〈side 悠真〉

嘘だろ。
駅前のスクリーン、交差点の大型サイネージ、街路の広告塔──
どこを見てもÉtoilée Éclat(エトワレ・エクラ)の広告がない。

俺がクリエイティブディレクターとして初めて作ったグローバル展開するCMだった。
ハイブランドÉtoilée (エトワレ)が新たに生み出した働く女性のために少しカジュアルダウンしたジュエリー専門の新ブランド。

今世界で活躍する日本人男性モデルのKAIを起用し、ブランドの輝く魅力を最大限に出せた手答えが。

今朝から始まった広告だった。気合いを入れて展開した渋谷のこの交差点は、突如、スキンケア商品の広告が巡らされている。
でも街を行く人は誰もそれを気にしていない。

マーケティング部に電話、いや、職場はすぐそこだ。
行った方が早い。
そう思った時だった。

「KAIじゃない…?」

俺と同じ戸惑いを感じさせる声だった。
気づいた人がいた。走り去ろうとするその人を思わず手を掴み話しかけてから気がついた。
──あの子だ


話す機会なんて一生ないと思っていた。
姿勢よく歩く姿と、肩で揺れる綺麗な髪が印象的で──
そこだけ鮮やかに色づいたような、目を引く人だった。

その彼女だったのはたまたまだったけど、話してみて違和感が形になる。

消えた広告
気にしてない街の人々
自分のさっきと違う服
変わっていた名刺の肩書き
スマホで見た今日
 
出勤時間が迫っていたので別れたけど、彼女と名刺を交換して職場に向かう俺は浮き足だっていた。
話したこともない、名前も知らなかった彼女のことが、思った以上に俺は気になっていたらしい。自分の中の本音に気がついて驚いていた。
あの雰囲気から、アパレルの本社事務とか勝手に想像してた。

──クロノワークス、か

知っている。AIを進化させる企業って今注目されている。社長が学生時代から取り組んできた技術で起業し、一躍AIの世界を変えたとか。いくつか記事を読んで、発想力と突き進む信念がすごいと思った覚えがある。
彼女の名刺を取り出して見る。肩書きから、アルゴリズムの開発メンバー、しかもあの若さで主任ということは相当やり手の開発者なんだろう。
だめだな、彼女のことばかり考えている。名刺を机の引き出しにしまった。これじゃ仕事にならないし、何より今は状況の確認が先決だ。

職場のビルに到着するまでに、この不可解な状況に俺なりに答えを出していた。
イベントマーケティング部の仕業だろう、と。
サプライズ型プロモーションのテストか何かだと俺は結論付けた。同期の三神というプランナーがその部署にいるのだけど、とんでもない発想でイベント型のプロモーションを立ち上げたりする。
彼曰く「君らが正解探してるうちに、僕は伝説作ってるから。」だそうだ。
まあ確かに、本人には言わないけど安全に驚かせて笑わせるバランス感覚は凄腕の証だと俺は思ってる。

ところが、ビルのエントランスを抜けて中に入るや否や、また違和感かとうんざりした。
ソファが違う。
受け付けの女性や警備員が違う。
とどめに「ブランド戦略部」のフロアが2階から3階に移動していた。
俺が挨拶する前にみんなが挨拶してくれるけど、仲間に対してというより上司に対しての挨拶のような。フランクな業界だけど上司に対しては敬意を忘れない、そんな雰囲気がある挨拶が飛んでくる。

フロアには知らない顔がいる、知ってる顔でさえなんとなく雰囲気が違う。別な部署に間違えて入ってしまったくらいの違和感だ。

「あれ、悠真さん、はようっす。今日フレックスっすか」
一つ下の名波に声をかけられて馴染みの人間にホッとする。
「いや、交差点の広告とかモニター映像見てきた。人の反応も見たかったし」
「ああ、敵情視察っすね?さすが」 
「ん?何が?」
「え、
今やってる新発売の化粧品、光映堂の広告じゃないですか。なかなか映像も良かったですよね。まあ、人気のタレントを金使って起用しただけって感じもしますけど」
「あれ人気タレントなの?」
「サオリっすよ、超人気アイドルじゃないすか。ちょっと悠真さん忘れたとか?別案件であのタレント使ってってクライアントに言われて、その仕事断ったじゃないですか。 ひ人気なだけで表現できない人は使えないって」

何の話し? 
その意見は同感だけどそんな案件知らない。

俺は自分の席を見るとすでにだれかが座って仕事をしている。

「名波、悪い、俺多分、色々調子悪いかも。色々ど忘れしてるし。俺の席どこだっけ」

「は?やだな、忘れるもくそもこちらですよ」

なんとなくそんな気はしていた。
半個室の執務スペース
嘘だろ…俺は腰かけ背もたれに体を預けると天を仰ぎ目を閉じた。
ここは、A-ECDと略しているがアソシエイト・エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターの席だ。
彼女に名刺を渡した時、ありえない肩書きが自分の名前の上にあったそれで、このスペースを与えられるポジションだ。

なんだこれ。
20代後半、入社6年目で与えられるポジションじゃないだろ。確かに同世代の中では着実に成果を上げてきた。でも所詮6年目だ。A-ECDはうちなら入社10年から15年くらいか。

お手上げだ。
なんなんだこの状況…
俺は思い出して電話を手に内線を押す。
イベントマーケティング部だ。

「こちら夢とアイデアの窓口、イベントマーケティング部です。想像の宇宙から三神が応答中」

疲れるな…