天気……この町は四方が山で囲まれていて、盆地のようなところだから、夏は暑くて気温が上がる。夕立もよく降る。一雨ごとに草木はすくすくと成長し、雑草も伸びてくる。
翠湖公園は静かで環境がよいところなので、太極拳をするために朝早く、この公園に集まってくる人がたくさんいる。天気に関係なく、雨の日もやってきて、太極拳をしている。お年寄りが多いが、みんな元気で、周りの人と型を合わせながら、ゆるやかな動作で、この健康体操をしている。
今朝はいつも以上に公園にやってくる人が多いように思えた。すべての人が太極拳をするために来たのではないように感じた。実際、そうだった。歩行者天国の『リンゴ広場』で歌っていたカエルたちが、そのあと翠湖公園に帰っていったことをテレビや新聞のニュースで知った人たちが、見物がてらに公園に来ていた。特にお目当ては、二本足で逆立ちをしながら歩いたり歌ったりしている奇形ガエルだった。見物に来た人たちは目を皿にしながら、湖畔で、その奇形ガエルを探していた。マスコミで大きく取り上げられていたので、どのカエルだと思って、人々の注目を集めていたからだ。
「ツヨシ―は、どこにいるの」
「ツヨシ―の写真を撮りたいわ」
「ツヨシ―の歌を聞きたいわ」
いつのまにか、その奇形ガエルは、人々からツヨシ―と呼ばれていた。後ろ足はなくても前足だけで歩けるので、体が強いカエルだと思われて、そのように呼ばれていたのだろうと、ぼくは思った。人々が奇形ガエルに親しみを持ってくれていることを知って、ぼくはとてもうれしくなった。
当のツヨシ―はその時、湖畔から少し離れた眼鏡橋の上にいた。眼鏡橋は翠湖公園の出入り口付近にあって、この橋を渡ったら町へ出ることができる。眼鏡橋の上には今、ちょうど、これから害虫の駆除に出かけるカエルたちがパートごとに並んでいて、団長の出発の合図を待っているところだった。カエルたちは高音部、中音部、低音部の順に並び、ツヨシ―は低音部の前から二番目に逆立ちをしながら並んでいた。
「あの奇形ガエルも行かせるのですか」
ぼくは不安に思って団長に聞いた。
すると団長が
「もちろんだよ。みんなといっしょに行きたいと言っているから」
と答えた。
「でも、あのカエルは前足で逆立ちをしながら歩いているので、飛んでいるハエやカを捕まえることができないではないですか」
失礼を顧みずに、ぼくは思っていることを正直に話した。すると団長が、ぼくの心配を一笑に付した。
「害虫がいるのは空中とは限らないではないか。サカダチ―は、地面にいる害虫を駆除することができる」
団長が確固とした信念をもって、そう言った。
「あの奇形ガエルは、サカダチ―と呼ばれているのですか」
ぼくは団長に聞いた。
「そうだよ。あのカエルは、団員からとても人気があって、そう呼ばれている」
団長がそう答えた。
「そうですか。人間からはツヨシ―と呼ばれています」
ぼくはそう答えた。
「そうか。体が強いからな」
団長がそう言った。
それからまもなく、団長が、それぞれのパートに、気をつけて行ってきて、ハエやカをしっかり駆除して、夕方になったら、みんな無事に帰ってくるようにと訓示を垂れていた。
団員たちは、それを聞いて異口同音に
「分かりました」
と、力強い声で答えていた。
団員たちはパートごとにリーダーを先頭にして、公園を出ていった。団員たちは、どのパートも大きな声で元気よく歌いながら、人々の注意を喚起して、威風堂々と歩いていた。ぼくもついていった。団員たちは、もうすでに、昨夜、ぼくのあとについて下調べに行っていたので、それぞれの担当地域へ行くまでの道筋をきちんと覚えていた。高音部、中音部、低音部のどのパートも、リーダーのすぐあとを奇形ガエルが歩いていて、人の目につきやすいようにしていた。低音部の前から二番目を歩いているツヨシ―は逆立ちをしているので、とても目立っていた。
「あ、いたぞ。あそこにツヨシ―がいたぞ」
低音部の団員たちが公園を出た直後に、野太い声がした。ぼくはびっくりして、声がしたほうを見た。するとそこに相撲取りのような、体の大きい男がいた。年の頃は四十前後に見えた。
