「衛門の督様がお亡くなりになったあと、乳母だった私の母も病気で亡くなりました。悲しいことが重なって心細くなっておりましたとき、当時の悪い恋人にだまされて、私は九州へ連れていかれてしまったのです。この衛門の督様の遺品は、小侍従を通して女三の宮様にお渡しするつもりでした。しかしそれができないまま、私は都を離れてしまったのです。
九州では都のことは何も分からず、無理やり私をさらった夫にも先立たれました。それから都に戻ろうと決意するまで十年以上かかりました。しかし、このような身の上で華やかなところにお仕えするのは気が引けます。八の宮様が宇治の山荘にお移りになっていたのは、私にとっては幸いでした。父の遠いご親戚ということで八の宮様をお頼りして、ここでご奉公させていただくことにしたのです。
ずいぶん遅くなってしまいましたが小侍従に連絡してみますと、もうとっくに亡くなったと教えられました。せっかく都に戻りましても、小侍従がいなければ女三の宮様に遺品をお渡しできません。そういう事情で、これは私がお預かりしつづけていたのでございます。
小侍従をはじめとして、あのころ若者だった人たちはもうほとんど亡くなりました。私だけが生き残っていることを悲しみながら、それでもまだ生きております」
そんな話をしているうちに夜が明けてしまった。
九州では都のことは何も分からず、無理やり私をさらった夫にも先立たれました。それから都に戻ろうと決意するまで十年以上かかりました。しかし、このような身の上で華やかなところにお仕えするのは気が引けます。八の宮様が宇治の山荘にお移りになっていたのは、私にとっては幸いでした。父の遠いご親戚ということで八の宮様をお頼りして、ここでご奉公させていただくことにしたのです。
ずいぶん遅くなってしまいましたが小侍従に連絡してみますと、もうとっくに亡くなったと教えられました。せっかく都に戻りましても、小侍従がいなければ女三の宮様に遺品をお渡しできません。そういう事情で、これは私がお預かりしつづけていたのでございます。
小侍従をはじめとして、あのころ若者だった人たちはもうほとんど亡くなりました。私だけが生き残っていることを悲しみながら、それでもまだ生きております」
そんな話をしているうちに夜が明けてしまった。



