2030→2024 渋谷スクランブル交差点で二人が出会うまでの物語

答えが返ってくるとは思っていなかったのか、五十嵐社長は何度か瞬きをした。

「クロノスが線なら、カイロスは点──という時間の概念だった記憶ですが」

俺がそう付け加えると、五十嵐社長は手を打った。

「一ノ瀬くん!君、博識だな!モテるわけだ」

いいえ、という意味で手を振った。

「その通りだよ。クロノスは過去から未来へと流れる時間。カイロスは──その流れの中に突如現れる『運命の瞬間』だ」

うんめいの…しゅんかん…
俺と美咲が呟くように小さく復唱した。

「最後まで悩んでね……結局は『時間を扱う技術』って意味で、現実的な響きのクロノワークスにしたんだけどさ」

「……いい社名だと思ってます」

そう言った美咲の顔は見えなかったけど、五十嵐社長が満面の笑みを返した。

「結局はこの選ばなかった名をね、LYNXの代名詞である『未来予測シナリオ』の名として残したんだ」

五十嵐社長は画面を指差しそう言った。

「悪いね、どうでもいい話をしてしまったな」

俺と美咲は静かに首を振った。

「……よし結月君、進めよう」

「はい」

美咲の指先がキーボードの上に置かれた。
一度、深呼吸をしてから静かに打つ。
タッチ音の一つひとつが、空気を震わせるように響いた。


[Access point:KAIROS]
──Authentication Complete.


「……昨日のデータを引き込みました。
実行していいですか?」

「頼むよ。今日はセキュリティが静かで助かるな」

今日は…?

「画面には絶えずアラートが出てますが」

「内線が鳴らなきゃ問題ないさ」

美咲が肩を落とした。

「……昨日はやばかったってことですね」

五十嵐社長は笑い飛ばして「まあまあ」と美咲の肩を叩いた。

この豪快な人柄で、頼もしくも強引に事を押し切った場面があったのだろう。
美咲が俺を見てため息をついたけど、社長に対する絶対的な信頼がその表情の奥にはあった。