「あっ、本当だ。どこに行くのでしょう」
もやしのように、ひょろひょろとやせた若い男が、そう答えた。年の頃は二十前後。男のくせに、女のような服を着ていて、おかまっぽい男だった。
「早く、あとをつけろ」
体の大きい男が、そう言った。ぼくは、その男のことをリキシーと呼ぶことにした。力士のように見えたからだ。
「はい、ボス、あとをつけます」
おかまっぽい男が、そう答えていた。ぼくは、その男をオカマーと呼ぶことにした。
(この二人の男は何か悪いことをたくらんでいる)
ぼくは直感的にそう思った。この男たちから絶対に目を離すわけにはいかない。もし、この男たちがツヨシ―に何かしようとしたら、かみついてツヨシ―を守ってやらなければならない。ぼくは心に固くそう決めて、男たちのあとをつけていた。
それからしばらくしてから、ぼくは背後から不意に
「笑い猫」
と声をかけられた。びっくりして後ろを振り返ると、老いらくさんだった。
「どうしたのですか」
ぼくは聞き返した。
「さっき翠湖の湖畔に行ったら、カエルたちはもうみんな害虫の駆除に出かけたあとだったので、急いで追ってきたのだ」
老いらくさんが息を切らしながら、そう言った。
「老いらくさん、今、不穏な空気が流れています」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「どうしたのだ?」
老いらくさんが案じていた。
「前を行く、あの二人の男が何か悪いことをたくらんでいます。ツヨシ―に目をつけています」
ぼくはそう言った。
「ツヨシ―って誰だ?」
老いらくさんがけげんそうな顔をしていた。
「後ろ足がなくて、前足で逆立ちをしながら歩いている、あの奇形ガエルです」
ぼくはそう説明した。
「ああ、思い出した。あのカエルか」
老いらくさんが、そう言った。
「昨日、歩行者天国の『リンゴ広場』で歌っていた時に、テレビ局のカメラマンからクローズアップして写真を撮られました。ニュースで報道されて一躍有名になりました」
ぼくはそう答えた。
「そうか。それであの二人の男が追いかけているのか。いいではないか。有名になって、ツヨシ―もうれしいのではないか」
老いらくさんが、そう言った。ぼくはそれを聞いて首を横に振った。
「違います。あの男たちにはどこか怪しいところがあります。何か悪いことをたくらんでいます」
ぼくはそう言った。
「どうしてそう思うのか?」
老いらくさんが不可解な顔をしていた。
「ぼくの勘ですが、あの二人は怪しすぎます」
ぼくはきっぱりと、そう断定した。
「分かった。ではおれも、これから、あの男たちのあとをつけていこう」
老いらくさんが、そう言った。それからまもなく、ぼくと老いらくさんは男たちに気づかれないように、少し距離を置きながら、男たちを尾行していた。
老いらくさんが歩きながら言った。
「もしお前の言うとおりに、あの男たちがツヨシ―に目をつけているとしたら、どうしてだろうか。人間はカエルの肉を食うが、一番おいしい部分は、筋肉が発達している後ろ足の部分だ。後ろ足がないツヨシ―に、どうして目をつけるのだろうか」
老いらくさんが小首をかしげていた。
「理由はぼくにも分かりません。もしかしたら、ほかの目的で目をつけているのかもしれません」
ぼくはそう答えた。
「有名になったカエルをつかまえて、見世物にして商売をしようと思っているのかもしれない」
老いらくさんが、そう言った。
「そうかもしれません」
ぼくはそう答えた。
「いずれにせよ、あの男たちは何か悪いことをたくらんでいるような気がするから、ずっとついていきましょう」
ぼくがそう言うと、老いらくさんがうなずいた。
それからまもなく、高音部、中音部、低音部に分かれたカエルたちは、それぞれの担当地域に着いたので、ハエやカの駆除を始めた。ハエやカがたくさんいる場所を老いらくさんは知っているので、老いらくさんは、カエルたちが効率よく駆除できるように、それぞれの地域を忙しく、ばたばたと回って、カエルたちをその場所へ導いていた。ぼくはずっと低音部に張り付いていて、ツヨシ―を虎視眈々とした目で狙っている二人の男を監視していた。
