる。もしかしてニンゲンは、こういう石をエネルギーにして船を動かしているのか?」
手のひらに乗せたビー玉をまじまじと見つめながら、想像力を膨らませるヒサメくん。真剣な顔をしているけど、言っていることがトンチンカンだから、つい笑いがこみあげてきた。
「ふ、ふふっ……」
いきなり笑い出した私を見て、ヒサメくんはきょとんと目を丸くする。
「クラゲ、どうしたの?」
「ご、ごめんね。笑っちゃって。おかしくて、つい」
「もしかして、俺、変なこと言った?」
「うん、それはね、ビー玉って言って、ガラスでできたオモチャだよ」
「オモチャ……。そ、そうだったのか……。俺、ニンゲンの世界には興味があるけど、詳しくはないんだよな……」
ヒサメくんは、照れくさそうにビー玉をポケットにしまった。
ちょっと笑いすぎちゃったかな? 気分を悪くさせていなければいいけど……。
ヒサメくんは気持ちを切り替えるようにパシンと頬を叩いてから、私と向き合った。
「ニンゲンの世界は、知らないことばかりだから、もっと知りたいんだ。できることなら、ニンゲンとも仲良くなりたい!」
澄んだ瞳で告げられる。その言葉には、ウソはないように感じた。
そっか。ヒサメくんは、ニンゲンの世界に興味があるのか。
海を汚すニンゲンを消したいって話を聞かされたときは、危ない存在かもって思ったけど、ニンゲンと仲良くなりたいって気持ちがあるのなら、もう怖くはない。
ニンゲンの世界のことを、もっといろいろ教えてあげたい。できることなら、私もヒサメくんと仲良くなりたい。
そんな気持ちが芽生え始めたところで、ヒサメくんがしゅんっと肩を落とした。
「だけど、ニンゲンが便利になる一方で、海が汚されていくと知ってショックを受けたんだ……」
その言葉で、ズキリと胸が痛んだ。
頭の中では、昼間に見せてもらった動画がよみがえる。海の中をただようビニール袋も、海岸に留まった大量のゴミも、ニンゲンが便利になったことが影響しているのかもしれない。
そういえば学校の授業でも、家庭から生活排水や、工場から出た工業廃水が、海洋汚染の原因になっていると聞いたことがある。そうした原因が積み重なって、ヒサメくんたちの住処である海が汚されているのかも。
ニンゲンが好きだけど、ニンゲンのせいで海の仲間が苦しんでいる。ヒサメくんは、フクザツな感情の中で苦しんでいたのかもしれない。
「この問題は、俺一人では解決できない。だからクラゲにも一緒に考えてほしいんだ」
「わ、私!?」
急に頼られて、びっくりしてしまう。ポカンと口を開けていると、ヒサメくんに両手を握られた。
「海の生き物も、ニンゲンも、安心して暮らせる方法を一緒に探そう」
真剣な眼差しで、お願いをされる。握られた手からは、ぬくもりが伝わってきた。
海の生き物とニンゲンが安心して暮らせる方法……。そんな世界規模の問題を、平凡な中学生が解決できるとは思えない。
だけど、海の生き物が危険にさらされているというのは、私にとっても見過ごしてはおけない問題だ。大好きな海の生き物が苦しむ姿なんて、見たくないもん。
――まもってあげたい。
一人で解決することはできなくても、一緒に考えることならできるはず。私も、みんなをまもるための力になりたかった。
「わかった。一緒に考えよう」
ぎゅっと手を握り返すと、ヒサメくんの表情がパッと明るくなる。
「ありがとう、クラゲ! やっぱりクラゲに相談してよかった!」
喜んでくれたみたいでよかった。ほっとしたのもつかの間、もうひとつの問題に気付く。
わ、私、男の子に手を握られている? しかも、こんなにカッコいい男の子に……。
ぷしゅ~と顔から湯気が出そうになっていると、ヒサメくんが不思議そうに首をかしげた。
「クラゲ、どうした? 顔が赤いみたいだけど」
ぴたっとおでこに触れられる。びっくりした私は、飛びのくようにヒサメくんから距離をとった。
「あ、あの、ヒサメくん。さっきから距離が近いような」
指摘をしても、ヒサメくんは首をかしげるばかり。
「だめだった?」
「だめというか……手を握るのは、仲のいい人同士でやるもので、出会ってすぐの人とは、あまりやらないんだよね」
軽くパニックになりながらも伝える。この微妙なニュアンス、伝わるかな?
