野いちご源氏物語 四九 宿木(やどりき)

白い(きく)(むらさき)がかったころにより風情(ふぜい)があるものだけれど、お庭の菊はまだ色づいていない。
丁寧に育てられた菊ほど色が変わるのが遅いみたい。
そのなかで、なぜか一本だけ美しく紫色になった菊があった。
宮様は折らせなさると、菊にまつわる中国の詩を優雅に口ずさんでからおっしゃる。

「昔の親王(しんのう)が菊を()でていた夕方、天から(れい)が舞い降りてきて、琵琶(びわ)の曲を伝授(でんじゅ)したとか。今では考えられないことだ。つまらない世の中になってしまったな」
宮様が琵琶を置いてしまわれたので、中君(なかのきみ)は残念にお思いになる。
「人の心が浅はかになってきているとしても、秘伝(ひでん)の曲は当時のまま伝わっておりましょう」
知らない曲を聞いてみたくておっしゃる。

「それなら弾きましょうか。ひとりで弾くのは(さみ)しいから、あなたも一緒に」
宮様に命じられて、女房(にょうぼう)は中君の御前(ごぜん)(そう)をお置きした。
「昔は父宮(ちちみや)様が教えてくださいましたが、あまり上達しなかったのです」
中君は弾こうとなさらない。

「このくらいのことをむやみに遠慮(えんりょ)なさってはいけませんよ。私に心を許してくれていないように感じてしまう。六条(ろくじょう)(いん)姫君(ひめぎみ)は、まだそれほど親しい仲でもないのに、初々(ういうい)しい演奏を(かく)さず聞かせてくれます。女性は優しく素直なのがよいと、(かおる)(きみ)だって言うでしょう。あの人にはこんなふうに遠慮なさらずお聞かせなさるのだろうね。特別な仲のようだから」
また(うら)(ごと)をおっしゃるので、中君は仕方なくお弾きになった。

演奏にあわせて宮様がお歌いになる。
上品ですばらしいお声なので、(ろう)女房(にょうぼう)たちが近づいてきて、物陰でうっとりと聞いている。
「新しいご結婚をなさったことは残念ですが、親王様ならそれも当然ではございますし、やはり中君はご幸運でいらっしゃいますね。あのまま宇治(うじ)()もれておられたら、と思うとぞっといたしますよ。それなのに、ご本人はあの山荘(さんそう)に帰りたいだなんて(おお)せになるのですから困ったことです」
口々に言うので、
「おやめなされませ、聞こえてしまいますよ」
と若い女房たちは止めている。