天気……朝早く、目が覚めて、うちの外に出て、空を見上げた時、空がどんよりと曇っていた。このような朝を迎えると、どうしてもすがすがしい気持ちにはなれない。うつうつとした気持ちでご飯を食べて、そのあと午前中ずっと、うちにいて、ごろごろしていた。お昼頃、ひとしきり雷雨があって、そのあと天気は回復して、雲の合間から薄日ものぞくようになった。

今日の午後、ぼくはトノサマガエルの合唱団を率いて、町の中心部にある歩行者天国に行くことにしていた。町の地図にはあまり詳しくないので、スムーズにそこに行けるように、昨夜のうちに老いらくさんに案内してもらって下調べに行ってきた。交通量が多い通りはなるべく避けて、カエルたちが事故に遭うことなく安全に歩行者天国まで行けるように道を何度も確かめて、できるだけ危険が少ない道筋を頭の中に覚えこんだ。老いらくさんもいっしょについてきてくれることになっていた。カエルの団長には昨日のうちに、今日の午後、歩行者天国に連れていくことを話していた。ぼくと老いらくさんがお昼すぎに集合場所の眼鏡橋の上に着くと、団長に率いられたカエルたちが高音部、中音部、低音部のパートごとに分かれて隊列を組みながら、ぼくたちの到着を待っていてくれた。
それからまもなく、ぼくはトノサマガエルの合唱団を率いて、翠湖公園から出ていくことにした。出発に先立って、ぼくは団長に
「町の中を歩く時は、パートごとに固まって、大きな声で歌いながら、威風堂々と歩いてください。奇形ガエルはパートのリーダーのすぐ後ろを歩かせてください。そのほうが人目につきやすいからです」
と言った。
「分かった。そうするよ」
団長はぼくのアドバイスを団員たちに伝えた。奇形ガエルは、どのパートにもいたが、どの奇形ガエルも、それぞれのパートのリーダーのすぐ後ろに出てきた。
「よし、これで、隊列は整った。あとは、笑い猫に任せる」
団長がそう言った。
「分かりました。町に出たら危険も多いですから、車にひかれないように気をつけてください。長い固まりになって動いていたら、車もびっくりして止まってくれると思います」
ぼくは団長に、そう言った。団長は、ぼくの言葉を団員たちに伝えた。
それからまもなく、ぼくたちは、いよいよ翠湖公園をあとにした。ぼくが先導して一番前を歩き、そのあと団長が続き、それから高音部、中音部、低音部の順でカエルたちの長い隊列が続き、列の最後尾から少し離れたところから老いらくさんがついてきていた。カエルたちは、ぼくのアドバイスに従って、どのパートも高らかな声で歌いながら、少しも臆することなく胸を張って、堂々と歩いていた。道を行く人たちは、みんな目を見張りながら、びっくりしたような顔をしながらカエルたちを見ていた。道を行く人の中には奇形ガエルに気がついた人もいた。後ろ足がなくて逆立ちをしながら歌ったり、目が片方しかないカエルが懸命に歌っている姿を見て感動したり、複雑な顔をしている人たちがいた。カエルたちが道を渡る時は、車も止まって安全に通してくれた。町の人たちの温かい目に優しく見守られながら、千匹以上にものぼるトノサマガエルの合唱団は一匹も事故で欠けることなく、歩行者天国まで無事にやってくることができた。
歩行者天国に突然、トノサマガエルの大集団がやってきたのを見て、歩行者天国の中は、たちまちパニック状態になった。
「何だ、これは……」
「怖い……」
「不気味で気持ちが悪い……」
人々はみんな奇異な目で、カエルたちを見ていた。カエルたちは歩行者天国の中にある広場までやってくると、パートごとにきれいに分かれて並び始めた。広場の真ん中に『リンゴ広場』と書かれた石碑が立っていた。リンゴの形をした赤い石碑の上に団長が立って、パートごとに分かれた団員たちを見回して、歌の準備ができたのを確認していた。それからまもなく団長は腕を振って指揮を始めた。指揮に合わせて、団員たちは鍛えられた声で三部合唱を始めた。
