天気……夏もようやく終わりに近づき、朝晩は、だいぶしのぎやすくなってきた。翠湖の
上を吹きわたる風も柔らかくなってきて、そこはかとなく秋の気配が感じられるようになってきた。

ここ数日、ぼくと老いらくさんは、足が棒になるほど歩いて、リキシーとオカマーの行方を追っていた。リキシーとオカマーが興行を打っているのがはっきりしたので、人が多く集まるところを重点的に回った。この前行った歩行者天国に、もう一度行ってみた。あの「スタチューパフォーマンス(人間銅像)」の前には、再び人だかりができていた。ぼくは、もうあの人をびっくりさせないことにしたので、見て見ぬふりをして通り過ぎた。ぼくと老いらくさんは歩行者天国の中を、くまなく探し回ったが、リキシーとオカマーの姿は、どうしても見つけられなかった。
「笑い猫、あいつらは、もう、ここには来ないかもしれないよ」
老いらくさんがそう言った。
「どうしてですか」
ぼくはけげんに思って聞き返した。
「お前と、もう会いたくないと思っているのかもしれない」
老いらくさんがそう答えた。
「ネズミが猫を怖がることは知っています。でも人が猫と会うことを避けるという話は聞いたことがありません。そんなことがあるのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに、そう聞いた。
「ことわざに、『一度怖い思いをしたら永遠に忘れない』というものがある。トラウマというやつだ」
老いらくさんがそう答えた。
「トラウマですか」
ぼくは聞き返した。
「そうだ。トラウマだ。人には、そういうところがある。心に深く残るような衝撃的なことを、お前から三度もされたので、とても怖がっていて、お前を避けようとしている」
老いらくさんがそう言った。ぼくは、それを聞いて、老いらくさんの洞察力の高さに感心した。
「リキシーとオカマーが、もうここへ来ないとしたら、どこへ探しにいったらいいのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。老いらくさんは、しばらく考えてから
「子どもが多いところへ、あいつらは行くかもしれない」
と言った。
「どうしてですか」
ぼくは聞き返した。
「あいつらは移動小屋を持っていて、その小屋を商売道具としていたではないか。小屋の中に何が入っているか知らないが、子どものほうが大人よりも好奇心を抱きやすいからだ」
老いらくさんがそう答えた。
「そうですね。ぼくもそう思います」
ぼくは、そう答えた。
「子どもが多いところと言ったら、やはり何と言っても遊園地だろう。学校は今ちょうど夏休みなので、遊園地の中はいつも以上に子どもが多いはずだ」
老いらくさんが、そう言った。
「遊園地へ行く道が分かりますか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「もちろん分かるよ。遊園地の中にはとても大きなハンバーガーを売っている店がある。大きくて、おいしいから、大人も子どもも買い求める人がとても多い。大きすぎて、一人では全部食べ切れないことも多いから、食べ残したものは、ゴミ箱に捨てている。わしはそれを拾ってきて食べる。お前に持ってきたこともある。でもお前は食べなかった」
老いらくさんが、そう言った。
「当たり前です。ぼくはゴミ箱の中から拾ってきたものは食べません」
ぼくは、きりっとした顔で、そう言った。
「お前には食べ物を持ってきてくれる馬小跳や杜真子のような人間がいるから、いいよな。わしにはそのような人間はいないから、ゴミ箱から拾ってきたものや、人家から盗んできたものを食べるしかない」
老いらくさんが、うらやましそうな目でぼくを見ていた。
それからまもなく、老いらくさんは、ぼくを連れて遊園地のほうへいった。途中で、ぼくは団長とばったり出くわした。団長は今ちょうど高音部の団員たちに指図をしながら、ハエやカの駆除をしているところだった。団員たちの中には団長の奥さんであるオンプーの姿もあった。危ういところを助けだされたオンプーは、ほかの団員たちといっしょにハエやカの駆除を無心になっておこなっていた。団長がぼくに気がついて近づいてきた。
「やあ、笑い猫。どこへ行くのだい?」
団長が聞いた。
「遊園地へツヨシ―を探しに行くところです」
ぼくはそう答えた。
「サカダチーのことだよね」
