天気……昼間は晴れて暑かったが、日が沈むと少し涼しくなり、空には三日月が出ていた。三日月はバナナのような色と形をしていて、空に浮かぶバナナボートのように見えて、楽しくて、メルヘンチックな気分になった。

レストランの厨房で調理される寸前になっていたカエルたちを見つけて、危機一髪、助けることができたことで、ぼくは、ひとまずほっとしていた。しかしぼくの心配の種は尽きなかった。一方に気を取られると、他方がおろそかになるという言葉が、ぼくの心の中から離れなかったからだ。ぼくと老いらくさんが、厨房を回ってカエルたちを助けようとして奔走している間に、町のあちこちに害虫の駆除に出かけていったカエルたちは無事でいただろうか。そのことがずっと気がかりだったので、夕方になってカエルたちが翠湖公園に帰ってくるまでは安心できないとぼくは思っていた。日暮れが近づくと、ぼくと老いらくさんは眼鏡橋の上で、団員たちが帰ってくるのを、じりじりしながら待っていた。
日がどっぷり暮れて夜のとばりが降りてきたころ、カエルたちがようやく翠湖公園に帰ってきた。まず最初に中音部の団員たちが眼鏡橋を渡って公園の中に帰ってきた。
「お疲れ様でした。みんな無事でしたか」
ぼくは中音部のリーダーに、ねぎらいの言葉をかけた。
「ありがとう。みんな無事です」
中音部のリーダーが、そう答えたので、ぼくはほっとした。
それからしばらくしてから高音部の団員たちが帰ってきた。
「暑い中、ご苦労様でした。みんな無事でしたか」
ぼくは高音部のリーダーに、安否の確認をした。
「ありがとう。みんな元気に帰ってきました」
高音部のリーダーが、そう答えたので、ぼくはほっとした。
最後に低音部の団員たちが帰ってきた。
「お仕事、ご苦労様です。みんな無事でしたか」
ぼくは低音部のリーダーに、疲れをねぎらってあげた。
「……」
返事が返ってこなかった。ぼくの声が聞こえなかったのだろうかと思って、ぼくはもう一度、低音部のリーダーに
「みんな無事でしたか」
と、聞いた。すると低音部のリーダーは首を横に振って
「サカダチ―がいなくなった」
と答えた。それを聞いて、ぼくは、(しまったー)と思った。サカダチ―というのは、言うまでもなくツヨシ―のことで、ぼくが一番心配していたカエルだったからだ。ぼくと老いらくさんが厨房に行って、カエルたちの救出活動をしているすきに乗じて、どこかで人に捕まえられてしまったのだ。捕まえたのは、おそらくあの二人組のリキシーとオカマーに違いない。ぼくはそう思った。もし、ぼくが今朝、ツヨシ―が所属している低音部についていっていたら、こういうことにはならなかったはずだ。そう思うと、ぼくは今、とても後悔していた。でも、もしそうしていたら、厨房で調理される直前にまで追い込まれていたカエルたちの運命は、どうなっていただろうか。ぼくはそう思うと、両立させることの難しさをつくづくと感じざるを得なかった。起きてしまった悲しい出来事を、あれこれ考えても仕方がないから、ツヨシ―を探しに行くことはいったん棚にあげて、今、差し迫っている問題についてまず対策を打たなければと、ぼくは思った。厨房にはまだたくさんのカエルたちが水がめや水槽や、いけすの中に閉じ込められていて、お客さんから注文があり次第、命を奪われて調理される危機に瀕していたからだ。時間が切迫している。今はちょうどディナータイムだから、レストランの中にはお客さんがたくさんいて、その中には珍しいカエル料理に興味を示して注文する人がいるかもしれない。早く手を打たないと、取り返しのつかない状況になってしまう。ぼくはそう思ったので、カエルの団長に会って実情を話して、どのようにしたら厨房にいるカエルたちを救出するための手を打つことができるかを相談した。団長はしばらく考えてから
「おれたちには歌で励ますことしかできない」
と、言った。
「それでもいいのではないでしょうか。聞き覚えのある歌が間近で聞こえてきたら、みんなで助けに来てくれているのだと思って、励みに思うカエルがいるかもしれません」
ぼくはそう答えた。
「そうだな。歌にどれほどの力があるか分からないが、たとえ命を奪われることになっても、その直前に、みんなでいっしょに歌った歌が聞けたら、ほっとしながら旅立っていけるかもしれない」
