〈side 美咲〉
さっき私余計なことを言ったなあ…
気づいてしまったけれど、気づかないふりを貫き通すことにした。
一ノ瀬さんが交差点でどこからどう歩いてきたか知っていたなんて──前から「あなたのことを知ってます」と告白したようなものだ。どうか気づいていませんように……。
いや、無理がある。だって言った瞬間、射抜くように真っ直ぐに私の顔を見てたから。
「あの時間帯は通勤ラッシュでもないですし、でもショッピングにはまだ早いですよね。」
再び、二人で画面を覗き込みながら私は画面のコードを淡々といじる。
そうじゃないと恥ずかしくてどうにかなりそうだった。
「そうだね、夕方のピークは一回の青信号で3,000人らしいけど、あの時間は1000人とか聞いた気がするよ」
「じゃあグレーのマーカーは1000人に設定して……」
スタートを待つように赤、青、紫、緑のマーカーが画面上で点滅している。
私の操作でマーカーが動き出す。
グレーの点々が大きな波のように渋谷駅前から一斉に流れ出すと、一ノ瀬さんは、
「おっ、すげ…」
と身を乗り出して画面を注視した。
一ノ瀬さんはコードの画面も興味深そうに見て、これはどういう意味?と質問してくるけど、グラフィック画面になると本能的に反応するのかぐっと前のめりになった。
「映像のプロに見せるの、ちょっとアレなんですけど…」
「いや、十分すごいよ…面白い…」
なんて、話しながらあまり意識しないようにしてるけど、腕が振れる距離に一ノ瀬さんがいる。
朝からずっと一緒にPC画面を見ていて、距離も近いし私は口を滑らせたしで、意識すると冷静ではいられなくなりそうで、つい私の口調は淡々としてしまうけど。
一ノ瀬さんは、今日は休日だからか髪型も出勤する時とはちょっと違う気がする。かすかに柑橘系の香りがするのは仕事モードの時と同じ。黒のポロシャツに細身のグレーのチノパンで、総じて今日もとても素敵だった。
画面では人の波に逆らうように紫と緑が入ってくる。
一ノ瀬さんが画面を見たまま言った。
「こうやってみると、CとDは逆流のように俺たちの前に現れるんだな…意思を持ってこの流れに入ってきた異物に見える」
赤と紫、青と緑、それぞれぶつかり、その地点にバツ印が付く。これがパターン1、実際にあったこと。
そして、まっすぐの線を描いていた未来線が跳ね上がった。
同時にもう一つのパターンが再現中で、緑と紫はまだ直進し、ぶつかった。そこにまたバツ印。パターン2。これが、LYNXが示したあったはずの出会いか?
未来線はまっすぐを描いたままだった。
何度か再現して、すれ違う人の波で誤差はありつつもほぼ同じ位置にバツ印がつき、再現性はおそらく限りなく高い結果になったと思う。
未来線の動きも同じだった。
「なるほど、俺と結月さんが交差点に進入しなければ、CとDはぶつかった。ぶつかっただけで出会いなるかはさておき」
「ぶつかって一目惚れならドラマチックで運命的な出会いですけど。世界の未来を左右する2人ですから」
「未来線が見事に結果を叩き出したもんな。あの2人が出会う、出会わないとパンデミックがなんで関係するんだ…」
運命…未来…
一ノ瀬さんが呟いて椅子の背もたれに体を預けた。
「一ノ瀬さん、ちょっと休憩しましょう」
私のペースで時を忘れてお昼も食べずに15時過ぎていた。
「いやいいよ、気になる、結月さんとCはぶつからず俺とDぶつかるパターン、見せてよ」
そう言いながら私に向けた一ノ瀬さんの目は期待に満ちていた。私は思わず頬がゆるんだけど、瞳の訴えは却下した。
私はお茶を淹れるため席を立った。
「一ノ瀬さんのチョコレートを頂きたいので休憩です」
私がそう言うと、一ノ瀬さんは不満そうに「はーい」と言って立ち上がると、首や腕を回してストレッチを始めた。
「一ノ瀬さん、お腹好きませんか?」
一ノ瀬さんは自分のスマートウォッチに目を落とし、それから壁の時計を見た。
「あ、お昼食べそびれたか……そうだ、良かったら駅前の商店街で何か買ってくるよ、カレーのお礼に。早めの夜ご飯にしてまた続き見せてよ」
えーと、一ノ瀬さん今、すっごい自然に夜ごはんも一緒にって流れだったけど、待って、乗っちゃっていいの?それとも、ここは貴重な休日を拘束して申し訳ないから、帰りやすい流れを作った方がいいのか。
LYNXに聞こう。未来シミュレーションはそのためにあるのだから。
私がポケットに手を入れスマホをつかむと、一ノ瀬さんが「あっ」と言った。
「結月さん、この後予定ある?俺帰った方がいいならそうするし」
「いえ、予定はないですが…」
ばか、予定があるフリをすれば一ノ瀬さんは帰れたのに。反射的に普通に答えてしまった。
LYNXは人生の急を要する場面で役に立たない。これは盲点。
相手の問いかけを聞き取り、YESかNOの最適解をスマートウォッチに表示して判断をサポート。
これは次のアップデートで実装しなきゃと決意した。