ハエやカは今の時季が一番多いので、駆除するのは大変だが、カエルたちはみんな一生懸命働いて、駆除に一役買っていた。人間も殺虫剤や蚊取り線香を使って、ハエやカの駆除をおこなっていたが、ハエやカの数が多すぎて、対処できないでいた。思わぬ、すけっとがやってきたので、人間はカエルたちにとても感謝しながら、温かい目でカエルたちの駆除の様子を見守っていた。ハエやカは、思いがけない、すけっとの出現に、びっくりして逃げ回っていた。今までは殺虫剤や蚊取り線香に気をつけるだけでよかったが、今はカエルたちに食べられないように注意しなければならなくなったからだ。カエルたちはジャンプ力に優れていて、飛んでいるハエやカをつかまえることができるので、ハエやカにとって油断できない大敵となった。カエルたちは空中でハエやカをつかまえることは得意としていたが、床にじっとしているハエやカは見落とすことが多くて、捕まえるのをやや苦手としていた。カエルの目は頭の上についているから、下が見えにくいのではないかと、ぼくは思った。ハエやカの中には、そのことを知ってか知らずにか、難を逃れるために、わざと床の上にはいつくばって、じっとしているものもいた。ところが、たくさんいるカエルの中に、一匹だけ、ほかのカエルとは違って、逆立ちをしながら、床をじっと見て、床の上にいるハエやカを駆除しているツヨシ―がいるとは、ハエやカは思ってもいなかったようだった。ツヨシ―はひたすら下を向いて床にいるハエやカを駆除することに専念していた。ツヨシ―は、この時、二人の男が、自分の姿をじっと見ていることに少しも気がつかないでいた。空気が張りつめていたその時、老いらくさんが、ぼくの近くへ戻ってきた。
「高音部と中音部のカエルたちをハエやカがたくさんいる場所へ連れていったよ。今度は低音部のカエルたちを連れていくことにするよ」
老いらくさんが、そう言った。
「ありがとう。でも今、ツヨシ―の身に危険が迫っています。行かないで、しばらくここにいてください」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「分かった。そうするよ」
老いらくさんが、そう答えた。
それからまもなく、思っていたとおり、二人の怪しい男、リキシーとオカマーが不審な動きを始めた。二人とも抜き足差し足で、ツヨシ―のすぐ近くまで歩み寄っていった。二人とも手にビニール袋を持っていた。それを見て、ツヨシ―を捕まえようとしているのが、一目瞭然だった。
「笑い猫。いけー」
老いらくさんが、そう言った。言われるまでもなく、ぼくは少しもひるむことなく、力士のような大きな体をしたリキシーに飛びかかっていった。左足の太ももに鋭くかみついて、手で払われてもしばらく離さなかった。リキシーの太ももから血がにじみでて、リキシーは痛がって、ツヨシ―を捕まえるどころではなくなった。老いらくさんはオカマーの足の前に体を持ってきて、つまずかせて、地面に倒した。擦り傷ができたオカマーは痛がって女々しい声で「痛い、痛い」と言って、泣きそうな顔をしていた。
ぼくと老いらくさんがリキシーとオカマーに向かっていって、勝ったのを見て、ツヨシ―はびっくりして茫然自失となっていた。
「何をぼんやりしているのだ。早く、逃げろ」
ぼくはツヨシ―に、そう言った、それを聞いて我に返ったツヨシ―は、それからまもなくさっと逃げていって、すぐに姿が見えなくなった。それを確認して、ぼくはふーっと思わず、安堵のため息をついた。そのあとすぐ老いらくさんといっしょに急いで、その場を離れた。
「くそー、あの猫のおかげで、とんだ目に遭った。覚えていろ。この借りは絶対に返すからな」
リキシーが荒々しい声で怒鳴るのが後ろから聞こえてきた。
「まったく、そうですよね、わたしたち、何か悪いことをしましたか」
オカマーは女みたいな声で、そう言っていた。
