天気……空に入道雲がむくむくと湧き立ち、太陽は雲の中に隠れていることが多い。しかしそれでも、うだるように暑い。お昼前後から三時頃にかけては、暑さがピークの時であり、この時間帯は、できるだけ外に出ないようにしている。この暑さのなか、セミたちは声を限りに鳴いていて、その元気な声がうちの中まで響いてきて、ぼくも妻猫も元気をもらっている。

今朝早く、ぼくと妻猫が目をさますと、外からトノサマガエルの大合唱が聞こえてきた。おとといの夜、田舎からこの町へやってきたばかりのカエルたちが歌っているのだろうと、ぼくは思った。一千匹は優に超えるような大合唱は迫力にあふれていて、胸にじんじん響いてきた。
「トノサマガエルの大合唱を、わたしはこれまで何度か聞いたことがあるけど、この合唱は、今まで聞いた合唱とは違っている」
妻猫がそう言った。
「そうか。ぼくには、たいして違わないように聞こえるけどな」
ぼくはそう答えた。
「いえ、確かに違っています」
妻猫は確信にあふれたような顔をしながら、そう言った。
「どう違っているのだ」
ぼくはけげんに思って聞き返した。
「今まで聞いたトノサマガエルの合唱は、ただ雑然と声を出して歌っているだけだったけど、今聞こえる合唱は低音部、中音部、高音部と分かれて、パートごとに声をそろえてきれいに歌っている」
妻猫がそう言った。妻猫は音感に優れていて、音の高さの違いを識別したり、音楽の美しさを認識できる猫なので、的確なコメントをすることができる。妻猫の研ぎ澄まされた耳の確かさに、ぼくは感心して、一目置かざるを得なかった。
「あのトノサマガエルたちは、おとといの夜、田舎からこの公園にやってきたばかりで、ぼくは団長と話をしたことがある」
ぼくがそう言うと、妻猫が興味深そうな顔をして
「どんな話をしたの」
と、聞き返してきた。
「田舎に住めなくなったので、町はどうなのだろうと思って視察にやってきたと話していた」
団長が言ったことを、ぼくは妻猫にそのまま伝えた。
「田舎に住めなくなったのは、どうしてなの?」
妻猫がけげんそうな顔をして、ぼくに聞き返した。
「ぼくにもよく分からない。今度また会った時に聞いてみるよ」
ぼくは妻猫に、そう答えた。
「トノサマガエルにとって田舎は楽園でしょ。田んぼや畑がたくさんあって、えさとなる虫がたくさんいるし、害虫を退治するための緑の衛士として活躍できる場所がたくさんあるのに、どうして田舎に住めなくなったのかしら。その理由を、わたしは今すぐ知りたいわ」
妻猫がそう言った。
「分かった。ではこれからすぐに、うちを出て聞きにいってみよう」
ぼくはそう答えた。それからまもなくぼくと妻猫は、うちを出て、カエルたちが歌っている湖畔へ行った。湖畔に着くと、カエルたちは、高音部、中音部、低音部と、パートごとに分かれて、熱唱していた。歌の内容は自然の美しさをたたえるものだった。どのパートも団長の指揮のもとで、情感にあふれた声で、心をこめながら切々と歌っていた。
「聞いていると、この合唱団は、にわか仕立てのしろうと合唱団ではないわ。しっかりしたリーダーのもとで、きっちりと訓練を積んだプロの合唱団のように思える」
妻猫がそう言った。
「そうか。そんなに素晴らしいのか」
音楽の理解度に関しては、ぼくは妻猫の足元にも及ばないのでよく分からないが、音感に長じた妻猫がそう言うのだから、この合唱団のレベルは相当高いのだろうと、ぼくは思った。
「もしかしたら、この合唱団は長い伝統があって、だれもが簡単に入団できるような合唱団ではないのではないかしら」
妻猫がそう言った。
「そのあたりのことは、ぼくにはよく分からないけど、聞いてみることにするよ」
ぼくはそう答えて、その場をとりつくろった。
それからしばらくしてから合唱団の歌声は聞こえなくなった。団長がぼくに気がついて近づいてきた。
「やあ、笑い猫、おはよう」
「おはようございます。素晴らしい合唱に、ぼくも妻猫も、うっとりして聞き入っていました」
ぼくがカエルの言葉で、そう言うと、団長はまんざらでもないような顔をしていた。
