優花が「ウィスキーなんて新鮮です」と言うと、
宏樹は手にしたグラスをゆっくりと回し、その琥珀色の揺らぎを眺めながら答えた。

「ああ。学生の頃は、味の違いなんて全然わからなかったけどさ。
仕事してると……落ち着いたものを飲みたくなる時があって。
まあ、俺も少しは“大人になった”ってことかな」

その言い方は自嘲ではなく、変化を柔らかく受け入れた男の落ち着きだった。
優花は、その変化を自然と受け止める。

「うん……でも、今の宏樹には、本当に似合ってます。
披露宴の時も思いましたけど、前よりもずっと落ち着いて……すごく、格好よかったです」

少し勇気を出した。
ほんの少しだけ、大胆な誉め言葉。

宏樹は「格好いい」という直球を受け、目を丸くし、照れたように笑った。

「そう言われると、さすがに照れるな。
でも……ありがとう」

返ってきた笑顔は、披露宴で見た時よりも温かい。
そしてすぐ続けて、少し真面目な声音になった。

「相沢もさ。ドレス姿、すごく綺麗だったけど……今の服の方が、なんていうか…話しかけやすい」

「話しかけやすい……?」

「うん。ドレスだと、ちょっと緊張するんだよ。
今みたいな雰囲気の方が、昔みたいに自然に話せる」

その言葉は、優花に二つの感情を同時に運んだ。
“友人としての距離の近さ”への嬉しさと、
“恋愛対象ではないのかもしれない”という小さな痛み。

だが、優花はすぐに切り替える。
(焦らない。友人としての距離を、まずちゃんと取り戻すんだ。)

その時、隣に座っていた恵理が急に立ち上がった。

「ちょっと私、あっちで健太とゲームしてくるね!
優花、宏樹とゆっくり話してて!」

意味ありげなウィンクを残し、賑やかな輪の中へ消えていく。

残された長椅子には、事実上——優花と宏樹だけ。

(恵理……ありがとう……!)

優花は、気づかれないようにほんの数センチだけ身を寄せた。
密着ではない。でも、会話が自然と落ち着く距離。

「宏樹……さっき少し話した、仕事のことですけど」

優花が切り出すと、宏樹は意外そうに目を向けた。

「落ち着いた雰囲気になったのって……やっぱりお仕事の影響ですか?」

宏樹は少し驚いたように息を呑み、そして視線を落とす。

「……ああ、まあ。そうかもしれないな。
今やってるプロジェクトが結構大きくてさ。責任も重くて、なかなか気が抜けなくて。
昔みたいに、何も考えず騒ぐ余裕がなくなった感じ」

そう言って、ウィスキーを静かに揺らした。

披露宴でも見えた、あの微かな疲労。
でも、誰もそれを言葉にしなかった。

「宏樹……披露宴の時も、少し疲れてるように見えました。
無理、してないですか?」

優花がそう言った瞬間、
宏樹の表情が溶けていく——そんな変化が、目の前で起きた。

彼はゆっくりと息を吐いた。

「……相沢にそう言われると、なんか救われるな。
今日、色んな人と話したけど……“大変だね”って言ってくれた人、いなかったから」

(あ……)

優花は気づいた。
宏樹にとって“理解されること”は、今、とても価値のあることなのだ。

「話す相手があまりいなくてさ。
今日、相沢に会って……こうして話してたら、昔みたいに自然に話せて。
……なんか、久しぶりにちゃんと誰かに聞いてもらえた気がする」

その言葉は、優花の胸の奥深くに、静かに届いた。

(宏樹の……心の内側に、触れられた。)

五年前は、遠くから見つめるだけだった彼。
今は、隣にいて、気持ちを話してくれる。

それは、再会してから最も大きな変化で——
優花は、それを怖がるどころか、まっすぐ受け止めたいと思った。

二人の間の空気は、もう“同窓会の再会”ではない。
友人より少し深く、恋人にはまだ遠い。
けれど確かに、心と心の距離が縮まり始めていた。