ツヨシ―はたぶん、翠湖公園に帰っていったのだろうと思ったので、ぼくと老いらくさんも翠湖公園に帰っていった。ツヨシ―に会って、動揺している心を慰めたり、これからは、駆除に専念するだけでなく、周囲の人間にも常に気をつけるように言うつもりでいた。ところが翠湖公園に帰ってから、どんなに探してもツヨシ―の姿を見つけることはできなかった。ツヨシ―だけでなく、ほかのカエルたちの姿もまったくなかった。まだ日が暮れる前なので、途中で何か危険な目に遭ったとしても、仕事を切り上げて公園に帰ってこないようにしているのだろうかと、ぼくは思った。
日が暮れて、辺りが暗くなってきた頃、ようやくカエルたちが、一日の仕事を終えてパートごとに隊列を組んで、翠湖公園に帰ってきた。一番最初に帰ってきたのは中音部のカエルたちだった。そのあと高音部のカエルたちが帰ってきた。そして一番最後に低音部のカエルたちが帰ってきた。低音部の前から二番目に逆立ちをしながら歩いているツヨシ―の姿があった。元気そうに見えたので、ぼくは、ほっとした。
ぼくはそのあと団長に、今日、ツヨシ―が捕まえられそうになったことを話した。それを聞いて団長は、ツヨシ―を前に呼び出して
「お前は今日、危ない目に遭ったそうだな。世の中には、いい人ばかりいるとは限らないから、これからは、くれぐれも気をつけろよ」
と言って、諭していた。それを聞いて、ツヨシ―は神妙な顔をして、うなずいていた。
「分かりました。これからは人の陰険な気配を察知して、気をつけるようにします」
ツヨシ―が、そう答えていた。
ぼくはそのあと団長に
「今日のようなことがありますから、ツヨシ―、いえ、サカダチ―は、もうこれからは外には出さないほうが、いいのではないでしょうか」
と提案した。すると団長はツヨシ―と話をしてから
「いや、どうしても行くと言っている。ほかのカエルにはできにくい場所の駆除があるから、ぼくが行かない限り、この町からハエやカを一掃することができないので、絶対に行くと言っている」
と言った。
ぼくはそれを聞いてツヨシ―の優しさに感動せざるを得なかった。それと同時に、ぼくは命を張ってでも、責任を持ってツヨシ―を守ることを、団長に固く誓った。
翠湖公園は静かで環境がよいところなので、太極拳をするために朝早く、この公園に集まってくる人がたくさんいる。天気に関係なく、雨の日もやってきて、太極拳をしている。お年寄りが多いが、みんな元気で、周りの人と型を合わせながら、ゆるやかな動作で、この健康体操をしている。
今朝はいつも以上に公園にやってくる人が多いように思えた。すべての人が太極拳をするために来たのではないように感じた。実際、そうだった。歩行者天国の『リンゴ広場』で歌っていたカエルたちが、そのあと翠湖公園に帰っていったことをテレビや新聞のニュースで知った人たちが、見物がてらに公園に来ていた。特にお目当ては、二本足で逆立ちをしながら歩いたり歌ったりしている奇形ガエルだった。見物に来た人たちは目を皿にしながら、湖畔で、その奇形ガエルを探していた。マスコミで大きく取り上げられていたので、どのカエルだと思って、人々の注目を集めていたからだ。
「ツヨシ―は、どこにいるの」
「ツヨシ―の写真を撮りたいわ」
「ツヨシ―の歌を聞きたいわ」
いつのまにか、その奇形ガエルは、人々からツヨシ―と呼ばれていた。後ろ足はなくても前足だけで歩けるので、体が強いカエルだと思われて、そのように呼ばれていたのだろうと、ぼくは思った。人々が奇形ガエルに親しみを持ってくれていることを知って、ぼくはとてもうれしくなった。
当のツヨシ―はその時、湖畔から少し離れた眼鏡橋の上にいた。眼鏡橋は翠湖公園の出入り口付近にあって、この橋を渡ったら町へ出ることができる。眼鏡橋の上には今、ちょうど、これから害虫の駆除に出かけるカエルたちがパートごとに並んでいて、団長の出発の合図を待っているところだった。カエルたちは高音部、中音部、低音部の順に並び、ツヨシ―は低音部の前から二番目に逆立ちをしながら並んでいた。
「あの奇形ガエルも行かせるのですか」
ぼくは不安に思って団長に聞いた。
すると団長が