「ケロ、ケロ、ケロ……」
高音部のカエルたちはソプラノやテノールの美しい声で、高らかに歌っていた。その声は遠くまで軽やかに響きわたり、多くの人たちが歌声に引き寄せられるようにして広場に集まってきた。
「クワッ、クワッ、クワッ……」
中音部のカエルたちはメゾソプラノやバリトンのまろやかな声で、滑らかに歌っていた。節回しがとてもきれいで、感動的な歌声がふわふわと宙に流れていたので、多くの人たちが酔いしれていた。
「ゴ、ゴ、ゴ……」
低音部のカエルたちはアルトやバスの厳かな声で、重々しく、どっしりと歌っていた。その声は、おなかにずしんと響くような力強さにあふれていて、たくましい歌声が多くの人たちに元気を与えていた。
団長の卓越した指揮ぶりも多くの人たちに深い感動を与えていた。曲調に合わせて、腕の振り方を上下左右に巧みに動かしながら、団員たちをうまくリードしていたからだ。カエルたちの優れた合唱を聞いて、カエルたちの出現に不審感を抱いていた人たちも、嫌な気持ちは抱かなくなった。
「あのカエルたちは、よく訓練されているわ」
「そうだね。これまで聞いたことがあるカエルの合唱とは全然、違っている」
人々は口々に、そう言いながら、広場の中に、わんさわんさと集まってきた。歌を聞くためではなくて野次馬見学の人たちもたくさんやってきて、スマートフォンでカエルたちを写真に収めていた。増えてきた観客を見て、カエルたちは興奮して、ますます大きな声で朗々と歌っていた。団長も無我夢中の境地に浸りながら、懸命に指揮を執っていた。低音部のリーダーのすぐ後ろには、後ろ足がなくて前足で逆立ちをしながら歌っているカエルがいた。障害にもめげないで元気に歌っているその姿に気がついて、目に涙を浮かべながら、ハンカチで目頭をぬぐっている女の人がいた。中音部のリーダーのすぐ後ろには前足が片方しかないカエルがいた。高音部のリーダーのすぐ後ろには目が片方しかないカエルがいた。それらのカエルに目がとまった人たちは、老若男女を問わず、環境汚染の影響で、こうなったのだと思って、申し訳なさそうな顔をしていた。それを見て、ぼくは、この町の人たちは、みんな優しい人たちだなあと思った。
それからまもなく、広場にテレビ局のリポーターや、カメラマンや、新聞記者が大勢やってきた。この広場にたくさんのトノサマガエルが来ていて、きれいな声で歌っていることや、合唱団の中に奇形ガエルがいることを、誰かが知らせたらしく、それを聞きつけてすぐに飛んできたようだった。リポーターは手にマイクを持っていて、合唱団の歌声を集音したり、見ている人に感想を聞いたりしていた。カメラマンはビデオカメラで合唱団が歌っている写真を撮ったり、奇形ガエルの写真を大写しにしていた。新聞記者はタブレットで何か報告書を作成していた。カエルたちにとって、これらの光景はまったく見慣れない光景だったので、どのカエルもびっくりして色を失って、歌うのやめてしまった。
「大丈夫です。この人たちはみんなマスコミ関係の人たちです。けっしてみなさんに危害を加えようとしているのではありません」
ぼくは団長にそう言った。
「だったら何をしているのか」
団長がけげんそうな顔をして、ぼくに聞き返した。
「みなさんたちのことをテレビや新聞で広く報道して、町に明るい話題を届けようとしたり、環境汚染によって奇形ガエルが生まれていることを世間の人に広く知らせようとしているのです」
ぼくは団長にそう説明した。ぼくの説明を聞いて、団長は、ようやく合点がいったようだった。ぼくが話したことを、団長は団員たちに伝えていた。それを聞いて団員たちは一様にほっとしたような表情をしていた。そして再び歌い始めた。
