俺様エリートマーケッターの十年愛〜昔両思いだったあの人が、私の行方を捜してるそうです〜

「ううん、いいよ。知らない相手だから言えることもあるでしょ」

「……ありがとう。ちょっとスッキリした」

 そこまで話して落ち着きを取り戻したらしい。翔は「そう言えば」と顔を上げた。

「名前、聞いてなかったな。俺は高橋翔。翔は飛翔の翔。あんたは?」

「私は――」

 一瞬口籠もる。

 正直に入江美波だと名乗れば、看護師伝手で隣部屋の患者で、地味で冴えない小娘だとバレてしまう。それだけは嫌だった。

「ナツ……。ナツっていうの」

 咄嗟に適当に偽名を名乗った。不思議なことにそれだけでまったく別人の、明るくて面白い女の子になった気がする。

「盲腸で入院中の従妹のお見舞いに来て」

「ああ。だからここの棟にいたのか」

「そう、もっとたくさん感謝してよね。私がいなかったら、あなたは階段から落ちて死んでいたかもしれないんだから。生きていたからこうやって私に愚痴ってスッキリできたんだからね。ちょっとやる気が出たでしょ?」

 翔は呆気に取られた顔をしていたが、やがてぷっと吹き出し、「そう言えば笑ったの、久しぶりだ……」と呟いた。

「あんた、やっぱり面白い女だな」

「どうせなら可愛いって言ってほしかったなあ」

「って、俺今見えないし……いや」

 翔の見えない目がふと美波に向けられる。

「……うん、確かに可愛いな」

 その意味ありげな一言に、美波の心臓がドキンと跳ねた。

「もう、今更気遣いなんてしなくていいって」

「本当だ。可愛いって」

 翔は笑いながら「またこの病院に来る?」と尋ねた。

「う、うん。従妹のお見舞いに来たいから」

「じゃあさ、また話そうぜ」

「えっ、でも……」

 あまり長く接触すると、正体がバレそうで怖い。

「来ないなら俺、あの階段から飛び降りるけど」

「ちょっ、ずるい! そんなこと言われたら来るしかないじゃない!」

「あんたの真似しただけだって」

 翔は屈託のない笑顔になった。きっとこれが本来の彼の表情なのだろう。

「じゃあ、約束だ。今度いつ会う?」

「えっと……明後日の午後なら……」

 まだ心臓が早鐘を打っている。 それが生まれて初めて恋に落ちた音なのだとは、この時まだ美波は気付いていなかった。