ヒサメくんは、腕組みをしながら考え込む。
「なるほど。ニンゲンの世界では、距離感が大事なのか」
「ま、まあ、そうかな。急に近づかれると、恥ずかしいし……」
ヒサメくんは、うんうん、とうなづいてから、パッと顔を上げる。
「それじゃあ、手を握っても恥ずかしくないくらい、クラゲと仲良くなれるようにがんばるよ!」
ストレートな言葉が、胸に突き刺さる。
ヒサメくんは、私と仲良くなりたいだけってのは分かっているけど、そんな言い方をされたらドキドキしちゃうよ。
ジリジリと顔が熱くなるのを感じていると、ヒサメくんはにこっと爽やかに微笑んだ。
「俺からの話はこれで終わり。時間を作ってくれてありがとう」
「う、うん、こっちこそ、話してくれてありがとう」
話し合いが終わったところで、私たちは石階段を上った。
「もう遅いし、クラゲの住処まで送っていくよ」
「え? 大丈夫だよ。私の家、ここから近いし」
「帰り道で天敵にあったら大変だろ? 俺、身体大きいし、一緒にいれば天敵も逃げていくから」
ぐっと拳を握って宣言される。ヒサメくんは冗談ではなく、本気で言っているようだ。
ニンゲンには、天敵なんていないんだけど……まあいいか。暗い夜道は、ちょっぴり怖いから、家まで送ってくれるのは助かる。
「それじゃあ、送ってもらおうかな。そうだ! うちに着くまでに海での暮らしも教えてほしいな!」
「もちろんいいよ。歩きながら、教えてあげる」
OKしてもらえたところで、私たちは海沿いの遊歩道を歩き出した。
「ジンベエサメは、プランクトンや小魚を食べて生きているって本当? 図鑑で見たときは、驚いたんだよね」
「本当だよ。エサを食べるときは、大きく口を開けて、海水ごと吸い込むんだ」
「へえ、すごい!」
海の生き物のことは勉強してきたつもりだったけど、ヒサメくんの話を聞いていると新しい発見がある。私にとっては、興味深い話だった。
海で暮らす生き物と、こうして並んでお喋りしているなんて奇跡だ。この出会いを大切にしたい。
海のことやヒサメくんたちのことを知って、もっと仲良くなりたかった。
「おばあちゃーん! 海叶だよ! 入るね~」
ガラガラと玄関の戸を開けながら呼びかけると、廊下の先から足音が聞こえてくる。
「海叶、いらっしゃい。待ってたよ」
おばあちゃんは、目もとに笑いジワを寄せながら、あたたかな笑顔で迎えてくれた。
電話ではときどき話していたけど、直接会うのは三年ぶりだ。元気そうな顔を見て、ホッとした。
「電話がかかってきてから、ずいぶん時間が経っていたけど、迷っていたのかい?」
おばあちゃんから聞かれて、ギクッと口元を引きつらせる。
途中でヒサメくんたちとお喋りしていたから、遅くなってしまったんだけど……。
海の生き物がニンゲンになったなんて話をしても、おばあちゃんを驚かせてしまうだけだよね? 内緒にしておいた方がいいかも。
「えっと、海を見ながらのんびり歩いていたら、遅くなっちゃった」
「そうかい。白波海岸の海は、穏やかでキレイだからね。見惚れてしまうのもわかるよ」
「あははー」
納得してくれたようでよかった。
「さあ、玄関で立ち話もなんだから、中へお入り」
「うん。お邪魔しまーす」
靴を脱いで上がろうとしたところで、おばあちゃんは笑いながら首を振った。
「『お邪魔します』じゃなくて『ただいま』でいいんだよ。今日からは、ここが海叶の家なんだから」
「あ……」
そうだった。今日から私は、この家で暮らすんだ。うっかりいつもの調子で、お邪魔しますって言っちゃった。
「た、ただいま」
もう一度、言い直してみる。まだ慣れていないから、胸の奥がくすぐったい感じがするな。
「はい。おかえり」
おばあちゃんにもう一度微笑みかけられたことで、胸の奥がぽかぽかした。
廊下の先にある一番奥の和室は、ママが子どもの頃に使っていた部屋だ。今日からは、ここが私の部屋になる。
前に暮らしていた家は、全室フローリングだったから、畳のある部屋は新鮮だった。旅館に来たみたいで、ワクワクする。