その時、突然、人がたくさん集まっている広場の後ろから、車のクラクションの音がした。集まっていた人たちはびっくりして慌てて横によけた。
(危ないなあ、ここは歩行者天国だから車の侵入は禁止だろう)
集まっていた人たちは、そう思いながら、広場の中に急に入ってきた車を、にらむような目で見ていた。
人の群れを横に追いやるような形で広場の中に入ってきたのはテレビ局の中継車だった。車のドアが開いて、車の中からニュース番組のメインキャスターとしてよく知られている人が降りてきた。その人は、ぼくが以前、杜真子のうちに住んでいた時にテレビで見たことがある人だった。まさかその人がここへやってくるとは思ってもいなかった。でもその人はとても発信力がある人なので、その人がカエルたちのことをテレビで報道してくれたら、カエルたちが今直面している環境汚染問題の解決に向けて、社会がよい方向に動いていくかもしれないと、ぼくは思った。重大なニュースを報道する時には、大抵その人が現地へ出かけていってリポートをしていた。人気キャスターによる現地からの生中継だったから、とてもインパクトがあった。そしていつもトップニュースとして取り上げられていた。
ニュース番組のメインキャスターは、手にマイクを持って、カエル合唱団の近くまでいってから、カメラに向かって何か話していた。話の内容は、ぼくにはよく聞こえなかったけども、重々しい顔をして話しているのが分かったので、深刻な事態を目にして視聴者に深く考えさせるようなことを伝えているのではないかと、ぼくは思った。
メインキャスターがリポートを終えたあと、カメラマンがまたやってきて、奇形ガエルの姿をクローズアップしていた。カメラマンは地面にはいつくばって、後ろ足がなくて前足だけで逆立ちをしながら歌っているカエルに焦点を合わせて大写しにしていた。
それからしばらくしてから、空の雲行きがにわかに怪しくなってきて、雷鳴がごろごろと鳴り始めた。
(夕立が降りそうだ)
ぼくはそう思った。
広場に集まっていた人たちは、空模様を気にしながら、三々五々と広場から去っていった。広場に残っているのは、カエルの合唱団と、テレビ局の中継車と、地面にはいつくばって写真を撮っているカメラマンだけとなった。
雷鳴が何度かとどろいたあと、バケツをひっくり返したような大雨が降ってきて、広場はたちまち水浸しとなった。カエルの合唱団はそれにもめげずに、雷にも負けないほどの大きな声で歌い続けていた。それを見て、老いらくさんが感心したような声で
「この情景は何と悲壮で、何と感動的なのだろう」
と言った。
「ぼくもそう思います」
ぼくはそう答えて、老いらくさんの話にあいづちを打った。
「カエルたちをここに連れてきてよかったな。地下鉄の駅やデパートではなくて、歩行者天国に連れてきたのは大正解だった。降りしきる雨の中、懸命に何かを訴えながら歌っているこの姿がマスコミで大きく取り上げられたら、きっと大きな反響を呼ぶにちがいない」
老いらくさんがそう言った。
「ぼくもそう思います。奇形ガエルの姿がテレビや新聞に出たら、環境問題に関心を持つ人が今以上に多くなると思います」
ぼくは確信を持ってそう答えた。
夕立は通り雨なので、やってくるのも早いが、やむのも早い。雨があがったあと、ぼくの心は晴れ晴れとして楽しくなってきた。
テレビ局の中継車とカメラマンは、それからまもなく、広場から出ていった。それを見てカエルの合唱団は歌うのをやめた。誰もいないところで熱唱しても意味がないと思ったのだろうか。ぼくはそう思った。団長が指揮をやめて『リンゴ広場』と書かれている石碑の上から降りてきたので、ぼくはすぐに団長のそばへ駆け寄っていって
「ご苦労様でした」