団長がそう言った。団長はそれからまもなく、団員たちに事情を話して、仲間たちを救出にいかせることにした。ぼくが先導役を務めて、すぐあとに団長が続き、そのあと団員たちが続いて、グルメ街をめざした。カエルたちはみんないきりたっていたので、パートごとに別れて隊列を組む余裕はなくて、雑然と混じりあって、ばらばらに歩いていた。カエルたちは昼間の疲れをものともせずに、意気込んで、気勢をあげながら夜の街へ出ていった。通りにはたくさん人たちがいて、物珍しそうな顔をしながらカエルたちが、気色ばんで歩いているのを見ていた。カエルたちはどこへ行くのだろうと思って、カエルたちの長い行列のあとから興味深そうについてくる人たちもいた。
しばらくしてから、ぼくはカエルの長い隊列を無事にグルメ街へ連れてくることができた。今はちょうどディナータイムのまっただ中だったので、たくさんの人たちが、楽しそうに食事をしたり、お酒を飲んだりしていた。グルメ街の通りの真ん中には花壇がこしらえてあって、ヒャクニチソウやマリーゴールドの花がたくさん咲いていた。
「みんなよく聞け。これからみんなでこの花壇の中に入って歌うことにする。きれいな合唱になるようにパートごとに分かれろ」
団長がよく通る声で、団員たちにそう言っていた。それを聞いて、それまでばらばらだった団員たちは、パートごとに、きちんと並び始めた。列が出来上がると、団長がうなずいて合図を送り、それからまもなくカエルたちの大合唱が始まった。どのパートも声を張り上げて、地面を揺り動かすほどの迫力で高らかに歌っていた。団員たちの声は、レストランの中で食事をしていた人たちの耳にも届くほど大きかったので、食事の途中で、はしをおいて、何が起きたのかを見にくる人もいるほどだった。
カエルたが、ここへやってきた目的について、見物人たちは憶測を交わしていた。
「カエルたちの合唱はきれいだけども、何かを訴えているようにも聞こえるわ」
若い女の人が、そう言った。
「そうだね。歌の中に何か怒りがこめられているように感じられる」
若い男の人が、そう答えていた。
「歌っているというよりも、抗議の声をあげているように見える」
中年の男の人は、そう言っていた。
「何に抗議しているのかしら。何か不満なことでもあるのかしら」
中年の女の人は、そう答えていた。
「もしかしたら、我々がカエルの肉を食べることに抗議しているのではないだろうか」
中年の男の人が、そう言った。
「……」
中年の女の人は答に詰まっていた。
それからしばらくしてから、突然、
「カエルが逃げたぞ、早く捕まえろ」
という、いきりたった男の声が聞こえた。声がしたほうを見ると、トノサマガエルが三匹、近くのレストランの裏口から勢いよく飛び出してきて、花壇の中に飛び込んでいくのが見えた。そのカエルたちは合唱団の歌声を聞いて、励みに思って力をふるって逃げ出してきたのは明らかだった。追いかけてきた男は花壇の中に荒々しく入ってきて、一匹のカエルを捕まえて、右手にさげていたビニール袋の中にいれた。その瞬間、ぼくはその男の右手に鋭くかみついた。男はびっくりして、ぼくを振り払ってから、ビニール袋を持って店の中に戻っていった。
ぼくがかみついているところを写真に撮った女の人が
「この猫はたいした猫ですね」
と言って感心していた。それを聞いて別の女の人が
「そうですね。正義感にあふれる猫ですね」
と答えて、ぼくを称賛していた。
「不正に立ち向かっていく勇敢な猫だわ」
と、ぼくをほめてくれる女の人の声も聞こえてきた。ぼくは当たり前のことをしただけなので、耳がこそばゆく感じたが、悪い気はしなかった。
団員たちの合唱を聞いて、ほかのレストランの裏口からもカエルたちが次々と飛び出してきて、花壇の中に飛び込んでいった。
それからまもなく、テレビ局のリポーターとカメラマンと新聞記者がグルメ街にやってきた。あの有名なニュースキャスターの姿もあった。強いスポットがニュースキャスターの顔を照らして、ニュースキャスターはまぶしそうな顔をしながら、マイクを持って、現場からの生中継を始めた。
「みなさん、こんばんは。わたしは今、この町のグルメ街に来ています。先日、『リンゴ広場』にやってきたカエル合唱団が今夜は、ここに来て歌っています。カエルたちが何を歌っているのかは、わたしには分かりませんが、声の調子から何かを訴えているように聞こえます。このグルメ街にやってきたということは、もしかしたら『わたしたちを食べないで』と訴えているのかもしれません」
