〈side 悠真〉
つくづく5年後に来て困るのは「人が分からない」という点だ。
社内の力関係や自分の立ち位置も慎重に探らなきゃならない。
一番気まずいのは若い社員で、懐いてくれてるっぽい新人もこっちは「初めまして」みたいな顔をしてしまう。週末は社員名簿を丸暗記だな……。
今日は特に急な案件もなく定時で帰れそうだ。
結月さん、甘いもの好きそうだったから何か手土産を持って行こうと、考えるだけで浮き足つ自分が怖い。
そこに勢いよく飛び込んできたのは、入社3年目の岸田。直属の部下らしいが、もちろん俺にとっては初対面みたいなもの。
「一ノ瀬さん、飲み行きましょう!俺の社内コンペ前祝いに!」
またかと思った。というのも、
「社内コンペの前祝いしようって奴多すぎないか?君で5人目だぞ」
「え、そんなに!?みんな自信ありすぎじゃないっすか」
「自分の作品に自信と誇りを持つのはいいけど、過信はいけないな。前祝いより修正案の一つでも出してほしいね」
若さが眩しくて羨ましいよ、と心の中でつぶやいた。自分の可能性しか見えない頃って楽しいもんだ──なんて、たった一日で年相応になった俺。
「とりあえず行きましょうよ!俺、一ノ瀬さんともっと話したいんです、みんなも楽しみにしてますし!」
そう言われると弱い。一瞬悩んで、結局断った。
「誘ってくれてありがとう。でも今日は悪い、定時で帰りたい。次は必ず参加するから」
岸田は壁に指をぐりぐり押し付けていじけたポーズを見せた。
「噂は本当なんですね、一ノ瀬さん、女ができたって噂です。後輩より女なんですね」
なんだその噂は。
そう口を開こうとした時、ガラスの壁を叩くと同時に入ってきた男がいた。
「一ノ瀬、良かった、いたか!」
同期の三神だった。
岸田がレジェンドを見るような目をしている。やめろ、ただの変人だ。
「三神…どうした、なんか嫌な予感しかしないんだけど」
「急用だ。あ、君、悪いけど席外してもらえるかな」
三神が岸田を追い出すと、俺をまっすぐ見て言った。漫画なら眼鏡がキランと光った場面だろう。
「リコ・キリュウ ブライダルサロンと会食なんだ。先方の指名だ、一ノ瀬。急に申し訳ないが一緒に来て欲しい」
俺は瞬きをした。なぜ俺なのか、理解が追い付かなかった。
「リコ・キリュウ?国内ブライダルチームの担当だろ?なんで俺なんだ?」
「そこは察してくれ」
察してくれ?
「おいおい、俺は社内で揉め事はごめんだぞ…」
他部署が長いこと大事にしている仕事を横取りするつもりはない。
「簡潔に言う。リコ・キリュウのブランド創業100周年記念プロジェクトが動いてる。僕が全体設計を担当してるんだが、そこから派生するCMやグローバルキャンペーンに君をご指名だ」
ブランド創業100周年記念プロジェクトだって?
なおさら国内ブライダルチームが節目としてやるべきだろう。2030年の俺だってそう思ったはずだ。
「俺を指名ってのはそのイベントの、って理解で合ってる?」
「いや、それだけじゃない。その100周年を記念して新ライン〈Kiryu Heritage〉の発表、フラッグシップ店舗のリニューアル、全部ひっくるめてだ」
思わず口をつぐんだ。想像以上にデカい案件だ。なおさら俺じゃなく、国内ブライダルチームがやるべきだろう。これまでリコ・キリュウの伝統美を堅実に伝えてきた、いわばブランドのパートナーだ。俺がいいとこ取りみたいなマネしたくない。
しかし話は進んでいるのが現実で、場合によってはもう逃げられない。
「今日の顔ぶれは?」
「先方は広報部長、マーケティング本部長、それから若手の担当スタッフ。うちからはマーケティング部の僕は当然として、うちの部長と若手の予定だった。
でも君に指名が入った以上、アカウントマネージャー(営業部長)の阿部原さんが出ることになった。それと君と僕だ」
これはもう逃げられないやつか。
思わず目を閉じた。どうする。
社のトップ営業が動いてるってことは、国内ブライダルチームも黙らせることができる人が動いてるわけで、会社レベルで「一ノ瀬に決まってる」案件なわけだ。
「わかった……、とりあえず行くよ」
「助かる。君が来れないとしてもどの道君に話が来ることになってた。なら先方と直接会っておいた方が君にとってもいいはずだから」
本来、別チームの仕事なんだぞ。
どう考えても面倒の匂いしかしない。



