野いちご源氏物語 四〇 幻(まぼろし)

二条(にじょう)(いん)にいらっしゃるとお気持ちは(しず)一方(いっぽう)なので、(さん)(みや)様を連れて六条(ろくじょう)の院にお行きになった。
春の御殿(ごてん)には出家(しゅっけ)なさった(おんな)(さん)(みや)様が若君(わかぎみ)とお暮らしになっている。
三の宮様はさっそく若君とはしゃいで、桜の花が散るのを心配していたことなどすっかりお忘れなの。

尼宮(あまみや)様は仏像(ぶつぞう)の前でお(きょう)を読んでいらっしゃるところだった。
<それほど仏教に興味がおありだったとは思えないが、この世に未練(みれん)もなくて、今やすっかり修行(しゅぎょう)に集中なさっている。うらやましいのと同時に、深い考えもなく出家しただけの女性に置いていかれている(くや)しさもある>
少し苦々しいお気持ちでご覧になる。

仏様にお(そな)えしてある花が夕日に照らされて美しい。
「よい花ですね。春が好きだった人が亡くなりましたから、どの花を見てもつらくなってばかりでしたが、こうして仏様にお供えしてあると美しいと思えます」
ひさしぶりにお言葉がするすると出てくる。
「あの人の住んでいた離れの前にはめずらしいほど立派な山吹(やまぶき)がありましてね。(ふさ)の大きさが(なみ)(はず)れているのです。上品に咲くつもりなどない花なのでしょうが、華やかでにぎやかという点ではとてもおもしろい花です。植えた人がもうこの世にいないとは知らず、これまで以上にみごとに咲いているのが健気(けなげ)ですよ」

(あま)の私のところには春はやってまいりませんから」
お返事はそれだけで、源氏の君はがっかりなさる。
(むらさき)(うえ)はいつも私に寄り添って返事をしてくれた。幼いころから賢く聡明で、優しい人柄(ひとがら)だった>
お振舞いやお言葉を思い出されるうちに、また涙がこぼれ落ちる。