〈side 美咲〉
『お疲れ様です。今夜は急にクライアントとの会食が入ってしまい、伺えそうにありません。結月さんのカレー楽しみにしていたのにとても残念です。明日、ご迷惑でなければ伺ってもいいでしょうか?』
そう連絡が届いたのは、夕方のことだった。
昨晩は話している内に自然に砕けた話し方をしていた一ノ瀬さんが、メッセージ文は丁寧に書いていて、人との距離感に気をつけてる方なんだなと思わず口元がゆるむ。
今日は来れないのか…
がっかりした自分を誤魔化すように、私はスマホを伏せた。
違う、がっかりしてないから。
そもそも一ノ瀬さんは、タイムリープについて検証するためにここへ来るのであって、遊びに来るわけじゃない。がっかりしたのは会えないからじゃない、検証作業を一緒にできないからで……。
そう思い直してみても、掃除までして待っていた気持ちは簡単には自分でも誤魔化せなかった。
やるべきことはある。
作りたてのカレーの香りがする中で、気を取り直して私は椅子に座り、パソコンを立ち上げた。
LYNX-oneを開き、その機能の一つに画面を進める。
「もしもスイッチ」
アプリ版にも実装されたこの機能は、社内でも議論の的になった。あの時こうしていたら、という誰もが一度は抱く思いを可視化するもの。
けれど、クローズドβテスト(限定ユーザーによるテスト)で評価が高かったため、そのまま実装することになった。
名前についてもいくつも案が出たけれど、過去を悔やむような重たいものにはしたくなかった。むしろ遊び感覚で、未来を前向きに考えるきっかけになればいい。そういう願いを込めて、この軽い響きに落ち着いたのだった。
けれど、軽いのは名前だけで、機能は驚くほど緻密。その日付に紐づくあらゆるデータとリンクし、可能性の枝を導き出す。
アプリ版が物語のように結果を見せるのに対し、LYNX-oneはより具合的に数値で示す。
ちなみにこの機能は官公庁向けLYNXでは「代替政策シナリオ・モジュール」と言っている。
LYNXの全ての機能では、大前提として他人の未来は予測できないという仕様になっている。
同じように、官公庁向けも国際的混乱を避けるため内政利用しかできない仕様。
もちろん、改造を試みる国や人もいるだろうというのは想定内で、クロノワークスとしても対策はとっており、改造や不正な使用があれば瞬時にブロック。また定期的に暗号化パッチを送信し、常に最新の妨害コードで改造を阻止している。
私はLYNX-oneの「もしもスイッチ」に入力する。
─────────────
2025年8月15日
9:25〜9:35
もしも、
この日この時、家にいたら?
─────────────
─────────────
=== LYNX-one / シナリオ解析結果 ===
【もしもシナリオ入力】
2025-08-15
09:25〜09:35
推定シナリオ: alt_action=stay_home
分岐: timeline-B / prob. 0.78
effect: no-encounter[event_id:交差点]
downstream impact: cascade delay
【シミュレーション結果】
リスク変動率: -82.4%
社会的接触頻度: 低下
経済的行動パターン: 通常範囲内
未来予測シナリオ: 平穏・持続性高
異常値検出: 該当なし
備考: 不整合クラスタ検出: 3件
・event_021: 時空的接触未達
・event_042: 行動系列矛盾
・event_053: 潜在影響拡張
補足: 潜在的リスク・高度非線形依存
──────────────
これは…不整合クラスタ検出?
データに穴があるということか……なんだろう、なにが抜けてるんだろう。
一ノ瀬さんに見せるなら翻訳ビューを整えておいた方がいいかもしれない。あまり翻訳センスには自信がないけど無機質なデータよりいい、という程度なら。
データの言わんとするところをみやすく変換する。
実際のアプリでは、ナラティブエンジニアリング部という専門部署がデータから物語を生成するので翻訳の精度や見せ方はかなり洗練されている。
これが個人向けLYNXのキモでもある。
今は私の試作だから文章力は直訳に近くてイマイチだけど、誤りはないはず。
───────────────
=== LYNX-one / 翻訳ビュー ===
もし、この朝 家を出なかったら――
あなたは、あの人とすれ違うことはなかったでしょう。
→ この時間に家にいた場合
・安全度が高まりました
・特別な出来事はありません
・未来は通常通りに続きます
========================
────────────────
家にいたら、一ノ瀬さんと関わりはできなかった。
私は相変わらず、交差点で見かけるだけでラッキーだと思うような日々を送るのだろうし、この5年間と同じ時間が待っているとしたら、2027年にアプリ版LYNXをリリースするタイミングで初めて一ノ瀬さんと出会うことになるのだろう。
それにしてもリスク変動率: -82.4%、
外に出ていたらかなりの高確率で何かしらのリスクを負ったということだ。
いったい私は何を回避したのだろう?