ニュースキャスターが、そう言っていた。さすがにとても人気があるニュースキャスターだけあって、いいことを言ってくれるなあと思って、ぼくは感心しながら聞いていた。この人がこのように言ってくれたから、カエル料理を食べようとする人は、これからは、ぐんと減っていくのではないだろうかと、ぼくは思った。
ニュースキャスターはそのあとマイクを見物人の一人に向けていた。
「あのうー、ちょっといいですか」
「はい、何でしょう」
マイクを向けられた中年の男の人が、インタビューに応じていた。
「ちょっとご感想をお聞かせいただけないでしょうか」
ニュースキャスターが丁重に聞いていた。
「そうですね。ぼくにもカエルたちが食べられることに抗議をしているように聞こえます。カエルたちは、ぼくたち住民のためにハエやカを駆除して多大な貢献をしてくれているのに、捕まえて食べるのはとても恥ずかしいことだと思います」
マイクを向けられた男の人は、そう答えていた。
ニュースキャスターは、そのあと若い女の人にマイクを向けていた。
「あなたは、ここにいるカエルたちをどう思っていますか」
「そうですね。人はみな良識に目覚めて、カエルの肉を食べることはやめるべきだと思います」
若い女の人は、そう答えていた。
ニュースキャスターは、そのあと男の子にマイクを向けていた。
「ぼうやは、カエルたちを見て、どう思う?」
「ぼくはカエルの肉は絶対に食べないことにする」
男の子がそう答えていた。
テレビ局のニュースキャスターやカメラマンや、新聞社の記者がここに来て取材してくれたことによって、これから社会全体に大きな反響が呼び起こされるのは間違いないと、ぼくはこの時思った。
夜が更けるにつれて、それまでにぎわっていたグルメ街も人通りがだんだん少なくなってきた。それでもカエルたちはまだ花壇の中で歌い続けていた。店のほとんどは、もう閉まっていたが、従業員の出入り口である裏口のドアはまだ、かすかに開いていた。そのドアのすき間を通り抜けて、十匹ほどのカエルが従業員の目を盗むようにして外に出てきた。カエルたちは歌に誘われるようにして花壇の中に飛び込んでいって、歌っていたカエルたちと合流していた。カエルたちを見て追いかけてくる人は、ほとんどいなかった。見て見ぬふりをしていたのかもしれない。ぼくはそう思った。お客さんたちだけでなくて、料理人たちも良心に目覚めて、カエルを殺して調理することに後ろめたさや、やましい思いを抱いて、もしかしたら自分から進んでカエルたちを解放してくれたのかもしれないと、ぼくは思った。もしそうだとしたら、これは何とうれしいことだろう。ぼくはそう思って、心の中でくつくつしていた。
それからまもまく、ぼくは再びカエル合唱団の団員たちを引き連れて翠湖公園に帰っていった。団長は、ぼくにお礼を言ってから、帰ってきた団員たちの数を改めて数え始めた。捕まえられていった団員たちのほとんどは無事に帰ってくることができた。しかしそれでもまだ数匹足りなかった。
「団長、大変なことが起きました」
高音部のリーダーが青ざめた顔で、そう言った。
「何だ。何が起きたのだ?」
団長が間髪を入れずに聞き返した。
「団長の奥さんが……」
高音部のリーダーが言いかけて、口をつぐんだ。
「何、どうしたのだ。オンプーに何かあったのか」
団長が顔の表情をこわばらせていた。
「姿が見当たらなくなりました」
高音部のリーダーがそう答えた。
「……」
団長は驚きのあまり、茫然としていた。
レストランの厨房の中から逃げ出してきたカエルが、団長の前に出てきて
「オンプーは、ぼくを追いかけてきた人に捕まって、連れていかれました。ぼくのせいです。ぼくが逃げ出したばかりに……」
と言って、とても申し訳なさそうな顔をしながら団長に謝っていた。それを聞いて、ぼくは内心、じくじたる思いがした。オンプーを捕まえたのは、ぼくがかみついた、あの男かもしれないと思ったからだ。歌を聞いて逃げ出したカエルを追って厨房から出てきた男は、花壇の中で歌っていた別のカエルを一匹捕まえて、レストランに戻っていった。あの時のカエルが団長の奥さんだったとは、まさか夢にも思ってもいなかった。