淹れたお茶はチョコレートに合うようにアールグレイにした。
「一ノ瀬さんは大丈夫ですか?私のペースに合わせてると休日がただ過ぎてしまいますから…
あの、おもたせですが一ノ瀬さんも是非」
蓋を開けると芳醇なチョコレートの香り。
「ありがと」と言ったけど一ノ瀬さんは多分手をつけないだろうから豆皿に一つ取り分けた。
「ただのチョコレートが絵画だな。ありがと」
額縁のような小皿だったからそう言ったのだろうけど、一ノ瀬さんは見たものを独り言のように言葉でよく表現する。一昨日、デリを選ぶ時も「まるで食べられるパレットだな」と呟いていたし、さっきもグラフィックを見せると「君の指先は未来も過去も描くんだな」と大袈裟な表現をした。
二人で同時にチョコレートを一つ口に放り込む。時が止まったかと思うほど美味しかった。
「さっきの話しだけど、俺は結月さんが迷惑でないなら、もう少し一緒に…その、どうなるか見たいというか」
あぁ、この人は…
私が気を遣わないようにここにいる理由を自分のわがままに変えて伝えてくれていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、お願いしてもいいですか?暑いですよ?デリバリーでも」
私がそう言うと、一ノ瀬さんはふっと柔らかい笑顔を見せた。
「あの駅前の商店街気になるから行ってくるよ。オススメあったら教えて」
記憶にない過去で、私は一ノ瀬さんを振ったらしいけど、でも、本当は一ノ瀬さんを好きだったと思う。
何の関係でもない私にも、こんなに優しいのだから。
好意を持ってくれていたなら、きっともっと優しさを向けられていたはずだ。
昨晩、プライベートでも仲のいい職場の先輩、麗子さんに電話をした。
LYNXが私に教えてくれた、あの日、定時出社していたら会いたくない人に会っただろうことについて、5年前だけど覚えていることはあるか教えてもらいたくて。
麗子さんは「忘れたの?上司や警備室にあんた謝りにいったじゃない」と。
元彼が職場の前で待ち伏せて、警備員さんに声をかけられ、ちょっとした騒ぎになったそう。
その話の流れで、麗子さんは言った。
私は今から3年前に陽司とヨリを戻したと。一ノ瀬さんを振って陽司と付き合ったと。
二度と会いたくないと思っていた安城 陽司と──?
何もかもありえないと思った。
さっき私余計なことを言ったなあ…
気づいてしまったけれど、気づかないふりを貫き通すことにした。
一ノ瀬さんが交差点でどこからどう歩いてきたか知っていたなんて──前から「あなたのことを知ってます」と告白したようなものだ。どうか気づいていませんように……。
いや、無理がある。だって言った瞬間、射抜くように真っ直ぐに私の顔を見てたから。
「あの時間帯は通勤ラッシュでもないですし、でもショッピングにはまだ早いですよね。」
再び、二人で画面を覗き込みながら私は画面のコードを淡々といじる。
そうじゃないと恥ずかしくてどうにかなりそうだった。
「そうだね、夕方のピークは一回の青信号で3,000人らしいけど、あの時間は1000人とか聞いた気がするよ」
「じゃあグレーのマーカーは1000人に設定して……」
スタートを待つように赤、青、紫、緑のマーカーが画面上で点滅している。
私の操作でマーカーが動き出す。
グレーの点々が大きな波のように渋谷駅前から一斉に流れ出すと、一ノ瀬さんは、
「おっ、すげ…」
と身を乗り出して画面を注視した。
一ノ瀬さんはコードの画面も興味深そうに見て、これはどういう意味?と質問してくるけど、グラフィック画面になると本能的に反応するのかぐっと前のめりになった。
「映像のプロに見せるの、ちょっとアレなんですけど…」
「いや、十分すごいよ…面白い…」
なんて、話しながらあまり意識しないようにしてるけど、腕が振れる距離に一ノ瀬さんがいる。
朝からずっと一緒にPC画面を見ていて、距離も近いし私は口を滑らせたしで、意識すると冷静ではいられなくなりそうで、つい私の口調は淡々としてしまうけど。
一ノ瀬さんは、今日は休日だからか髪型も出勤する時とはちょっと違う気がする。かすかに柑橘系の香りがするのは仕事モードの時と同じ。黒のポロシャツに細身のグレーのチノパンで、総じて今日もとても素敵だった。
画面では人の波に逆らうように紫と緑が入ってくる。
一ノ瀬さんが画面を見たまま言った。
「こうやってみると、CとDは逆流のように俺たちの前に現れるんだな…意思を持ってこの流れに入ってきた異物に見える」
赤と紫、青と緑、それぞれぶつかり、その地点にバツ印が付く。これがパターン1、実際にあったこと。
そして、まっすぐの線を描いていた未来線が跳ね上がった。
同時にもう一つのパターンが再現中で、緑と紫はまだ直進し、ぶつかった。そこにまたバツ印。パターン2。これが、LYNXが示したあったはずの出会いか?