「この合唱団は由緒ある合唱団ではないのですか。レベルが相当高いように感じます」
ぼくがそう言うと、団長は、うんうんと、うなずいてから
「そうだな。長い歴史がある合唱団で、団員ひとりひとりのレベルがとても高い」
と答えた。
「団員たちはこれまで田舎では、どのような生活をしていたのですか」
ぼくは興味を覚えて団長に聞いた。
「昼間は田や畑で害虫を食べて駆除して、夕方になると毎晩池に集まって歌の練習をしていた」
団長がそう答えた。
「そうでしたか。大変でしたね」
カエルたちが暮らしていた田舎での忙しい日々を思って、ぼくは団長をねぎらった。
「ありがとう。でも毎日がとても充実していたから、みんなそれほど大変だとは思っていなかった」
団長が、朗らかな顔をしながら、そう言った。団長が言った言葉を、ぼくは妻猫に伝えた。すると妻猫は感心したような顔をしながら
「昼間は一生懸命働き、日が暮れると、一生懸命歌の練習をする。これは何て素晴らしい生き方なのでしょう」
と言った。ぼくもそう思っている。仕事でも趣味でも自分が持って生まれた才能を精いっぱい発揮して、周囲のものに感動を与えるような生き方は、ぼくが理想としている生き方だからだ。ぼくも妻猫もこのような生き方に以前からずっとあこがれているので、ぼくたちよりも一足早く、そのような幸せにあふれたロマンチックな生き方を実践してきたカエルたちが、ぼくはうらやましく仕方がなかった。
「あれっ、お父さん、ほら、あそこを見て」
目を凝らしながらカエルたちの姿を見ていた妻猫が、目を丸くしながら、不意にそう言った。
「何だい。どうかしたのか?」
ぼくはけげんに思って妻猫に聞き返した。
「あそこにいるカエルは前足が片方欠けているわ」
妻猫が手で示した先を見ると、確かに前足が片方欠けているカエルがいた。
「本当だ。どうしてだろう」
ぼくは疑問に思ったので、団長に聞いた。団長は、おもむろに話し始めた。
「よく気がついたな。ほかにも団員の中には、目が片方しかなかったり、後ろ足がなくて前足だけで逆立ちしながら歩いているカエルもいる」
団長がそう言ったので、ぼくはびっくりした。
「どうして、そのようなカエルがいるのでしょうか。もし差しさわりがなかったら、理由をお聞かせいただけないでしょうか」
ぼくは真剣な顔をして、団長にそう聞いた。
「おれたちは汚染された川や池の中で生まれたから、体内に有毒な物質が入り込んで、それが原因で、奇形ガエルが生まれた」
団長はそう答えてから、重いため息をついた。
「田舎の水はきれいではないのですか」
ぼくはけげんに思って聞き返した。
「以前はきれいだったが、今は違う。山や畑や田んぼをつぶして工場がたくさん作られて、その工場から出る廃水が川や池に大量に流れこんで有毒な物質があふれている」
団長がそう言った。
「そうだったのですか。それはひどい状況ですね」
団長の話を聞いて、ぼくの心は鉛のように重くなった。
ぼくはこの時、ふっと、以前、杜真子のうちに住んでいた時に見たテレビ番組のことを思い出した。ドキュメンタリーの番組で、環境汚染や自然保護の問題がテーマとして取り上げられていた。番組の中で今は田舎でも深刻な事態が起きていることが報道されていた。あの時は、ただ漠然とそうなのかと思いながら見ているだけだったが、今、実際に団長から環境汚染によってもたらされた深刻な影響を聞いて、ぼくの心は乱れざるを得なかった。
「田舎にはもうこれ以上、住めなくなったと、おっしゃったのは、そういうわけだったのですね」
ぼくがそう聞くと、団長がうなずいていた。団長が話してくれた田舎の状況や、この町へ視察に来た理由を、ぼくは妻猫に話して聞かせた。すると妻猫はカエルたちの心情に思いをはせて、不憫そうな顔をしていた。
トノサマガエルの合唱団はしばらく休んでから、再び歌の練習を始めた。団長が湖畔にある『翠湖公園』と書かれた石碑の上に立って、高音部、中音部、低音部と、パートごとに分かれた合唱団の指揮を始めると、どのパートも高らかな声で元気よく歌い始めた。湖畔には太極拳の早朝練習にやってくる人たちがだんだん増えてきたが、トノサマガエルの歌に元気をもらいながら、みんないつも以上に軽快に練習に取り組んでいるように見えた。
