野いちご源氏物語 四九 宿木(やどりき)

宇治(うじ)山荘(さんそう)(かおる)(きみ)と過ごした夜を、中君(なかのきみ)は今もときどき思い出される。
大君(おおいぎみ)を目当てに薫の君は寝室に入っていらっしゃったけれど、大君は逃げ出してしまわれたのよね。
それで結局、中君が薫の君と一晩ご一緒だった。
一途(いちず)な薫の君は中君に手を出さず、ただお話をなさっただけで終わったのだけれど。

<思いやりのある誠実なお人柄(ひとがら)で、(みや)様とはまったく違う。姉君(あねぎみ)は私と薫の君の結婚をお望みだった。いっそそうなっていたらよかったのに>
このくらいのことは中君もお考えになる。
十分に大人の女性でいらっしゃるから、薄情(はくじょう)な宮様と薫の君を比べて、薫の君の方がよい夫になっただろうと想像なさるのね。

そうなると、いつも()(えん)にお座らせしていることが申し訳なくなる。
厚意(こうい)に気づかない(おん)知らずだと思われたくない>
と、今日は縁側(えんがわ)に客席を用意させなさった。
縁側とお部屋の間には(すだれ)があって、さらについたてを置いて中君はお座りになる。

「昨日めずらしいお手紙を頂戴(ちょうだい)しましたので参上いたしました。すぐに参りたく存じましたが、あれから宮様がお越しとうかがいましたので。縁側へ入れてくださったということは、長年の私の誠意をやっとお分かりくださったということでしょうか。うれしいことでございます」
堂々としたご挨拶(あいさつ)に中君は気恥ずかしくなってしまわれるけれど、勇気を出しておっしゃった。

父宮(ちちみや)様の三回(さんかい)()を盛大に行ってくださったとのこと、お礼をお伝えせずにいてはいけないと存じまして」
遠慮(えんりょ)がちなお声が、お部屋の奥からかすかに聞こえる。
「ずいぶん奥にいらっしゃるのですね。私と内密(ないみつ)にお話しになりたいこともおありでしょうに」
薫の君がそうおっしゃると、<たしかに>と中君は少し近寄っていらっしゃった。

薫の君はどきりとなさる。
さりげなく平気なふりをして、宮様のご愛情がこれほど浅いとはと(なげ)いておみせになる。
宮様を悪く言ったり、中君をお(なぐさ)めしたり、ひそひそとお話しになった。

没落(ぼつらく)したとはいえ宮家(みやけ)姫君(ひめぎみ)である中君にとって、嫉妬(しっと)などご身分にふさわしくないことなの。
匂宮様のせいとか、新しいご結婚のせいなどとはおっしゃらず、ただご自分の運命のせいでつらい、というようなことを言葉少なにおっしゃる。
それでも宇治(うじ)に帰りたいというご意志だけは強い。
「こっそりと連れていってほしいのです」
と熱心にお願いなさる。

「それは私の一存(いちぞん)ではいたしかねます。宮様に素直にお願いなさって、お許しをいただいてからの方がようございましょう。『勝手に軽率(けいそつ)なことをした』とお怒りを買うことになってはいけません。宮様のお許しが下りましたら、(つつし)んで宇治までのお(とも)をさせていただきます。私の真面目さは宮様もよくご存じですから、きっと安心してお(まか)せくださいましょう」

そう言いながら、「大君が(すす)めたとおりに中君と結婚すればよかった」というようなことも()らされる。
だんだん暗くなってもまだお帰りにならないので、中君は面倒に思われた。
「具合も悪うございますので、少しよくなりましたころにあらためて」
とお部屋の奥へ下がろうとなさる。

「宇治へはいつごろにとお考えでしょうか」
中君を引きとめようと、薫の君はとっさにお尋ねになった。
道中(どうちゅう)は草がひどく()(しげ)っております。先に()らせておこうと存じますが」
「もう今月は難しいでしょうから、来月の初めにでもと思っております。あくまでもこっそりと、宮様のお許しなんて大げさなものをいただくまでもないような、ちょっとした外出という形で」
中君のお声が可憐(かれん)で、いつも以上に大君を思い出してしまわれる。
我慢(がまん)できなくなって、(すだれ)の下から中君のお(そで)をお()らえになった。