野いちご源氏物語 四〇 幻(まぼろし)

夏の暑い日、お池を見ながら(すず)んでいらっしゃると、花盛りの(はす)がお目に()まった。
極楽(ごくらく)浄土(じょうど)に咲く蓮を想像して悲しくなってしまわれる。
とくに何をするわけでもなくぼんやりなさっているうちに日が暮れていく。
(ひぐらし)が華やかに鳴くなかで、撫子(なでしこ)の花が夕日に照らされて美しい。
でもおひとりでご覧になってもつまらないの。
「今日もただ泣いて終わってしまった。蜩までうるさく鳴かずともよいのに」
愚痴(ぐち)をこぼされても、優しいことを言ってくださる方はもういない。

薄暗くなるとたくさんの(ほたる)が飛びかう。
妻との別れを悲しむ中国の詩をくちずさまれる。
(むらさき)(うえ)がお亡くなりになってから、昔の和歌も詩も、そういう内容のものばかり思い出されるの。
「蛍が思いに身を()がすのは夜だけだが、私は一日中悲しい」
この独り言もまた、夜の(やみ)に消えていく。

七夕(たなばた)の日も音楽会などはなさらない。
一日何もせずお暮らしになって、早々(はやばや)とご寝室にお入りになった。
織姫(おりひめ)彦星(ひこぼし)が一年ぶりに再会するのを見ようなんてお思いになれないし、女房(にょうぼう)たちもそうだったみたい。
眠りは浅く、深夜に目が覚めてしまわれた。
縁側(えんがわ)の戸をそっとお開けになると、お庭の花に(つゆ)がたくさん()りているのが見える。
「雲の上で再会をよろこんだ恋人たちも、もう別れの時間だろう。ふたりの涙であるこの露に、さらに私の涙も加わっていく」
()(えん)に立ちつくしてお目をぬぐわれる。