妻猫は人が多いところは、あまり好きではないから、人が多くなってきたのを見て、逃げるような足取りで、そそくさとうちへ帰っていった。
「笑い猫」
妻猫が帰ったあとすぐ、ぼくは後ろから不意に声をかけられた。親友の老いらくさんだった。ぼくと老いらくさんは気心の知れた親友だが、老いらくさんはネズミなので、妻猫にはおおっぴらには言えない隠れ友の関係を保ち続けている。
「誰かと思ったら老いらくさんでしたか」
ぼくはびっくりしたような顔をしながら老いらくさんに、そう言った。
「わしはお前を今朝早くからずっと探していた。でもお前が妻猫といっしょだったから、声をかけることができなかった」
老いらくさんがそう言った。
「何かあったのですか」
ぼくはすぐに聞いた。
「あの合唱団の中に奇形ガエルがいるのをお前は知っているか」
老いらくさんがそう言った。
「知っています」
ぼくはそう答えた。
「どうしてあのような奇形ガエルがいるのだろうか」
老いらくさんが首をかしげていた。ぼくは老いらくさんに、団長から聞いた話を伝えた。すると老いらくさんは、びっくりして色を失っていた。
「人は何て罪なことをするのだろう」
老いらくさんが、独り言のように、ぽつりと、そう言った。それを聞いて、ぼくはうなずいた。
「ぼくもそう思います。あまりにも無慈悲すぎます」
ぼくはそう答えた。
「人のために害虫を食べて貢献しているカエルに、人はどうしてそんな罪なことをするのだろうか。恩知らずも甚だしい」
老いらくさんが憤懣やるかたない顔をしながら、そう言った。
老いらくさんはさらに言葉を続けた。
「人も動物もみな、同じ地球上に住んでいる生き物だから、人は動物のことを考えないで自分勝手なふるまいをしてはいけない。地球の環境を汚したり、自然を破壊したりするのは人間の愚かな行為であり、そのために動物は甚大な損害を被っている」
老いらくさんの怒りはやむことがなかった。
老いらくさんの言うことは的を射ていた。ぼくもそう思っている。人は動物にたいして尊大な態度を取るべきではない。カエルたちは、一生をかけて人のために多大な貢献をしているのに奇形ガエルをたくさん生み出すような行為は恩を仇で返すようなものではないのか。人は傲慢な態度をすぐにやめてカエルたちに住みよい生活環境を返してほしい。ぼくは心からそう願っている。田舎に住めなくなって、この町に視察にきたカエルたちの合唱を聞きながら、ぼくはカエルたちのために何かできないだろうかと、今、切実に思っている。老いらくさんにそのことを話すと、老いらくさんは、うんうんと、うなずいてから
「お前の気持ちはよく分かるよ。わしもそう思っている。しかし環境問題に関しては、われわれ動物には無力すぎて、どうすることもできない」
と、うつむきながら答えた。
「そうかもしれませんが、最初からあきらめてしまうのは、どうでしょうか。何か一つでも、ぼくたち動物にできる方法がないか、いっしょに考えてみませんか。老いらくさんの知恵と、人の言葉が分かるぼくの才能をフルに発揮して、カエルたちを助ける方法を考えてみましょうよ」
ぼくはそう言って、しょげている老いらくさんを励ました。
「分かった。そうすることにするよ」
老いらくさんがそう言った。
ぼくと老いらくさんが話をしているうちに、公園にやってくる人たちの数が、ますます多くなってきた。太極拳をしに来た人たちばかりではなかった。今までこの公園にはいなかったトノサマガエルが大挙して突然やってきて、うるさいほどの大声で歌い始めたので、何事だろうと思って、見に来た人たちがたくさんいた。見物人たちは、微笑ましい顔をしながらカエルたちが歌っている姿をスマートフォンで撮影したり、ハーモニーの取れた美しい三部合唱に聞き入ったりしていた。
しばらくしてから、見物人の中から
「あれっ、あのカエルは後ろ足がない。前足で逆立ちをしながら歌っている」
と言って、びっくりしたような声をあげる人がいた。それを聞いて、ほかの人たちも、その人が指さしたカエルをじっと見ていた。