タイムリープを回避した?
『お疲れ様です。今夜は急にクライアントとの会食が入ってしまい、伺えそうにありません。結月さんのカレー楽しみにしていたのにとても残念です。明日、ご迷惑でなければ伺ってもいいでしょうか?』
そう連絡が届いたのは、夕方のことだった。
昨晩は話している内に自然に砕けた話し方をしていた一ノ瀬さんが、メッセージ文は丁寧に書いていて、人との距離感に気をつけてる方なんだなと思わず口元がゆるむ。
今日は来れないのか…
がっかりした自分を誤魔化すように、私はスマホを伏せた。
違う、がっかりしてないから。
そもそも一ノ瀬さんは、タイムリープについて検証するためにここへ来るのであって、遊びに来るわけじゃない。がっかりしたのは会えないからじゃない、検証作業を一緒にできないからで……。
そう思い直してみても、掃除までして待っていた気持ちは簡単には自分でも誤魔化せなかった。
やるべきことはある。
作りたてのカレーの香りがする中で、気を取り直して私は椅子に座り、パソコンを立ち上げた。
LYNX-oneを開き、その機能の一つに画面を進める。
「もしもスイッチ」
アプリ版にも実装されたこの機能は、社内でも議論の的になった。あの時こうしていたら、という誰もが一度は抱く思いを可視化するもの。
けれど、クローズドβテスト(限定ユーザーによるテスト)で評価が高かったため、そのまま実装することになった。
名前についてもいくつも案が出たけれど、過去を悔やむような重たいものにはしたくなかった。むしろ遊び感覚で、未来を前向きに考えるきっかけになればいい。そういう願いを込めて、この軽い響きに落ち着いたのだった。
けれど、軽いのは名前だけで、機能は驚くほど緻密。その日付に紐づくあらゆるデータとリンクし、可能性の枝を導き出す。
アプリ版が物語のように結果を見せるのに対し、LYNX-oneはより具合的に数値で示す。
ちなみにこの機能は官公庁向けLYNXでは「代替政策シナリオ・モジュール」と言っている。
LYNXの全ての機能では、大前提として他人の未来は予測できないという仕様になっている。
同じように、官公庁向けも国際的混乱を避けるため内政利用しかできない仕様。
もちろん、改造を試みる国や人もいるだろうというのは想定内で、クロノワークスとしても対策はとっており、改造や不正な使用があれば瞬時にブロック。また定期的に暗号化パッチを送信し、常に最新の妨害コードで改造を阻止している。
私はLYNX-oneの「もしもスイッチ」に入力する。
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2025年8月15日
9:25〜9:35
もしも、
この日この時、家にいたら?
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=== LYNX-one / シナリオ解析結果 ===
【もしもシナリオ入力】
2025-08-15
09:25〜09:35
推定シナリオ: alt_action=stay_home
分岐: timeline-B / prob. 0.78
effect: no-encounter[event_id:交差点]
downstream impact: cascade delay
【シミュレーション結果】
リスク変動率: -82.4%
社会的接触頻度: 低下
経済的行動パターン: 通常範囲内
未来予測シナリオ: 平穏・持続性高
異常値検出: 該当なし
備考: 不整合クラスタ検出: 3件
・event_021: 時空的接触未達
・event_042: 行動系列矛盾
・event_053: 潜在影響拡張
補足: 潜在的リスク・高度非線形依存
──────────────
これは…不整合クラスタ検出?
データに穴があるということか……なんだろう、なにが抜けてるんだろう。
一ノ瀬さんに見せるなら翻訳ビューを整えておいた方がいいかもしれない。あまり翻訳センスには自信がないけど無機質なデータよりいい、という程度なら。
データの言わんとするところをみやすく変換する。
実際のアプリでは、ナラティブエンジニアリング部という専門部署がデータから物語を生成するので翻訳の精度や見せ方はかなり洗練されている。
これが個人向けLYNXのキモでもある。
今は私の試作だから文章力は直訳に近くてイマイチだけど、誤りはないはず。
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=== LYNX-one / 翻訳ビュー ===
もし、この朝 家を出なかったら――
あなたは、あの人とすれ違うことはなかったでしょう。
→ この時間に家にいた場合
・安全度が高まりました
・特別な出来事はありません
・未来は通常通りに続きます
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家にいたら、一ノ瀬さんと関わりはできなかった。
私は相変わらず、交差点で見かけるだけでラッキーだと思うような日々を送るのだろうし、この5年間と同じ時間が待っているとしたら、2027年にアプリ版LYNXをリリースするタイミングで初めて一ノ瀬さんと出会うことになるのだろう。
それにしてもリスク変動率: -82.4%、
外に出ていたらかなりの高確率で何かしらのリスクを負ったということだ。
いったい私は何を回避したのだろう?
タイムリープを回避した?