団長が確かめるように、そう聞き返した。
「そうです。サカダチ―のことは、人からはツヨシ―と呼ばれています。屈強なカエルとして、マスコミでも取り上げられて、話題になっているカエルです」
ぼくはそう答えた。団長がうなずいた。
「サカダチ―は、団員の中でも、とても人気があるカエルなので、早く見つかって一日も早く戻ってくることを、みんな心から望んでいる」
団長がそう言った。
「分かっています。みなさんの期待に応えられるよう、一生懸命探します」
ぼくは、そう答えた。
「うん、よろしくお願いする」
団長がそう言った。
「お前はさっき、サカダチ―、いやツヨシ―を探しに遊園地へ行くと言ったが、ツヨシ―はそこにいるのか」
団長が聞いた。
「そこにいるかどうかは、分かりませんが、ツヨシ―を見て喜ぶのは子どもが多いと思うので、もしかしたら遊園地にいるかもしれないと思っているのです」
ぼくはそう答えた。
「遊園地で何をしているのだ」
団長が聞いた。
「マスコミで取り上げられた有名なカエルなので、逆立ちをしている姿をお客さんに見せているのではないかと思っています」
ぼくはそう答えた。
「サカダチ―は見世物ではない。そんなことをするわけがない」
団長がけげんそうな顔をしていた。
「ツヨシ―の意思ではありません。悪い人間によって、お金儲けのために、そのようにさせられているのではないかと思っています」
ぼくはそう答えた。
「そうか。そのような悪い人間もいるのか。おれたちは町の人たちのために誠心誠意、貢献しているのに、おれたちを捕まえて食べようとしたり、お金儲けのために利用したりする人間がいることを知って、やりきれない気持ちだ」
団長は、そう言って、ふーっとため息をついた。団長の言葉を聞いて、ぼくの心は鉛のように重く沈んでいった。
それからまもなく、ぼくと老いらくさんは、団長と別れて、遊園地へ向かった。郊外にある遊園地に着くと、子どもたちがたくさんいた。今は学校が夏休みなので、子どもたちが多いはずだと、老いらくさんが言っていたが、確かにその通りだと、ぼくも思った。子どもたちはお母さんや友だちといっしょにブランコや滑り台やジャングルジムや砂場で、思い思いに遊んでいた。老いらくさんも楽しい遊びが大好きなので、童心に返って子どもたち以上に夢中になって、いろいろな遊具に触ったり、砂場で穴を掘ってトンネルを作ったり、あちこち走り回ったりしていた。
「笑い猫、お前もいっしょに遊べよ。体も心も若返っていいぞ。わしなんか、百歳ぐらい若返ったような気持ちだ」
老いらくさんは、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、そう言った。ぼくは取り合わなかった。
「老いらくさん、ぼくたちがここへ来たのは遊ぶためではありません」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「分かっているよ。わしはこれから、お前を子どもたちが一番たくさんいるところへ連れていく」
老いらくさんはそう言うと、飛び跳ねるのをやめて、遊園地の一角にあるハンバーガー売り場にぼくを連れていってくれた。売り場の前には長蛇の列ができていた。
「ここのハンバーガー売り場はマスコミでも取り上げられた有名な店だから、毎日、このような長い列ができている。普通のハンバーガーよりも一回り大きくて、味もいいので、この遊園地の名物となっていて、これを目当てに、ここに来る人も多い」
老いらくさんがそう言った。
三十メートルほど続いている長蛇の列の最後尾にふっと、目をやると、見覚えのある移動小屋が、近くに止まっているのが見えた。小屋の前に二人の男がいるのも見えた。
(リキシーとオカマーだ)
ぼくはそう思った。この前、ぼくは、あいつらに気づかれて逃げられてしまったので、今度は、あの時の教訓を生かして、すぐには近づかないで、枝葉が茂っている樹木にのぼって、身を隠しながら、様子をうかがうことにした。移動小屋の窓には黒いすだれが掛けてあったので、中は見えなかったが、リキシーとオカマーが小屋の前に立って客引きをしているのが見えた。オカマーがお金を集める役で、リキシーが中のものを見せる役をしていた。お金を払ったお客さんに三分間だけ、すだれを開けて中のものを見せていた。お客さんのほとんどは子どもだった。小屋の中を見終えた子どもは、ハンバーガーを買うための列に戻って、順番を待っていた。
