野いちご源氏物語 四九 宿木(やどりき)

こうして六条(ろくじょう)(いん)でのご新婚生活が始まった。
(みや)様はもう二条(にじょう)(いん)に気軽にお戻りになることはできない。
親王(しんのう)というご身分では、昼間にお出かけになることも簡単ではないの。
六条の院の春の御殿(ごてん)をご自分のお部屋になさって、ずっとそこにいらっしゃる。
亡き(むらさき)(うえ)が幼い匂宮(におうのみや)様を特別にかわいがってお育てになった、(なつ)かしい御殿よ。

日が暮れたら暮れたで、夏の御殿の(ろく)(きみ)を放ってよそへお出かけになるというわけにもいかない。
中君(なかのきみ)は匂宮様のお越しを待ち遠しくお思いになっている。
<ある程度は覚悟していたけれど、まさかまったくお越しにならなくなるとは。六の君のように頼りになる親もいないのだから、軽率(けいそつ)に結婚などしてはいけなかったのだ>
あの日宇治(うじ)を出て山道を越えていらっしゃったことが、まるで夢のように思われる。

後悔と悲しみでお心がふつうではなくなる。
<やはりこっそり宇治へ帰ろう。これで結婚生活を終わりにするというのではない。少しの間気晴らしをするだけだ。反抗(はんこう)的な態度でなければ宮様もお許しくださるだろう>
こういうときに頼りにできるのは(かおる)(きみ)しかいらっしゃらない。
恥ずかしいけれどお手紙をお送りになった。

「先日の父宮(ちちみや)様の三回(さんかい)()のこと、山寺(やまでら)阿闍梨(あじゃり)がくわしく知らせてくれました。あなた様のご厚意(こうい)が残っていたおかげで(さみ)しい法要(ほうよう)にならずにすみました。それを思うと感謝してもしきれません。直接お礼を申し上げたいのですが」
と、事務的な紙に真面目に書かれている。
それがまた風情(ふぜい)があるの。

大げさな言葉が使われているわけではないけれど、薫の君への感謝がひしひしと伝わる。
<いつもはこちらからお手紙を差し上げても遠慮(えんりょ)がちなお返事しかくださらないのに。今回は『直接お礼を』とまでお書きになっている>
めずらしくてうれしくて、薫の君はどきどきなさる。

<匂宮様はやはり二条の院に戻られていないようだ。目新しく派手なものに()かれる方だからな。中君は寂しくお過ごしなのだろう>
とくにおもしろいわけでもないお手紙を、薫の君は繰り返し繰り返しお読みになる。

お返事は、
「あなた様のお心を乱さないように、とくにお知らせせず私だけで宇治へ参りました。『厚意が残っていた』との(おお)せは(うら)めしく存じます。私の厚意は昔のままで、少なくなってなどおりません。くわしいお話はお屋敷に(うかが)って(うけたまわ)ります」
と、こちらも事務的な白い紙へ生真面目にお書きになった。

翌日の夕方、薫の君は二条の院へお上がりになった。
中君への恋心をひそかに(かか)えておいでなので、身支度(みじたく)を念入りになさって、お着物にお(こう)()きしめていかれる。
ご愛用の(おうぎ)にしみついた香りまですばらしい。