これが「業界最大のやべぇプランナー」
他社からも一目おかれるのがこの三神だ。
ちなみにこの応答、二度と同じセリフを言わないのがポリシーらしい。

「お疲れ。一ノ瀬だけど、今いいか?」
「ダメなら絶対出ない。出たってことはOK」

俺は大きく息をつき、思い切って言った。

「降参、やられたよ。三神の仕掛けだろ?」
「ん?どれの話だ?」
「三神だと思えばいろいろ見えてくる。でも大がかりするぎぞ、俺をターゲットに何のテストだ?スマホの表示を2030年に変えるとか、あれはどうやったのか分からない」

限定エリアにゲリラ的にデジタルコンテンツを配信するのは三神の得意技だ。様々な方法で驚く広告をうつ。
今回もその類かと思ったが。

しかし、三神は一拍置いて、戸惑ったように言った。

「一ノ瀬。僕は混乱させる側であって、混乱する側じゃないんだ。君、何を言ってる?」

俺はスクランブル交差点での異変から、職場の変化、肩書きの違和感までをざっと説明した。

「彼女を巻き込んだのはどうかと思うけど、俺に対する仕掛け人としては悪くない人選だった。」

「……続けて」

「つまり、こういうことだろ? 2025年から2030年にタイムリープしたっていう感覚を生み出すのが目的。映画か書籍のキャンペーンか? 」

三神が静かに口を開く。

「一ノ瀬、まず言っておく。今が2030年なんだから、スマホに2030年と表示されてるのは当然」

「は?」
2030年だから、スマホも2030年──?

「あと、君が言ってたような大規模な“仕掛け”は、イベントのテストでやるにはあまりにもコストがかかりすぎる。僕はこれでも予算は厳守するし無駄金は使わない」

何より、と前置きして三神は言った。
「僕ならそんなつまらないイベントはしない」

もっともな回答だった。
むしろ、三神にそう言ってほしかったのかもしれない。仕掛けなんてない、見たままの現実なのだと。

三神が俺の頭がいかれたんじゃないかと心配した後で言った。

「そういや「タイムリープ体験」は前に検討したよな。君と俺で組んだ仕事だったから覚えてるだろ。 3年前だっけ」

3年前、2027年か?
未来のことを知るわけがない。今が2030年だとしても俺は2025年の人間なのだから。

「クロノワークスの『LYNX』をリリースする時に体験型イベントをやるかどうか、議論になったろ」

クロノワークス……?
今日はこの社名にやけに縁がある。彼女の、結月さんの顔が浮かんだ。

「結局、イベントはやらずに、いきなりユーザーに体験させる方式に決まった、インパクト重視ってことで」

「りんくす……?」

「おい、失恋の反動で忘れたいのは分かるけどね、あれは君にとって代表作の一つだ。彼女を忘れてもやった仕事は忘れないでほしいね。」

「あの時、君、『LYNX』の広告は全部俺がやるって言って上層部説得して全分野仕切っただろ」

「俺が、そんなことしたのか?」

スマホでリンクスを検索する。
綴りはLYNX、オオヤマネコのことだということと、
オオヤマネコは北欧やギリシャ神話で真実を見抜く象徴だとか。

そこから製品名にしたというクロノワークス社の未来予測AI『LYNX』──

「おい、今日はどうした?頭は大丈夫かほんとに」

「三神、失恋って何の話だ?」

「忘れたのか?いや、悪い、君が自衛のために心に封印したのかもしれないな……。振られた君は当時とても見てられなかった」

三神は小さく「だから俺は言いたくない」と言った。
いつも面白いことだけを追求している三神が俺をこうも気遣っているのは初めてかもしれない。

未来予測AI『LYNX』を検索すると
ChatGPT以来の革命
世界中で話題
スマホユーザーの9割が利用
といった言葉が並んでいた。

「君がもし思い出したいなら当時の社内報を見ればいい。君とLYNXの開発者の対談が載ってる。その人はLYNX開発にブレイクスルーをもたらした女性だ。若き天才プログラマーって持て囃されたけど、彼女はいたって謙虚な女性だった。そういうところに君は夢中になったんだと思う」

クロノワークス……LYNX……この流れで失恋の話題、嫌な予感がする。直感に近いかもしれない。
机の引き出しを開けて名刺を確認する。
彼女の名刺の肩書には「未来予測AIチーム」とある。

社内イントラで社内報のバックナンバーを見る。
2027年2月にLYNXがリリースしてるから、社内が動きだしたのは、2026年。
2026年から2027年の発行分を順番に見ていく。

「その女性は結月さんか……?結月美咲さん」

三神が答えるか迷ったのがわかる。一呼吸おいて肯定も否定もしない代わりに俺に言った。

「僕もLYNXの件で彼女と絡んだから近くで見ていたけど、彼女も憎からず君を想っているようだった。でも突然他に恋人ができて、食い下がる君を最後まで突き放した。君は意外に繊細だから、記憶に封印したならそのままにしておけばいい」

社内報にたどり着く。
『2027年 新春号 
LYNX開発チーム 結月美咲 × LYNX CMクリエイティブディレクター一ノ瀬悠真』

こんなことがあるのか?
交差点で見かけるだけの女性と仕事で関わることになった。
張り切って取り組んだのに結局は失恋して同僚にこうも気遣われている。
しかも、その話を俺は知らないという。

「三神、俺のスマホにLYNXは入ってない。自分でCM作って入れてないんだな、俺」

「君はあの時にLYNXを二度と使わないって言ってた。LYNXは失恋を見通していたって。頑張っても彼女の心は変えられなかったし、未来が決まってるなら知りたくないと」

三神は人を驚かせることに心血そそぐが無駄に人を傷つけたり、嘘をつくヤツじゃない。

電話を切って、俺はもう一度椅子にもたれ、天井を仰いだ。

記憶のない5年間がある。
その中には彼女とのことも。
距離が縮まったことすら覚えていないのに、振られていたという事実だけが胸に落ちてくる。
ズシリと、重く。

今は2030年、簡単には信じられない事態に向き合わなくてはならなかった。