野いちご源氏物語 三八 夕霧(ゆうぎり)

秋の山里の景色は美しいけれど物悲しい。
別荘からは僧侶(そうりょ)がお(きょう)を読む声ばかりが聞こえて、人の気配(けはい)はほとんど感じられない。
いよいよ寂しいお住まいに見えるの。

大将(たいしょう)様は(みや)様のお部屋の前の()(えん)にお上がりになった。
美しいお着物をお召しで、まぶしい夕日を(おうぎ)でさえぎっていらっしゃる。
女房(にょうぼう)たちはうっとりする。
<女なら誰でもこうありたいと思うようなお美しさだけれど、ここまで美しい女などめったにいない。拝見しているだけでも幸せになれそうだ>
大将様は少将(しょうしょう)(きみ)という女房をお呼びになった。

濡れ縁から(すだれ)をはさんですぐのところに宮様がいらっしゃるようだから、大将様は声をひそめて少将の君にお話しになる。
「もう少しこちらに。警戒(けいかい)せずともよい。こんな山里まで(きり)のなかやって来たのだから、真剣であることは分かるだろう」
少将の君はためらうけれど、大将様が何度もおっしゃるので仕方なく濡れ縁に出てきた。
ついたてを出して、その奥に座っている。

この人は亡き御息所(みやすんどころ)(めい)で、幼いころから御息所にお仕えしていた。
だから濃い色の喪服(もふく)を着ている。
「宮様のお悲しみはごもっともだが、どれだけお手紙をお送りしてもお返事がいただけないので、私もつらくなってしまった。(たましい)が抜けてしまったようになったから、会う人会う人に不思議がられている。もうこれ以上は我慢できないのだ。御息所からも結婚を許すというようなお手紙を頂戴(ちょうだい)したのに」
ひどくお泣きになる。

少将の君も泣きながらお返事する。
「お手紙をお書きになった夜、御息所は大将様のご訪問をお待ちでございました。それがご訪問どころかお返事さえなく、お苦しみになりながら宮様のご不運をお(なげ)きだったのです。外が暗くなりますと本当にもうお越しにならないのだと落胆(らくたん)なさいまして、そこに妖怪(ようかい)が本気を出したようでございます。婿君(むこぎみ)がお亡くなりになったときは、宮様をお支えしなければとお気を強くお持ちになっていましたが、今回は(ちから)()きてしまわれたのでしょう。
宮様と御息所は一心(いっしん)同体(どうたい)と申し上げてもよいような母娘でいらっしゃいましたから、母君(ははぎみ)がお亡くなりになって、宮様はご自分も亡くなったかのように茫然(ぼうぜん)とお暮らしなのでございます」
涙をぬぐいながらなんとか申し上げるけれど、大将様は現実的でいらっしゃる。

「そこなのだ。母君がお亡くなりになってご自分までぼけてしまわれるのは幼すぎるお心だろう。恐れ多い(もの)()いだが、これからどなたを頼って生きていかれるおつもりなのだ。入道(にゅうどう)上皇(じょうこう)様はご出家(しゅっけ)の身であられるのだから、ふつうの父親のようなお世話は期待できない。やはり私がお世話してさしあげるのが一番よいだろう。私に対して冷淡(れいたん)なご態度をおとりにならないようにと、あなたから宮様に申し上げてください。
そうなるくらいならいっそ死にたいとお思いになっても、そううまくはいきません。命が思いどおりになるのなら、そもそも母君とのお別れだってなかったはずではないか」
正論(せいろん)をおっしゃるけれど、少将の君はお返事のしようもない。
ただ悲しんでいる。

鹿(しか)が激しく鳴く。
「鹿だけではありませんよ。遠い小野(おの)までやって来て冷たく追い払われては、私も泣きたい」
大将様が悲しそうにつぶやかれるので、
「喪服を着た私もこの山里でずっと泣いております」
とかろうじてお返事した。
場の雰囲気にあった同情できる返事だと大将様はお思いになる。

宮様に大将様のお言葉をお伝えするけれど、宮様はお返事なさるおつもりはない。
「まだ悪い夢から覚めませんから、落ち着きましたらお見舞いのお礼を申し上げます」
と言い切って、話を終わらせてしまわれる。
<お優しさのかけらもない>
嘆きながら大将様はお帰りになった。