2030→2024 渋谷スクランブル交差点で二人が出会うまでの物語



美咲は傍らのポーチから眼鏡を取り出してかけた。うっすら黄色がかったレンズはPCのブルーライトカット眼鏡だろうか。
レンズ越しに俺の目をまっすぐに見て言った。

「LYNXが必要なデータを取りに行ける──私たちはその環境を整えているだけなんです」

眼鏡も似合っていて思わず目が吸い寄せられてしまうけど、その一方で頭は理解しようとフル回転していた。

「……なかなか理解が追いつかないけど、それは人知を超えてるとは言わないのでしょうか?完全にSFの世界に迷い込んだ気分です…」

俺は美咲と五十嵐社長を交互に見て、どちらへともなく言うと、美咲が迷いなく俺の問いに答える。

「人知を、越えてると思います。でも、AIは人のコントロール下にあると断言します。」

五十嵐社長が頷いて続けた。

「人が想定しない、人が辿り着かない、そんな答えがAIから返ってくる。だから時々、我々人間の目にはAIが意志を持って考えているように見えるんだ」

人が扱いきれないほどの膨大な情報と条件。
人の感情のゆらぎ。
それらを重ね合わせて未来を見通している──

「LYNXの未来予測はね、長期的なものは実は今ようやく答え合わせが始まってるところでね。
でも短期的にはかなりの精度だ。」

誇れるはずの精度。
だけど、五十嵐社長は言いながら目を伏せた。

「だから、羽澄奈美を取り巻く環境や条件、置かれた状況、彼女の性格や揺らぎ。そこから導かれた未来予測──当たると思った方がいい」

LYNXが悪戯に述べた未来ではない。
絶対ではないけど高い確率。

しかし、彼女がLYNXでその未来を知ることはできないのだろうか?
回避することはできないのだろうか?

2060年のパンデミックに何か大きな影響力がある人間のはず。なのに、こんな風に命の火が消えようとしているなんて。
何かすっきりしない。
でも今はLYNXの出す答えをただ受け止めて、朝日奈凪の未来シナリオを確認しなくてはならい。

美咲が深呼吸を一つ。
それからキーボードを叩きながら言った。

「では、朝日奈凪の未来シナリオを出します」

─────────
[Scenario_Entity_D: Asahina Nagi]
Temporal span: 2025–2030
Narrative generation mode: Active

──2030年9月27日、午後

仕事は終わらない。
小さな不具合が波のように次々と押し寄せ、凪は画面を睨んでいた。
恋人からのメッセージは、昼間から何度も入っていた。
「お願い。今日だけは絶対に来て」

指定されたのは、都心の格式高いホテルのラウンジ、18:00。
恋人、芽衣は親に押しつけられる見合いの場に凪を呼んでいた。このようなことは何度目か分からない。

帰路は夕立に包まれる。
雨が視界を削り、舗道は光る絵のように濡れている。
近道のつもりで公園の石段を駆け降りた瞬間、雨が彼の足元をすべらせた。

18:05

石の縁が牙のように近づく。最後に見えるのは、空に散る雨だった。

─────────

「これは──」

俺は思わず立ち上がった。
画面に現れた文字に言葉を失った。

美咲の指がかすかに震えていた。
その指で画面の表示を切り替える。

─────
[Data_Extract]
Timestamp: 2030-09-27T18:05:07+09:00
Event: Fall from height (subject_C) — uncontrolled descent on outdoor stone steps
Mechanism: Loss of traction on wet stone; rotational tumble; head-first impact on lower landing
Impact vector: 87° (head-first)
Result: Fatal blunt force trauma; subdural hemorrhage and basal skull fracture
─────

「悠真くん…Result…結果…に並んでる単語がいまいち分からないんですが、分かりますか?」

「直訳だけど、致命的な鈍力外傷、硬膜下出血、頭蓋底骨折、かな」

俺は指を指して読み上げた。
ただの怪我で済む状態ではない。

「……同じ日、同じ時間…」

社長の声が低く、部屋の空気を震わせる。
美咲は画面を見つめたまま言った。

「あの日、出会うはずだった2人が──出会うことなく……偶然ですか、これが…」

五十嵐社長は窓に寄りかかりながら目頭を手で押さえていた。

「一ノ瀬君、結月君、君たちはこの結果をどう考える?」

五十嵐社長に問われて美咲が俺を見る。
でも、目が合うと俯いてしまった。
不安げな眼差しなあの日ぶつかった自分を責めているのかもしれない。

俺も美咲も彼らにぶつかったのは本当にたまたまだった。
俺に関しては、強いて言えば、美咲とすれ違ったあとに少し振り返って目で追ってしまったせいで前方に注意するのが一歩遅れたかもしれない。
でも意図したわけじゃない。
偶発的な出来事だった。
彼らの出会いを邪魔しようとしたわけでもないし、未来を変えようと思ったわけでもない。

深い沼から何か得体の知れないものが浮き上がってきたような、それを掴むような感覚で頭に浮かんだ考えを口にした。

「このため──でしょうか?」

Timestamp: 2030-09-27T18:05
同じ日、同じ時間に命を落とす二人。

「二人の不幸な事故死を回避するために俺たちはここに来たんでしょうか?」