「畳のにおいって、落ち着くなー」
心地いい畳のにおいに癒されながら、重たかったリュックを下ろした。
しばらく荷物の整理をしていると、障子の向こうから味噌汁の香りがただよってくる。それにつられて、ぎゅるる~とお腹の虫が鳴きはじめた。
「海叶~、そろそろ夕飯の時間だよ」
「あ、はーい!」
もう夕食の時間か。荷物の整理を中断して、私は居間へ向かった。
「わあ! 海の幸がたくさん!」
テーブルには、お刺身、エビフライ、ツナマヨサラダ、ホタテの入った炊き込みご飯、ワカメの味噌汁が並んでいる。
どれもおいしそう! ごくりっと唾をのんでいると、台所からおばあちゃんがやってきた。
「たくさんあるからどんどんお食べ。これは、タコの酢の物だよ」
「ありがとう!」
黒い小鉢には、ぷりっとしたタコが盛られている。それを見ていると、昼間に見たダイオウイカのお兄さんが頭の中をよぎった。「うふふ♡」という不敵な笑い声まで。
うう、これはちょっと、食べずらいような……。
「いや! あれはイカ! こっちはタコだから大丈夫!」
じっとタコの小鉢を見つめていると、おばあちゃんが不思議そうに首をかしげる。
「どうしたんだい? 海叶」
「何でもない! いただきます!」
慌てて笑顔を浮かべて、箸を手に取った。
おばあちゃんの料理はどれもおいしくて、あっという間に平らげてしまった。
お茶を飲んでふぅっと一息ついたところで、空が薄紫色に染まっていることに気付く。
ヒサメくんには、夜になったら浜辺に来てと言われていたんだよね。あまり遅くなると危ないし、そろそろ出かけよう。
「おばあちゃん。ちょっとだけ散歩してきてもいいかな?」
「もう外は暗くなっているけど、大丈夫かい?」
「大丈夫! 何かあったら、スマホで連絡するし」
ポケットにしまったスマホを見せると、おばあちゃんは心配そうな顔をしながらもうなづいてくれた。
「あまり遅くならないようにするんだよ。それと夜の海には絶対に入らないこと」
「はーい」
おばあちゃんと約束をしてから、私は家を飛び出した。
海岸沿いの遊歩道を歩いていると、空がだんだんと暗くなっていく。心細さを感じながらも浜辺を見渡していると、人影が見えた。
水玉模様のパーカーを着た、背の高い男の子。ヒサメくんだ!
「お待たせ! ヒサメくん」
石階段を下りて、ザクザクと砂を踏みながら駆け寄ると、ヒサメくんが振り返る。マリンブルーの瞳で見つめられると、ふわりと優しく微笑みかけられた。
「クラゲ、来てくれてありがとう」
「うん。約束したからね」
小指を立ててみると、ヒサメくんも真似して小指を立てた。その仕草がなんだかおかしくて、笑いがこみあげてくる。
「ジンベイザメも、小指を絡ませて約束する方法を知っているんだね」
「うん。昔、ニンゲンの親子が小指を絡ませているのを見たことがあるんだ。あれはなにって、海の仲間に聞いてみたら、ニンゲンはああやって約束をするんだって教えてくれて」
「そうだったんだ」
納得していると、ヒサメくんは自分の小指をそっと触れる。
「ニンゲンになったらやってみたいこと、一つ叶った」
あ、そっか! ジンベイザメにはニンゲンのように指がないから、小指を絡ませて約束はできない。ヒサメくんにとっては、初めてのことだったんだ。
それにしても、ニンゲンになってやってみたいことの一つが、小指を絡ませて約束っていうのは、ちょっとカワイイかも。
「ん? どうしたの? クラゲ」
「ううん! 何でもない」
ゆるんだ頬を引き締めながら、ぶんぶんと首を振った。
「それより、相談したいことってなにかな?」
本題を切り出すと、ヒサメくんは真面目な顔を浮かべる。
「クラゲに相談したいのは、俺たちの未来のことだ」
未来と聞いて、どきりと心臓が鳴る。
「それって、ニンゲンが海を汚したせいで、海の生き物たちが住処を失い、命の危険にさらされているって話かな?」
「そう。仲間が滅びる未来を変えるために、俺たちはここにきたんだ」
