野いちご源氏物語 三八 夕霧(ゆうぎり)

いよいよお引越しの日、大将(たいしょう)様は乗り物やお(とも)小野(おの)派遣(はけん)なさって、(みや)様のお屋敷でお戻りを待っておられる。
宮様は帰りたくないとおっしゃるから、女房(にょうぼう)たちがおなだめする。
大和(やまと)(かみ)も申し上げる。
「このままこちらでお暮らしになるわけにはまいりません。母君(ははぎみ)を亡くされてお心細いご様子でいらっしゃいましたから、これまでは私がお世話させていただきました。しかしもう大和(やまとの)(くに)での仕事に戻らなければならないのです。大将様の他にご生活のお世話をお願いできる方はありません。

ご再婚と思えばたしかに軽々しくお(すす)めできませんが、とはいえ、ご身分の高い女性の不本意(ふほんい)なご結婚は昔から多くあったものでございます。宮様だけが世間の非難(ひなん)をお受けになるわけではありません。
おひとりでもやっていけるとお思いになりますのは、幼いお考えでございましょう。どれだけ堂々となさいましても、女性ひとりでご自分を守り、周りを警戒(けいかい)することなどおできになりません。やはり大将様にお世話されてこそ内親王(ないしんのう)として堂々とお暮らしになれるのです。宮様が具体的にどのようにお暮らしになりたいかはその後の問題です」

はっきりとご意見してから、女房たちを責める。
「こんなことはあなた方から申し上げておくべきことでしょう。大将様を平気で宮様に近づけるようなことはしておきながら、嫌われ役はしないのだから」
少将(しょうしょう)(きみ)をにらむ。

女房にも大和の守にもあれこれ言われて、宮様はやっとお着替えをなさる。
喪服(もふく)から色(あざ)やかなお着物をお召しになるのがおつらい。
切って(あま)になりたいとお思いの黒髪は、このところのお疲れで少し細くなったけれど、長く豊かなの。
それでもご自分では()けたようにお思いになる。
<ひどく(おとろ)えてしまった。結婚などできる姿ではない。何から何までつらい>
また()してしまわれる。

「ご出発のお時間です。夜が()けてしまいますので」
(とも)たちが騒がしい。
時雨(しぐれ)が風に流されるように吹いているのが悲しい。
母君(ははぎみ)火葬(かそう)(けむり)と一緒に空に上がってしまいたかった。そうすれば不本意なところへ流れていかなくてもよいのに」
とつぶやかれる。

ご出家の望みは捨てておられない。
ただ、女房たちも警戒して、はさみなどを隠してしまっている。
<私などたいした価値のある身でもないのに。そこまでしなくても、自分で(かみ)を切って尼になどなりはしない。余計に世間体(せけんてい)が悪いではないか>
内親王としての自尊心(じそんしん)がおありになるから、女房たちの警戒を苦々しくも腹立たしくもお思いになる。

女房や家来がどんどんお引越しの準備を進める。
お道具も運び出されていくから、宮様だけがお残りになるわけにもいかなくて、泣く泣く乗り物にお乗りになった。
いつもならお隣には(はは)御息所(みやすんどころ)がお座りだったの。
<この別荘に来たときは、ご病気でお苦しいにもかかわらず、私の髪をなでて整えて、乗り物から手を引いて降ろしてくださった>
母君の代わりに、お形見(かたみ)のお(きょう)を入れた箱をおそばに置かれる。
<母君が忘れられなくて、この箱を見るたび涙がこぼれる>
美しい細工(さいく)がしてある経箱(きょうばこ)だけれど、宮様のお目には涙でくもって映る。