晩餐会のホールは、光と音と人の熱気で溢れていた。
長いテーブルには銀の食器と色とりどりの料理、グラスの中で揺れる赤いワイン。
社交界の要人たちが談笑し、次々と乾杯の声が響く。
私はその中央に立っていた。
父の隣、そして噂の御曹司と並べられる形で。
煌びやかなドレスを纏っても、心は重く沈んでいた。
「皆さま、本日はお集まりいただきありがとうございます」
父の声が響く。
「このたび、我が娘・莉子と、立花家のご子息との婚約を取り決めました」
会場に拍手が広がる。
笑顔、祝福、羨望。
その中で、私は凍りついていた。
偽りの婚約。
本当は受け入れていない。
けれど、否定の言葉をこの場で口にすることもできない。
その瞬間。
低い声が会場のざわめきを裂いた。
「その話は、初耳だが」
振り向いた先に、悠真がいた。
黒のタキシードに身を包み、鋭い瞳で壇上を射抜いている。
会場の空気が一瞬にして張り詰めた。
「副社長……?」
ざわめく声。
悠真は歩み出て、私と御曹司の間に立った。
「彼女は——まだ誰のものでもない」
会場が静まり返る。
御曹司の顔が怒りに歪んだ。
「副社長、それはどういう意味ですか」
「文字通りの意味だ」
悠真の声は冷徹。けれどその奥に、熱が燃えている。
「彼女の笑顔を、軽々しく自分のものと錯覚するな」
その言葉は、御曹司だけでなく会場全体を震わせた。
「悠真さん……やめて」
思わず掴んだ袖。
けれど彼は振り返らない。
ただ私を守るように前に立ち続ける。
「偽りの婚約に意味はない。彼女は笑顔を作っているだけだ」
ざわめきが広がる。
社交界において、これはあまりに無謀な発言。
けれど、彼の声には揺るぎない力があった。
「莉子」
ようやく振り返った瞳は、冷たいはずなのに燃えていた。
「君は、誰のものだ?」
再び投げかけられる問い。
心臓が痛いほど高鳴る。
答えられない。
けれど、答えたい。
その葛藤の中で、会場の視線が突き刺さる。
父の険しい顔、御曹司の怒り、招待客の好奇の目。
すべてが私を追い詰めた。
「私は……」
声が震えた。
だがそのとき、悠真が一歩近づき、私の肩を強く抱いた。
「俺が答えよう」
その声は炎のように熱く、会場を切り裂いた。
「彼女は——俺のものだ」
会場に衝撃が走る。
御曹司が声を荒げ、父が立ち上がり、招待客たちが息を呑む。
けれど私の耳にはもう、何も届いていなかった。
悠真の腕の中で、心臓が爆発しそうなほど打ち続けていたから。
冷徹な副社長の仮面を破り、嫉妬と独占欲を露わにした悠真。
その炎に焼かれながらも、私は逃げることができなかった。
——偽りの婚約。
それはたしかに、嫉妬の炎を燃え上がらせる導火線になってしまったのだ。