海の仲間が滅びるなんて、ヒサメくんたちからすれば一大事だ。悲しい未来を回避したいって気持ちは、すごくわかる。
「ヒサメくんたちは、仲間が減ってしまったのは、ニンゲンたちが海を汚したからだって思っているんだよね?」
恐る恐る聞いてみると、ヒサメくんは目を伏せながらうなづく。その反応を見て、ずんっと気持ちが重くなった。
そっか……。私たちニンゲンは、ヒサメくんたちにとっては海を脅かす悪者なんだね。だから、海を汚すニンゲンを消したいって思っていたのか。
大好きな海の生き物から、憎まれているのは、すごく悲しいことだな……。
「だけど俺は、ニンゲンが好きなんだ!」
「え?」
意外な言葉が飛んできて、パッと顔を上げる。ヒサメくんは、マリンブルーの瞳で真っすぐこちらを見つめていた。
「だってニンゲンってすごいじゃん! 海に潜れる船を作ったり、遠くの仲間と会話をする機械を作ったり」
「それは潜水艦とスマホのことかな?」
心当たりのあるものを言ってみると、ヒサメくんは嬉しそうにうなづく。
「多分そうだよ! 海の仲間からニンゲンの話を聞かされるたびに、ワクワクするんだ!」
そう話すヒサメくんは、子どものように目をキラキラを輝かせていた。それから、ズボンのポケットを漁り始める。
「あとこれは、昼間に海岸で見つけたんだ。キラキラ光っていて、見る角度によって色が変わるすごい石だ。これもニンゲンが作ったんだろ?」
ヒサメくんが見せてくれたのは……ビー玉だ!
「うん、それもニンゲンが作ったものだよ」
「やっぱりそうなんだ! すごいよなぁ! これは強大な力を秘めているオーラを感じる。もしかしてニンゲンは、こういう石をエネルギーにして船を動かしているのか?」
手のひらに乗せたビー玉をまじまじと見つめながら、想像力を膨らませるヒサメくん。真剣な顔をしているけど、言っていることがトンチンカンだから、つい笑いがこみあげてきた。
「ふ、ふふっ……」
いきなり笑い出した私を見て、ヒサメくんはきょとんと目を丸くする。
「クラゲ、どうしたの?」
「ご、ごめんね。笑っちゃって。おかしくて、つい」
「もしかして、俺、変なこと言った?」
「うん、それはね、ビー玉って言って、ガラスでできたオモチャだよ」
「オモチャ……。そ、そうだったのか……。俺、ニンゲンの世界には興味があるけど、詳しくはないんだよな……」
ヒサメくんは、照れくさそうにビー玉をポケットにしまった。
ちょっと笑いすぎちゃったかな? 気分を悪くさせていなければいいけど……。
ヒサメくんは気持ちを切り替えるようにパシンと頬を叩いてから、私と向き合った。
「ニンゲンの世界は、知らないことばかりだから、もっと知りたいんだ。できることなら、ニンゲンとも仲良くなりたい!」
澄んだ瞳で告げられる。その言葉には、ウソはないように感じた。
そっか。ヒサメくんは、ニンゲンの世界に興味があるのか。
海を汚すニンゲンを消したいって話を聞かされたときは、危ない存在かもって思ったけど、ニンゲンと仲良くなりたいって気持ちがあるのなら、もう怖くはない。
ニンゲンの世界のことを、もっといろいろ教えてあげたい。できることなら、私もヒサメくんと仲良くなりたい。
そんな気持ちが芽生え始めたところで、ヒサメくんがしゅんっと肩を落とした。
「だけど、ニンゲンが便利になる一方で、海が汚されていくと知ってショックを受けたんだ……」
その言葉で、ズキリと胸が痛んだ。
頭の中では、昼間に見せてもらった動画がよみがえる。海の中をただようビニール袋も、海岸に留まった大量のゴミも、ニンゲンが便利になったことが影響しているのかもしれない。
そういえば学校の授業でも、家庭から生活排水や、工場から出た工業廃水が、海洋汚染の原因になっていると聞いたことがある。そうした原因が積み重なって、ヒサメくんたちの住処である海が汚されているのかも。
ニンゲンが好きだけど、ニンゲンのせいで海の仲間が苦しんでいる。ヒサメくんは、フクザツな感情の中で苦しんでいたのかもしれない。
