天気……季節が晩夏から初秋へと移り変り、日中でもだいぶしのぎやすく感じられるようになってきた。夕日の色も薄れてきて深紅色から淡い茜色に変わってきた。池の中に広がっているスイレンの葉は枯れ始めていて、花のほとんどはもうしぼんでいた。

日が沈むと、カエル合唱団の団員たちは池のほとりに集まってきた。団長がぼくに
「おれたちのほとんどはここで生まれた。おれもそうだ」
と言った。翠湖と同じように、池の中には、スイレンがあって、あちこちに白い花が咲いていた。スイレンは今はもう盛りの時季を過ぎていたので、葉も花も汚くなりかけていた。それに代わって、池の水面にはくすんだ色をした水草がたくさん繁茂していた。
「ここはおれたちにとって、とても楽しいところだった。子どものころの楽しい思い出がいっぱいあるところだ。でも今は汚くて、ここで生活できなくなった。有害物質を含んだ廃水がこの池に流れ込んできたからだ」
団長は顔を曇らせながら、そう言った。
ぼくはそれを聞いて、団長に
「もう一度考え直して、翠湖公園に戻ってきてくれませんか。翠湖の水は、この池の水よりもずっときれいですから」
と、重ねてお願いした。
「笑い猫の気持ちはありがたいが、おれたちの故郷は田舎だから、翠湖公園に戻ることはできない。心の中でいつも故郷のことを思っているし、故郷をとても愛しているから、町に行ったら心が落ち着かない」
団長がそう答えた。団長はそのあと、この池がまだきれいだったころの思い出を話し始めた。
「毎朝、この池から近くの田んぼや畑に害虫の駆除に出かけて行った。日が暮れると、ここに帰ってきて、水浴びをしたり、湖畔でひと眠りして、一日の疲れを癒やしていた。スポーツが好きなカエルは平泳ぎの競争をしたり、スイレンの上を跳び回って幅跳びや高跳びを競ったりしていた。音楽が好きなカエルは声をそろえて合唱をしていた。ダンスが好きなカエルは合唱に合わせて踊っていた。スイレンの下にこっそり隠れて恋愛をするカエルもいた。とても楽しくて一番満たされたひとときだった」
団長がそう言った。
「この池がきれいだった頃の様子が目に浮かぶようです」
ぼくは、にこやかな顔をしながらそう答えた。
「おれは運動能力に優れているので、幅跳びや高跳びのチャンピオンになって、みんなから称賛された。音感にも優れているので合唱団の指揮者にも選ばれた。オンプーとはオタマジャクシだったころからの幼なじみだった。少し大きくなってからは、この池で愛を語りあったりもした。あの頃は、みんなとても楽しくて和気あいあいとした生活を、この池の周りでおこなっていた」
団長が懐かしそうに、そう言った。
「オンプーに聞かせるために、おれは自分でセレナーデを作って、毎晩、夜が更けるまで歌っていた。初めはあまり上手ではなかったが、毎晩歌っているうちに、だんだん歌が上手になってきて、オンプーだけではなくて、ほかのカエルたちの心も酔わせるようになった。それ以来、おれは合唱団の団長に選ばれて、みんなの指揮を執るようになった」
団長がそう言った。
「お話を伺って、ぼくはますます、この池が団長や団員たちにとって、どれほど思い出が詰まった場所なのか、よく分かりました。楽しいお話をお聞かせいただきありがとうございます」
ぼくは団長にそう言って感謝した。
「この池の周りには仕事をする場所がたくさんあったので、おれたちは毎日、とても充実した日々を送っていた。農民は、おれたちのことを、田畑を守る緑の衛兵として、とても重宝がってくれた。そのことを意気に感じて、おれたちカエルはとても誇りに思っていた。ところがいつの頃からか、農民は田畑に大量の農薬をまいて害虫を駆除するようになった。そのために、おれたちはお役御免になり、いてもいなくてもいいようになった。田畑にまかれた農薬が、おれたちの体の中に入って命を落としたり、奇形になって生まれてくるカエルも出てきた」
団長がそう言った。失意のどん底に沈んでいる団長を見て、ぼくはかわいそうでたまらなかった。
「団長の気持ちをお察して、ぼくは不憫でなりません。時は移り変わりますから、農村で以前ほど、カエルたちの力が必要とされなくなったのは、致し方ないのかもしれません。でも町では、まだまだカエルたちが働く場所がたくさんあります。その証拠にみなさんたちが、ぼくたちの町に来てからまもないのに、町からハエやカが一掃されて、栄えある環境衛生都市に選ばれました。このことからも分かるように、今は町でこそ、カエルたちの力が必要とされているのです。これからも誇りを持って生きていきたいのなら、あなたたちはこれからは町で生きていくべきです」
ぼくは団長に、そう言った。説得力の話をしたつもりだったが、団長は、それでも、ぼくの考えになびかなかった。
「笑い猫の意見に耳を傾けるところはあるが、それでもやはり、おれたちは、これからも田舎でずっと生活していきたいと思っている。おれたちが生まれたところでは、もう必要とされなくなったが、もっと田舎に行ったら、もしかしたら、おれたちを必要としているところがあるかもしれない」
