野いちご源氏物語 四九 宿木(やどりき)

<こんなおつもりだったのか>
中君(なかのきみ)は驚いてお声も出ない。
(だま)って下がろうとなさるのを追いかけるようにして、(かおる)(きみ)(すだれ)の奥へするりとお入りになった。
誤解(ごかい)なさらないでください。何かしようというのではありません。お手紙で『直接お礼を』と(おお)せだったのは、たったあれだけで終わりなのかとお尋ねしたかっただけなのです。私があなた様にどれほどお()くししているか。他人(あつか)いなさってよいものでしょうか。冷たいご態度だ」

ずいぶんな(うら)み方をなさるので、中君はお返事もできず、(にく)くお思いになる。
無理にお心を落ち着かせておっしゃった。
「思いもよらないお心だったのですね。女房(にょうぼう)が見ておりますよ。なんてひどい」
薫の君を軽蔑(けいべつ)してお泣きになる。

それも当然だと薫の君はお気の毒に思う。
中君をこれ以上おびえさせないように(おだ)やかにおっしゃった。
「このくらいのことが(つみ)になるでしょうか。山荘(さんそう)のあの夜を思い出してごらんなさい。一晩ご一緒に過ごしたではありませんか。大君(おおいぎみ)は私とあなた様を結婚させるおつもりでした。人妻(ひとづま)になったからといって、あれを完全になかったことになさっては悲しい。これ以上無理なことはいたしませんからご安心ください」
ゆったりした口調(くちょう)やご態度だけれど、中君を匂宮(におうのみや)様にお(ゆず)りしてしまった後悔と苦しみを延々(えんえん)(うった)えなさる。
中君のお(そで)をお放しになる気配(けはい)はない。

<今までご信頼してきたというのに。裏切られたような気がする>
中君は泣いてしまわれる。
「どうしてお泣きになるのです。子どものようではありませんか」
あらためてご覧になる中君は、たしかに可憐(かれん)でお気の毒だけれど、人妻としての貫禄(かんろく)がおつきになっている。
あの夜よりも大人びて、たやすく手出しなどできない雰囲気でいらっしゃる。
<私の意思で他の男の妻にしたというのに、こんなにも苦しい>
と、薫の君は声を上げてお泣きになる。

近くには女房がふたりほどお(ひか)えしている。
簾のうちに入ってきたのが知らない男なら追い出すけれど、薫の君では遠慮してしまう。
何かご事情があるのだろうと奥へ下がってしまった。
気を()かせたつもりでしょうけれど、中君にとっては困ったことになったわ。

薫の君は中君をご自分のものにしなかった後悔でお心を乱しながらも、今ここで無理やり関係をもつことはなさらない。
大君がお許しになったあの夜でさえ、理性(りせい)(たも)った方だもの。
この先のことはこまかくお話ししにくいけれど、結局人目(ひとめ)を気にして薫の君はお帰りになった。
決定的な理由があって、それ以上のことはとてもおできにならなかったのよ。