「もちろんだよ。みんなといっしょに行きたいと言っているから」
と答えた。
「でも、あのカエルは前足で逆立ちをしながら歩いているので、飛んでいるハエやカを捕まえることができないではないですか」
失礼を顧みずに、ぼくは思っていることを正直に話した。すると団長が、ぼくの心配を一笑に付した。
「害虫がいるのは空中とは限らないではないか。サカダチ―は、地面にいる害虫を駆除することができる」
団長が確固とした信念をもって、そう言った。
「あの奇形ガエルは、サカダチ―と呼ばれているのですか」
ぼくは団長に聞いた。
「そうだよ。あのカエルは、団員からとても人気があって、そう呼ばれている」
団長がそう答えた。
「そうですか。人間からはツヨシ―と呼ばれています」
ぼくはそう答えた。
「そうか。体が強いからな」
団長がそう言った。
それからまもなく、団長が、それぞれのパートに、気をつけて行ってきて、ハエやカをしっかり駆除して、夕方になったら、みんな無事に帰ってくるようにと訓示を垂れていた。
団員たちは、それを聞いて異口同音に
「分かりました」
と、力強い声で答えていた。
団員たちはパートごとにリーダーを先頭にして、公園を出ていった。団員たちは、どのパートも大きな声で元気よく歌いながら、人々の注意を喚起して、威風堂々と歩いていた。ぼくもついていった。団員たちは、もうすでに、昨夜、ぼくのあとについて下調べに行っていたので、それぞれの担当地域へ行くまでの道筋をきちんと覚えていた。高音部、中音部、低音部のどのパートも、リーダーのすぐあとを奇形ガエルが歩いていて、人の目につきやすいようにしていた。低音部の前から二番目を歩いているツヨシ―は逆立ちをしているので、とても目立っていた。
「あ、いたぞ。あそこにツヨシ―がいたぞ」
低音部の団員たちが公園を出た直後に、野太い声がした。ぼくはびっくりして、声がしたほうを見た。するとそこに相撲取りのような、体の大きい男がいた。年の頃は四十前後に見えた。
「あっ、本当だ。どこに行くのでしょう」
もやしのように、ひょろひょろとやせた若い男が、そう答えた。年の頃は二十前後。男のくせに、女のような服を着ていて、おかまっぽい男だった。
「早く、あとをつけろ」
体の大きい男が、そう言った。ぼくは、その男のことをリキシーと呼ぶことにした。力士のように見えたからだ。
「はい、ボス、あとをつけます」
おかまっぽい男が、そう答えていた。ぼくは、その男をオカマーと呼ぶことにした。
(この二人の男は何か悪いことをたくらんでいる)
ぼくは直感的にそう思った。この男たちから絶対に目を離すわけにはいかない。もし、この男たちがツヨシ―に何かしようとしたら、かみついてツヨシ―を守ってやらなければならない。ぼくは心に固くそう決めて、男たちのあとをつけていた。
それからしばらくしてから、ぼくは背後から不意に
「笑い猫」
と声をかけられた。びっくりして後ろを振り返ると、老いらくさんだった。
「どうしたのですか」
ぼくは聞き返した。
「さっき翠湖の湖畔に行ったら、カエルたちはもうみんな害虫の駆除に出かけたあとだったので、急いで追ってきたのだ」
老いらくさんが息を切らしながら、そう言った。
「老いらくさん、今、不穏な空気が流れています」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「どうしたのだ?」
老いらくさんが案じていた。
「前を行く、あの二人の男が何か悪いことをたくらんでいます。ツヨシ―に目をつけています」
ぼくはそう言った。
「ツヨシ―って誰だ?」
老いらくさんがけげんそうな顔をしていた。
「後ろ足がなくて、前足で逆立ちをしながら歩いている、あの奇形ガエルです」
ぼくはそう説明した。
「ああ、思い出した。あのカエルか」
老いらくさんが、そう言った。
「昨日、歩行者天国の『リンゴ広場』で歌っていた時に、テレビ局のカメラマンからクローズアップして写真を撮られました。ニュースで報道されて一躍有名になりました」
ぼくはそう答えた。