団長がそう言った。団長の固い決意に、ぼくは返す言葉がなかった。
それからまもなく団長は、団員たちを引き連れて、さらに辺鄙な農村へと出かけていった。
今夜の月は満月で、こうこうとした明るい光が、カエルたちが歩いていく道の上に降り注いでいた。カエルたちはコーラスのパートごとに分かれて隊列を組みながら、舗装されていないでこぼこ道を奥のほうへ向かっていた。ぼくと老いらくさんもついていった。
しばらく歩いていると、前方に池が見えてきた。団長が団員たちに
「水質を調べてくるから、しばらく待っていろ」
と言って、池の中にどぼんと跳びこんでいった。しばらくしてから団長が池のほとりにあがってきて
「大丈夫だ。この池の水は汚染されていない」
と団員たちに言っていた。それを聞いて、団員たちは次から次に池の中に跳びこんで水浴びを始めた。池の中には魚もたくさんいて、ぴちぴちと元気よく泳ぎまわっていた。カエルたちは心ゆくまで水浴びを楽しんでから池の中から上がってきた。そのあとカエルたちはコーラスのパートごとにきちんと並んで、合唱の準備を始めた。団長が手を振って指揮を始めると、カエルたちは声をそろえて三部合唱で歌い始めた。
「ケロ、ケロ、ケロ……」
高音部のカエルたちはソプラノやテノールの美しい声で高らかに歌っていた。その声は遠くまで軽やかに響き渡り、池の中で泳いでいた魚たちが歌声に引き寄せられるようにして岸の近くまで泳いできて、静かに聞き入っていた。
「クワッ、クワッ、クワッ……」
中音部のカエルたちはメゾソプラノやバリトンのまろやかな声で、滑らかに歌っていた。節回しがとてもきれいで、感動的な歌声が、ふわふわと宙に流れていたので、多くの魚たちが酔いしれていた。
「ゴ、ゴ、ゴ……」
低音部のカエルたちはアルトやバスの厳かな声で、重々しくどっしりと歌っていた。その声は、おなかにずしんと響くような力強さにあふれていて、たくましい歌声が多くの魚たちに元気を与えていた。
団長の卓越した指揮ぶりも多くの魚たちに深い感動を与えていた。曲調に合わせて腕の振り方を上下左右に巧みに動かしながら、団員たちをうまくリードしていたからだ。
魚たちの中には聞いているだけでなく、リズムやメロディーに合わせて、口をパクパクさせて歌うような仕草をしたり、尾びれをパタパタ動かして踊ろうとしているものもいた。月明りのもとで、きれいな合唱を聞いて、魚たちがとても喜んでいたので、歌っているカエルたちもうれしくてたまらないでいた。
「ここの水はきれいだし、魚たちが喜んでくれたから、おれたちは今日から、この池を新しい住みかして、生きていくことにした」
団長が明るい顔をしながら、そう言った。
「そうですか。よかったですね。見たところ、この池はとても澄んでいてきれいだから、ぼくも安心しました。これからはここを拠点として幸せな生活を送ってください」
ぼくは団長にそう言った。
「ありがとう。笑い猫が住んでいる町からは遠いが、来年の夏になったら、また団員を引き連れてやってくるよ」
団長がそう言った。
「その日を楽しみにしています」
ぼくはそう答えた。
それからまもなく、ぼくと老いらくさんは団長と別れて翠湖公園に帰ることにした。団長に別れのあいさつをしてから、ぼくと老いらくさんは池の近くにある灌木の中に入っていって、ひと眠りすることにした。今日は朝早く、うちを出て、真夜中までずっと歩き続けていたから、ぼくも老いらくさんも足が棒になるほど疲れていたからだ。
東の空が朝焼けに染まりはじめたころ、ぼくと老いらくさんは灌木の中を出て帰途に就いた。ひと眠りしたことで、体の疲れもだいぶ取れたので、ぼくも老いらくさんも軽やかな足取りで、翠湖公園までの長い道のりを歩きだした。
「カエルたちが住みやすい場所が見つかってよかったな」
老いらくさんが、そう言った。
「そうですね。ここは近くに工場や田畑がないから、汚れた廃水や農薬によってカエルたちが被害を受けることはなさそうですね」
ぼくはそう答えた。
「そうだな。見渡す限り、原野が広がっていて、虫たちもたくさんいるだろうから、食べ物には困らないだろうし、トンボやチョウたちと遊んだりすることもできる。ここはカエルたちにとって楽園だ」
老いらくさんが、そう言った。
「そうですね。ぼくはカエルたちに翠湖公園を新しい住みかにしてほしいと思っていました。でもやはりカエルたちにとって町での生活はストレスも多いだろうし、危険も伴うので、こんなにいいところがあるのだったら、何も言うことはありません。来年の夏になったらカエルたちにまた会えます。翠湖公園で美しい合唱を聞かせてくれたり、ハエやカを駆除して町の衛生に貢献してくれる日を、ぼくは楽しみにしています」
ぼくは、そう答えた。
「そうだな。ここはいつまでも自然が豊かで、環境汚染がない美しい所であり続けてほしいと、わしは心から願っている」
老いらくさんが、そう言った。
「ぼくも、そう願っています」
ぼくは、そう答えた。
朝日をいっぱいに浴びながら、ぼくと老いらくさんは、ますます軽やかな足取りで翠湖公園に向かって帰っていった。