梅雨の時期になると、これまで以上に手持ち無沙汰でいらっしゃる。
ひさしぶりに月の光が明るく届いた夜、ご子息の大将様がお越しになった。
橘の花の懐かしい香りが室内に吹きこむ。
ほととぎすが鳴けばさらに風情があるとお思いになっているところへ、にわかに雨雲が空を覆った。
突然の土砂降りになる。
風も強くなって、渡り廊下に灯していた灯りが消えそうにゆらめく。
源氏の君は落ち着いていらっしゃる。
昔の中国の詩をくちずさむお声が美しい。
<紫の上に聞かせてさしあげたい>
大将様は独り占めするのが惜しい気がなさる。
「ひとりで暮らすのも特に問題はないが、やはりどことなく寒々しいものだな。出家して山寺に移ったときの練習だと思うことにしている。今から慣れておけば修行に集中しやすいだろう」
とおっしゃってから、女房に果物などを出すようお命じになる。
<淡々としておられるが、お心のうちは紫の上のことでいっぱいのようだ。これでは修行に集中などおできにならないだろう。ちらりと拝見しただけの私でさえ、紫の上のお姿は忘れられなかった。まして父君がお忘れになれないのは当然だ>
秋には一周忌がある。
「お亡くなりになったのはつい最近のような気がいたしますが、そろそろ一周忌でございますね。どのようにご法要をなさるおつもりでしょうか」
「あらためて特別なことをするつもりはない。法要でのお供え物も、ご自分で用意して亡くなったのだよ。僧侶と相談して決めていたらしい。法要はその僧侶の言うことに従って行おうと思う」
大将様は驚かれる。
「そこまで用意しておいででしたか。極楽往生のために用意して遺しておかれたのでしょうが、どうせならお形見の子をお遺しにならなかったことが残念でございます」
「もともと私は子どもが少ないからね。そういう運命なのだろう。そなたにはたくさん子が生まれているから、それで満足だ」
静かに微笑んでおっしゃる。
あまり紫の上のことを話そうとはなさらない。
話せば泣いてしまわれるから。
そこへやっとほととぎすが鳴いた。
「あの世とこの世を行ったり来たりできる鳥だと言うから、私の涙に誘われて、この世に飛んできたのだろうか」
源氏の君はじっと暗い空をご覧になる。
「父君の代わりに紫の上にお伝えてしておくれ。こちらでは橘の懐かしい香りに、あなた様を思い出していますよ、と」
大将様も涙ぐんでおっしゃって、そのまま二条の院にお泊まりになる。
父君を思いやって、大将様はときどきこちらで一晩過ごされるの。
紫の上がお元気だったころは、ご夫婦の寝室に近づくなんて許されなかった。
それが今では父君の寝息が聞こえるほどのところで控えていらっしゃる。
何もかも変わっていくのだと寂しい気がなさる。
ひさしぶりに月の光が明るく届いた夜、ご子息の大将様がお越しになった。
橘の花の懐かしい香りが室内に吹きこむ。
ほととぎすが鳴けばさらに風情があるとお思いになっているところへ、にわかに雨雲が空を覆った。
突然の土砂降りになる。
風も強くなって、渡り廊下に灯していた灯りが消えそうにゆらめく。
源氏の君は落ち着いていらっしゃる。
昔の中国の詩をくちずさむお声が美しい。
<紫の上に聞かせてさしあげたい>
大将様は独り占めするのが惜しい気がなさる。
「ひとりで暮らすのも特に問題はないが、やはりどことなく寒々しいものだな。出家して山寺に移ったときの練習だと思うことにしている。今から慣れておけば修行に集中しやすいだろう」
とおっしゃってから、女房に果物などを出すようお命じになる。
<淡々としておられるが、お心のうちは紫の上のことでいっぱいのようだ。これでは修行に集中などおできにならないだろう。ちらりと拝見しただけの私でさえ、紫の上のお姿は忘れられなかった。まして父君がお忘れになれないのは当然だ>
秋には一周忌がある。
「お亡くなりになったのはつい最近のような気がいたしますが、そろそろ一周忌でございますね。どのようにご法要をなさるおつもりでしょうか」
「あらためて特別なことをするつもりはない。法要でのお供え物も、ご自分で用意して亡くなったのだよ。僧侶と相談して決めていたらしい。法要はその僧侶の言うことに従って行おうと思う」
大将様は驚かれる。
「そこまで用意しておいででしたか。極楽往生のために用意して遺しておかれたのでしょうが、どうせならお形見の子をお遺しにならなかったことが残念でございます」
「もともと私は子どもが少ないからね。そういう運命なのだろう。そなたにはたくさん子が生まれているから、それで満足だ」
静かに微笑んでおっしゃる。
あまり紫の上のことを話そうとはなさらない。
話せば泣いてしまわれるから。
そこへやっとほととぎすが鳴いた。
「あの世とこの世を行ったり来たりできる鳥だと言うから、私の涙に誘われて、この世に飛んできたのだろうか」
源氏の君はじっと暗い空をご覧になる。
「父君の代わりに紫の上にお伝えてしておくれ。こちらでは橘の懐かしい香りに、あなた様を思い出していますよ、と」
大将様も涙ぐんでおっしゃって、そのまま二条の院にお泊まりになる。
父君を思いやって、大将様はときどきこちらで一晩過ごされるの。
紫の上がお元気だったころは、ご夫婦の寝室に近づくなんて許されなかった。
それが今では父君の寝息が聞こえるほどのところで控えていらっしゃる。
何もかも変わっていくのだと寂しい気がなさる。