「そうか。それであの二人の男が追いかけているのか。いいではないか。有名になって、ツヨシ―もうれしいのではないか」
老いらくさんが、そう言った。ぼくはそれを聞いて首を横に振った。
「違います。あの男たちにはどこか怪しいところがあります。何か悪いことをたくらんでいます」
ぼくはそう言った。
「どうしてそう思うのか?」
老いらくさんが不可解な顔をしていた。
「ぼくの勘ですが、あの二人は怪しすぎます」
ぼくはきっぱりと、そう断定した。
「分かった。ではおれも、これから、あの男たちのあとをつけていこう」
老いらくさんが、そう言った。それからまもなく、ぼくと老いらくさんは男たちに気づかれないように、少し距離を置きながら、男たちを尾行していた。
老いらくさんが歩きながら言った。
「もしお前の言うとおりに、あの男たちがツヨシ―に目をつけているとしたら、どうしてだろうか。人間はカエルの肉を食うが、一番おいしい部分は、筋肉が発達している後ろ足の部分だ。後ろ足がないツヨシ―に、どうして目をつけるのだろうか」
老いらくさんが小首をかしげていた。
「理由はぼくにも分かりません。もしかしたら、ほかの目的で目をつけているのかもしれません」
ぼくはそう答えた。
「有名になったカエルをつかまえて、見世物にして商売をしようと思っているのかもしれない」
老いらくさんが、そう言った。
「そうかもしれません」
ぼくはそう答えた。
「いずれにせよ、あの男たちは何か悪いことをたくらんでいるような気がするから、ずっとついていきましょう」
ぼくがそう言うと、老いらくさんがうなずいた。
それからまもなく、高音部、中音部、低音部に分かれたカエルたちは、それぞれの担当地域に着いたので、ハエやカの駆除を始めた。ハエやカがたくさんいる場所を老いらくさんは知っているので、老いらくさんは、カエルたちが効率よく駆除できるように、それぞれの地域を忙しく、ばたばたと回って、カエルたちをその場所へ導いていた。ぼくはずっと低音部に張り付いていて、ツヨシ―を虎視眈々とした目で狙っている二人の男を監視していた。
ハエやカは今の時季が一番多いので、駆除するのは大変だが、カエルたちはみんな一生懸命働いて、駆除に一役買っていた。人間も殺虫剤や蚊取り線香を使って、ハエやカの駆除をおこなっていたが、ハエやカの数が多すぎて、対処できないでいた。思わぬ、すけっとがやってきたので、人間はカエルたちにとても感謝しながら、温かい目でカエルたちの駆除の様子を見守っていた。ハエやカは、思いがけない、すけっとの出現に、びっくりして逃げ回っていた。今までは殺虫剤や蚊取り線香に気をつけるだけでよかったが、今はカエルたちに食べられないように注意しなければならなくなったからだ。カエルたちはジャンプ力に優れていて、飛んでいるハエやカをつかまえることができるので、ハエやカにとって油断できない大敵となった。カエルたちは空中でハエやカをつかまえることは得意としていたが、床にじっとしているハエやカは見落とすことが多くて、捕まえるのをやや苦手としていた。カエルの目は頭の上についているから、下が見えにくいのではないかと、ぼくは思った。ハエやカの中には、そのことを知ってか知らずにか、難を逃れるために、わざと床の上にはいつくばって、じっとしているものもいた。ところが、たくさんいるカエルの中に、一匹だけ、ほかのカエルとは違って、逆立ちをしながら、床をじっと見て、床の上にいるハエやカを駆除しているツヨシ―がいるとは、ハエやカは思ってもいなかったようだった。ツヨシ―はひたすら下を向いて床にいるハエやカを駆除することに専念していた。ツヨシ―は、この時、二人の男が、自分の姿をじっと見ていることに少しも気がつかないでいた。空気が張りつめていたその時、老いらくさんが、ぼくの近くへ戻ってきた。
「高音部と中音部のカエルたちをハエやカがたくさんいる場所へ連れていったよ。今度は低音部のカエルたちを連れていくことにするよ」
老いらくさんが、そう言った。