未来線はまっすぐを描いたままだった。
何度か再現して、すれ違う人の波で誤差はありつつもほぼ同じ位置にバツ印がつき、再現性はおそらく限りなく高い結果になったと思う。
未来線の動きも同じだった。
「なるほど、俺と結月さんが交差点に進入しなければ、CとDはぶつかった。ぶつかっただけで出会いなるかはさておき」
「ぶつかって一目惚れならドラマチックで運命的な出会いですけど。世界の未来を左右する2人ですから」
「未来線が見事に結果を叩き出したもんな。あの2人が出会う、出会わないとパンデミックがなんで関係するんだ…」
運命…未来…
一ノ瀬さんが呟いて椅子の背もたれに体を預けた。
「一ノ瀬さん、ちょっと休憩しましょう」
私のペースで時を忘れてお昼も食べずに15時過ぎていた。
「いやいいよ、気になる、結月さんとCはぶつからず俺とDぶつかるパターン、見せてよ」
そう言いながら私に向けた一ノ瀬さんの目は期待に満ちていた。私は思わず頬がゆるんだけど、瞳の訴えは却下した。
私はお茶を淹れるため席を立った。
「一ノ瀬さんのチョコレートを頂きたいので休憩です」
私がそう言うと、一ノ瀬さんは不満そうに「はーい」と言って立ち上がると、首や腕を回してストレッチを始めた。
「一ノ瀬さん、お腹好きませんか?」
一ノ瀬さんは自分のスマートウォッチに目を落とし、それから壁の時計を見た。
「あ、お昼食べそびれたか……そうだ、良かったら駅前の商店街で何か買ってくるよ、カレーのお礼に。早めの夜ご飯にしてまた続き見せてよ」
えーと、一ノ瀬さん今、すっごい自然に夜ごはんも一緒にって流れだったけど、待って、乗っちゃっていいの?それとも、ここは貴重な休日を拘束して申し訳ないから、帰りやすい流れを作った方がいいのか。
LYNXに聞こう。未来シミュレーションはそのためにあるのだから。
私がポケットに手を入れスマホをつかむと、一ノ瀬さんが「あっ」と言った。
「結月さん、この後予定ある?俺帰った方がいいならそうするし」
「いえ、予定はないですが…」
ばか、予定があるフリをすれば一ノ瀬さんは帰れたのに。反射的に普通に答えてしまった。
LYNXは人生の急を要する場面で役に立たない。これは盲点。
相手の問いかけを聞き取り、YESかNOの最適解をスマートウォッチに表示して判断をサポート。
これは次のアップデートで実装しなきゃと決意した。
淹れたお茶はチョコレートに合うようにアールグレイにした。
「一ノ瀬さんは大丈夫ですか?私のペースに合わせてると休日がただ過ぎてしまいますから…
あの、おもたせですが一ノ瀬さんも是非」
蓋を開けると芳醇なチョコレートの香り。
「ありがと」と言ったけど一ノ瀬さんは多分手をつけないだろうから豆皿に一つ取り分けた。
「ただのチョコレートが絵画だな。ありがと」
額縁のような小皿だったからそう言ったのだろうけど、一ノ瀬さんは見たものを独り言のように言葉でよく表現する。一昨日、デリを選ぶ時も「まるで食べられるパレットだな」と呟いていたし、さっきもグラフィックを見せると「君の指先は未来も過去も描くんだな」と大袈裟な表現をした。
二人で同時にチョコレートを一つ口に放り込む。時が止まったかと思うほど美味しかった。
「さっきの話しだけど、俺は結月さんが迷惑でないなら、もう少し一緒に…その、どうなるか見たいというか」
あぁ、この人は…
私が気を遣わないようにここにいる理由を自分のわがままに変えて伝えてくれていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、お願いしてもいいですか?暑いですよ?デリバリーでも」
私がそう言うと、一ノ瀬さんはふっと柔らかい笑顔を見せた。
「あの駅前の商店街気になるから行ってくるよ。オススメあったら教えて」
記憶にない過去で、私は一ノ瀬さんを振ったらしいけど、でも、本当は一ノ瀬さんを好きだったと思う。
何の関係でもない私にも、こんなに優しいのだから。
好意を持ってくれていたなら、きっともっと優しさを向けられていたはずだ。
昨晩、プライベートでも仲のいい職場の先輩、麗子さんに電話をした。
LYNXが私に教えてくれた、あの日、定時出社していたら会いたくない人に会っただろうことについて、5年前だけど覚えていることはあるか教えてもらいたくて。
麗子さんは「忘れたの?上司や警備室にあんた謝りにいったじゃない」と。
元彼が職場の前で待ち伏せて、警備員さんに声をかけられ、ちょっとした騒ぎになったそう。
その話の流れで、麗子さんは言った。
私は今から3年前に陽司とヨリを戻したと。一ノ瀬さんを振って陽司と付き合ったと。
二度と会いたくないと思っていた安城 陽司と──?
何もかもありえないと思った。