と言って、ねぎらいの言葉をかけた。
「ありがとう」
団長が朗らかな顔をしながら、そう答えた。
「合唱団のことは、たぶん今夜のテレビニュースや、明日の朝刊で取り上げられると思います。これをきっかけに環境汚染問題に関心を持つ人が増えると思います」
ぼくは団長にそう言った。
「そうか。そうあってほしいと、おれは思っている」
団長はそう答えてから、ぼくが言ったことを団員たちに伝えていた。
「多くの人たちにアピールするという目的は、達成できたと思うので、これからまた翠湖公園に帰りませんか」
ぼくは団長にそう言った。すると団長が
「分かった。では帰ることにしよう」
と言って、団員たちに翠湖公園に帰ることを伝えていた。
それからまもなく合唱団のメンバーは来た時と同じように、パートごとに隊列を組んで大きな固まりとなって、車に気をつけながら路地や大通りを通って、翠湖公園へと帰り始めた。今度もまたたくさんの人たちやドライバーが温かく見守ってくれたので、安全に道を歩くことができた。ぼくが隊列の先頭を歩き、団長がそのあとに続き、それから高音部、中音部、低音部の順に歩き、低音部のあとから老いらくさんがついてきていた。カエルたちは人々の注目を喚起するために、大きな声で歌いながら歩いていた。
路地の中を歩いている時に、それまで整然と行進していた隊列が乱れて、歌がやんだので、ぼくはびっくりして、団長に聞いた。
「どうしたのですか。何かあったのですか」
団長がおもむろに答えた。
「路地にハエやカがいるようだ。ハエやカを駆除するために隊列から離れていったカエルがいて、そのために列が乱れて、歌うどころではなくなったようだ」
団長がそう言った。ぼくはそれを聞いて、ようやく合点がいった。
「確かに、この町にはハエやカがたくさんいます。町の人たちはハエやカを駆除しようと思って、これまで努力をしてきましたが、完全に撲滅させることはできませんでした」
ぼくは団長に、そう言った。それを聞いて団長が
「ハエやカは害虫だから、人の健康によくない。おれたちカエルにとっては、害虫ではないから、食べることもできる。あまりおいしくはないが、人のために食べて、この町からハエやカを一掃して、きれいな町にしてあげたい」
と言った。それを聞いて、ぼくは感動した。ハエやカをこの町から撲滅させたいと、ぼくも以前からずっと思っていたが、ぼくにはハエやカを食べる習慣がないので、人のために力を貸してあげることができないでいたからだ。
でも冷静に考えると、カエルたちがハエやカを駆除するために、人のうちに入ったり、路地を歩き回ることは危険すぎるのではないかと思った。感謝されるどころか、人から捕まえられるかもしれないと思ったからだ。そのことを団長に話すと、団長はけげんそうな顔をしていた。
「どうして人が、おれたちを捕まえるのだ。害虫を駆除して、いいことをしているおれたちを人が捕まえるわけがないではないか」
団長が真顔でそう言った。それを聞いて、ぼくは本当は、あまり言いたくなかったことを、どうしても言わなければならなくなった。
「この国ではカエルの肉を食べる習慣があるからです」
これを聞いて、団長の顔色が一瞬のうちに真っ青になった。そしてそのあとすぐに団長は団員たちに、ぼくが言ったことを伝えていた。団員たちはみんなびっくりしたような顔をしていた。そしてハエやカを駆除するために隊列を離れていた仲間たちをすぐに隊列に呼び戻していた。
「ハエやカを駆除しないままで、カエルが帰るのは、団長として断腸の思いだが、いたしかたないな」
団長はそう言って未練を残しながら、ぼくの後から団員を引き連れて、翠湖公園に向かって帰り始めた。それからまもなく、トノサマガエルの合唱団は一匹も欠けることなく無事に翠湖公園に帰ってくることができた。