「ありがとう。でも今、ツヨシ―の身に危険が迫っています。行かないで、しばらくここにいてください」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「分かった。そうするよ」
老いらくさんが、そう答えた。
それからまもなく、思っていたとおり、二人の怪しい男、リキシーとオカマーが不審な動きを始めた。二人とも抜き足差し足で、ツヨシ―のすぐ近くまで歩み寄っていった。二人とも手にビニール袋を持っていた。それを見て、ツヨシ―を捕まえようとしているのが、一目瞭然だった。
「笑い猫。いけー」
老いらくさんが、そう言った。言われるまでもなく、ぼくは少しもひるむことなく、力士のような大きな体をしたリキシーに飛びかかっていった。左足の太ももに鋭くかみついて、手で払われてもしばらく離さなかった。リキシーの太ももから血がにじみでて、リキシーは痛がって、ツヨシ―を捕まえるどころではなくなった。老いらくさんはオカマーの足の前に体を持ってきて、つまずかせて、地面に倒した。擦り傷ができたオカマーは痛がって女々しい声で「痛い、痛い」と言って、泣きそうな顔をしていた。
ぼくと老いらくさんがリキシーとオカマーに向かっていって、勝ったのを見て、ツヨシ―はびっくりして茫然自失となっていた。
「何をぼんやりしているのだ。早く、逃げろ」
ぼくはツヨシ―に、そう言った、それを聞いて我に返ったツヨシ―は、それからまもなくさっと逃げていって、すぐに姿が見えなくなった。それを確認して、ぼくはふーっと思わず、安堵のため息をついた。そのあとすぐ老いらくさんといっしょに急いで、その場を離れた。
「くそー、あの猫のおかげで、とんだ目に遭った。覚えていろ。この借りは絶対に返すからな」
リキシーが荒々しい声で怒鳴るのが後ろから聞こえてきた。
「まったく、そうですよね、わたしたち、何か悪いことをしましたか」
オカマーは女みたいな声で、そう言っていた。
ツヨシ―はたぶん、翠湖公園に帰っていったのだろうと思ったので、ぼくと老いらくさんも翠湖公園に帰っていった。ツヨシ―に会って、動揺している心を慰めたり、これからは、駆除に専念するだけでなく、周囲の人間にも常に気をつけるように言うつもりでいた。ところが翠湖公園に帰ってから、どんなに探してもツヨシ―の姿を見つけることはできなかった。ツヨシ―だけでなく、ほかのカエルたちの姿もまったくなかった。まだ日が暮れる前なので、途中で何か危険な目に遭ったとしても、仕事を切り上げて公園に帰ってこないようにしているのだろうかと、ぼくは思った。
日が暮れて、辺りが暗くなってきた頃、ようやくカエルたちが、一日の仕事を終えてパートごとに隊列を組んで、翠湖公園に帰ってきた。一番最初に帰ってきたのは中音部のカエルたちだった。そのあと高音部のカエルたちが帰ってきた。そして一番最後に低音部のカエルたちが帰ってきた。低音部の前から二番目に逆立ちをしながら歩いているツヨシ―の姿があった。元気そうに見えたので、ぼくは、ほっとした。
ぼくはそのあと団長に、今日、ツヨシ―が捕まえられそうになったことを話した。それを聞いて団長は、ツヨシ―を前に呼び出して
「お前は今日、危ない目に遭ったそうだな。世の中には、いい人ばかりいるとは限らないから、これからは、くれぐれも気をつけろよ」
と言って、諭していた。それを聞いて、ツヨシ―は神妙な顔をして、うなずいていた。
「分かりました。これからは人の陰険な気配を察知して、気をつけるようにします」
ツヨシ―が、そう答えていた。
ぼくはそのあと団長に
「今日のようなことがありますから、ツヨシ―、いえ、サカダチ―は、もうこれからは外には出さないほうが、いいのではないでしょうか」
と提案した。すると団長はツヨシ―と話をしてから
「いや、どうしても行くと言っている。ほかのカエルにはできにくい場所の駆除があるから、ぼくが行かない限り、この町からハエやカを一掃することができないので、絶対に行くと言っている」
と言った。
ぼくはそれを聞いてツヨシ―の優しさに感動せざるを得なかった。それと同時に、ぼくは命を張ってでも、責任を持ってツヨシ―を守ることを、団長に固く誓った。