「あっ、本当だ。どうしたのだろう」
「けがをして足が取れてしまったのかなあ」
「いや、そうではないと思うよ。もしかしたら環境汚染の影響を受けて、生まれつき後ろ足が生えてこなかったのかもしれない」
「わたしも、そう思うわ。この前、テレビを見ていたら、農薬や有機水銀の影響で尾びれがない魚がたくさん捕獲されたというニュースが報道されていたから」
「もし環境汚染の影響で、あのカエルに生まれつき後ろ足が生えてこなかったとしたら、深く考えさせられるなあ」
「障害にもめげないで、あの姿勢でよく歌っているなあ」
「人間に何かを訴えているようにも思えるわ」
「奇形ガエルを見ていると、かわいそうで、水を汚してごめんなさいと、心から謝りたくなるわ」
「もっと多くの人たちに環境汚染がもたらした悪い影響のことを知ってもらわなければならない」
前足で逆立ちをしながら、けなげに歌っているカエルを見て、人々は思い思いの感想を述べていた。それからしばらくしてから、カエルたちは合唱を終えて、湖の中に飛び込んで、歌い疲れたのどの渇きをいやしていた。カエル合唱団の歌を聞きに来ていた人たちはそれからまもなく三々五々と連れ立って、公園を後にしていた。逆立ちをしながら歌っているカエルを見た人たちは、帰る時には、みんな重々しい表情をしていた。心の中にある琴線に、あの痛々しい姿が触れて、歌の美しさとは裏腹に、さわやかな表情を浮かべることができないでいるように見えた。
人々の姿が湖畔から少なくなったあと、ぼくは老いらくさんに聞いた。
「この町で人が一番多いところはどこですか」
「えっ、どうして、そんなことを唐突に聞くのだ?」
老いらくさんが、けげんそうな顔をしていた。
「老いらくさんは、この町のことに詳しいから」
ぼくはそう答えた。
「そりゃあ詳しいから、にぎやかなところを知っているよ。でも、そのこととカエルとどう関係があるのか」
老いらくさんはまだ納得がいかないような顔をしていた。
「さっき話していた人の中に『もっと多くの人たちに環境汚染がもたらした悪い影響のことを知ってもらわなければならない』と言った人がいたのです。それを聞いて、ぼくははっとするものがありました。カエルたちを、そこに連れていって、奇形ガエルの姿を多くの人に見てもらったら、環境汚染による悪影響を多くの人に知ってもらえるのではないかと、ふと思ったものですから」
ぼくは老いらくさんにそう言った。
「なるほど、そういうことか」
老いらくさんには、ようやく合点がいったようだった。老いらくさんは、そのあとしばらく考えてから
「この町で人が一番多いところは地下鉄の駅の中だ」
と言った。それを聞いて、ぼくはすぐに首を横に振った。
「いや、あそこはダメです。あそこは通勤通学の人たちがあわただしく行き来するところだから、カエルたちに目をくれる人たちはいません」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「そうか、だったらデパートの中はどうだ。あそこも人が多いぞ」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくはまた首を横に振った。
「いや、あそこもダメです。デパートの中にカエルたちが入っていったら、たちまち、きゃーっと悲鳴が上がって、外に追い出されるに決まっています」
ぼくはそう言って、今度も老いらくさんの提案を受け入れなかった。
「そうか、だったら歩行者天国はどうだ。あそこも人が多いぞ」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくは今度は、それほど悪くはないと思った。
歩行者天国は、歩行者がゆったりと歩いているところなので、カエルたちが中に入っていっても、邪魔者扱いされることなく優しい目で見てくれる人が多いような気がしたからだ。
「いいね。カエルたちを、歩行者天国に連れて行こうよ」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。