「老いらくさん、あの小屋の中に何があると思いますか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「ステージがあって、そのステージの上で、ツヨシ―が芸を披露しているのではないかと、わしは思っている」
老いらくさんがそう答えた。
「自分の目で確かめる方法は何かないでしょうか?」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「だめだめ、そんなことは絶対に考えるな」
老いらくさんが、慌ててそう言った。
「どうしてですか?」
ぼくは聞き返した。
「あいつらはお前のことを知っているから、目の敵にしている。今度、お前が不用意にあいつらの前に姿を現したら、あいつらは頭に血がのぼって、理性を失ってお前に何をするか分からない。危ないことは絶対するな」
老いらくさんがそう言って、ぼくに厳しく忠言した。
「分かりました。早まったことはしないことにします」
ぼくはそう答えた。
「すぐに確かめに行きたい気持ちは、わしもやまやまだが、日が暮れて辺りが暗くなるまで待つことにしよう」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました。せいては事を仕損じると言いますからね」
ぼくはそう答えた。
ぼくと老いらくさんは枝葉が茂っている樹木の上にのぼって、身を隠しながら、リキシーとオカマーの様子をじっと見ていた。こちらからはよく見えるが、向こうからは見えなかったので、リキシーとオカマーは、ぼくや老いらくさんのことに気がつかないで、お客さんを盛んに呼び込んでいた。
やがて日がどっぷりと暮れて、遊園地の中に人影は見当たらなくなった。リキシーとオカマーはそれからまもなく、移動小屋を重そうに押しながら遊園地を出て行った。
「よし、ついて行こう」
ぼくはそう言って木からおりた。老いらくさんもおりてきた。夜陰に紛れて、ぼくと老いらくさんは、リキシーとオカマーのすぐあとまで、そっと近づいていった。リキシーとオカマーの話し声が聞こえてきた。
「ボス、今日のもうけは昨日よりもずっと多かったです」
オカマーがリキシーに、そう言っていた。
「そうか、それはよかった。おれはやはり、この方法が一番よいと思っている。価値あるものを見せたら、お金を取るのが当然だからな」
リキシーが少しも悪びれるところなく、そう答えていた。
「よいことはよいのですが、お金を数えたり、おつりを渡したりするのは少々、面倒です」
オカマーがそう答えていた。
「何を言うか。そんなことを、いちいち気にしていたら商売はやっていけないぞ」
リキシーがオカマーに小言を言っていた。
「このようなことを商売にしていいのでしょうか」
オカマーが、ぽつりと、そう言った。それを聞いてリキシーが、むっとしてオカマーをなぐろうとしていた。ぼくと老いらくさんは、びっくりして、急いで後ろにさがって木の陰に隠れた。リキシーとオカマーはバトルを始めた。どこで習ったのか知らないが、どちらも拳法を心得ていて、足で蹴ったり、こぶしで突いたりして、激しく戦っていた。オカマーはきゃしゃな体にもかかわらず、なかなか健闘していた。しかし結局は体力にまさるリキシーに軍配が上がった。それからまもなくリキシーとオカマーはキャスターのついた移動小屋を押しながら遊園地から出ていった。遊園地の外にある駐車場まで押してくると、そこに止めていた軽トラックの荷台に移動小屋を乗せて走り去っていった。ぼくはしばらく追いかけていたが、すぐに見失ってしまった。老いらくさんが、ぼくのあとから、息をぜいぜい切らしながら追いかけてきた。
「笑い猫、お前がいくら速く走れると言っても、車には到底かなわないよ」
老いらくさんがそう言った。
「だったら、どうすればいいのですか?」
ぼくは老いらくさんに聞き返した。老いらくさんはしばらく考えてから
「わしらの力では対抗できない相手だから、馬小跳の力を借りたほうがよい」
と言った。
「そうですね。それがいいかもしれないですね」
ぼくは、そう答えた。
「馬小跳たちはオンプーを助け出すことができたから、ツヨシ―もきっと助けることができるよ」
老いらくさんが、そう言った。
「そうですね。みんなで知恵を出し合ってツヨシ―を助けてくれるよ」
ぼくは、そう答えた。