「この問題は、俺一人では解決できない。だからクラゲにも一緒に考えてほしいんだ」
「わ、私!?」
急に頼られて、びっくりしてしまう。ポカンと口を開けていると、ヒサメくんに両手を握られた。
「海の生き物も、ニンゲンも、安心して暮らせる方法を一緒に探そう」
真剣な眼差しで、お願いをされる。握られた手からは、ぬくもりが伝わってきた。
海の生き物とニンゲンが安心して暮らせる方法……。そんな世界規模の問題を、平凡な中学生が解決できるとは思えない。
だけど、海の生き物が危険にさらされているというのは、私にとっても見過ごしてはおけない問題だ。大好きな海の生き物が苦しむ姿なんて、見たくないもん。
――まもってあげたい。
一人で解決することはできなくても、一緒に考えることならできるはず。私も、みんなをまもるための力になりたかった。
「わかった。一緒に考えよう」
ぎゅっと手を握り返すと、ヒサメくんの表情がパッと明るくなる。
「ありがとう、クラゲ! やっぱりクラゲに相談してよかった!」
喜んでくれたみたいでよかった。ほっとしたのもつかの間、もうひとつの問題に気付く。
わ、私、男の子に手を握られている? しかも、こんなにカッコいい男の子に……。
ぷしゅ~と顔から湯気が出そうになっていると、ヒサメくんが不思議そうに首をかしげた。
「クラゲ、どうした? 顔が赤いみたいだけど」
ぴたっとおでこに触れられる。びっくりした私は、飛びのくようにヒサメくんから距離をとった。
「あ、あの、ヒサメくん。さっきから距離が近いような」
指摘をしても、ヒサメくんは首をかしげるばかり。
「だめだった?」
「だめというか……手を握るのは、仲のいい人同士でやるもので、出会ってすぐの人とは、あまりやらないんだよね」
軽くパニックになりながらも伝える。この微妙なニュアンス、伝わるかな?
ヒサメくんは、腕組みをしながら考え込む。
「なるほど。ニンゲンの世界では、距離感が大事なのか」
「ま、まあ、そうかな。急に近づかれると、恥ずかしいし……」
ヒサメくんは、うんうん、とうなづいてから、パッと顔を上げる。
「それじゃあ、手を握っても恥ずかしくないくらい、クラゲと仲良くなれるようにがんばるよ!」
ストレートな言葉が、胸に突き刺さる。
ヒサメくんは、私と仲良くなりたいだけってのは分かっているけど、そんな言い方をされたらドキドキしちゃうよ。
ジリジリと顔が熱くなるのを感じていると、ヒサメくんはにこっと爽やかに微笑んだ。
「俺からの話はこれで終わり。時間を作ってくれてありがとう」
「う、うん、こっちこそ、話してくれてありがとう」
話し合いが終わったところで、私たちは石階段を上った。
「もう遅いし、クラゲの住処まで送っていくよ」
「え? 大丈夫だよ。私の家、ここから近いし」
「帰り道で天敵にあったら大変だろ? 俺、身体大きいし、一緒にいれば天敵も逃げていくから」
ぐっと拳を握って宣言される。ヒサメくんは冗談ではなく、本気で言っているようだ。
ニンゲンには、天敵なんていないんだけど……まあいいか。暗い夜道は、ちょっぴり怖いから、家まで送ってくれるのは助かる。
「それじゃあ、送ってもらおうかな。そうだ! うちに着くまでに海での暮らしも教えてほしいな!」
「もちろんいいよ。歩きながら、教えてあげる」
OKしてもらえたところで、私たちは海沿いの遊歩道を歩き出した。
「ジンベエサメは、プランクトンや小魚を食べて生きているって本当? 図鑑で見たときは、驚いたんだよね」
「本当だよ。エサを食べるときは、大きく口を開けて、海水ごと吸い込むんだ」
「へえ、すごい!」
海の生き物のことは勉強してきたつもりだったけど、ヒサメくんの話を聞いていると新しい発見がある。私にとっては、興味深い話だった。
海で暮らす生き物と、こうして並んでお喋りしているなんて奇跡だ。この出会いを大切にしたい。
海のことやヒサメくんたちのことを知って、もっと仲良くなりたかった。


