社内ロビーの吹き抜けに、秋の光が差し込んでいた。
 昼下がり、打ち合わせを終えた私は一息つこうと歩を緩めた。
 そのとき、背後から声がした。

「莉子様」

 振り向けば、御曹司が微笑んでいた。
 背の高い体躯に仕立てのいいスーツ。
 周囲の視線を当然のように集めながら、彼は迷いなくこちらに近づいてきた。

「ちょうどお会いできてよかった。今夜、夕食をご一緒にどうでしょう」
「……申し訳ありません。今夜は予定が」

「予定? 副社長とですか?」
 わざとらしい声音。
 周囲にいた社員たちが一斉にこちらへ目を向ける。
 噂はすでに社内を駆け巡っている。
 その上でこんな問いを投げかけるのは、挑発以外の何物でもなかった。

「そうではなく……」
 否定しようとした瞬間、背後から低い声が割り込んだ。

「彼女の予定は、俺が管理している」

 悠真だった。
 鋭い眼差しが御曹司を射抜き、空気が一変する。



 二人の間に立ちすくむ私をよそに、視線がぶつかり合う。

「管理、とは穏やかではありませんね」
「事実だ。少なくとも、君のような軽い誘いに応じる余地はない」

「副社長、あなたこそ社長令嬢の立場を考えていますか? 社内で噂になるような真似ばかりでは——」

「噂を広めているのは君ではないのか」

 刹那、御曹司の笑みが崩れた。
 悠真の声は冷徹だったが、奥底に嫉妬の炎が燃えているのを私は感じ取っていた。

「悠真さん、やめて……」
 慌てて二人の間に割って入る。
 けれど悠真の手が私の腕を掴んだ。

「莉子。君は誰と帰る?」

 その問いは、御曹司ではなく私に突きつけられた。
 心臓が跳ねる。
 けれど、答えられない。
 “副社長”としての彼に迷惑をかけるわけにはいかないから。

「私は……一人で帰ります」

 精一杯の笑みでそう答えた。
 悠真の瞳が揺れ、次の瞬間、冷たく光る。

「そうか。なら好きにしろ」

 彼は腕を離し、背を向けて去っていった。



 残された私は、御曹司の視線を感じながら、どうしても胸の痛みを抑えられなかった。
 本当は違う。
 悠真と一緒に帰りたかった。
 でも、そう言えなかった。

 誤解の連鎖は止まらない。
 そしてそこに、確かな“嫉妬の影”が落ちていた。