2030→2024 渋谷スクランブル交差点で二人が出会うまでの物語


〈side 悠真〉

つくづく5年後に来て困るのは「人が分からない」という点だ。
社内の力関係や自分の立ち位置も慎重に探らなきゃならない。

一番気まずいのは若い社員で、懐いてくれてるっぽい新人もこっちは「初めまして」みたいな顔をしてしまう。週末は社員名簿を丸暗記だな……。

今日は特に急な案件もなく定時で帰れそうだ。

結月さん、甘いもの好きそうだったから何か手土産を持って行こうと、考えるだけで浮き足つ自分が怖い。

そこに勢いよく飛び込んできたのは、入社3年目の岸田。直属の部下らしいが、もちろん俺にとっては初対面みたいなもの。

「一ノ瀬さん、飲み行きましょう!俺の社内コンペ前祝いに!」

またかと思った。というのも、
「社内コンペの前祝いしようって奴多すぎないか?君で5人目だぞ」

「え、そんなに!?みんな自信ありすぎじゃないっすか」

「自分の作品に自信と誇りを持つのはいいけど、過信はいけないな。前祝いより修正案の一つでも出してほしいね」

若さが眩しくて羨ましいよ、と心の中でつぶやいた。自分の可能性しか見えない頃って楽しいもんだ──なんて、たった一日で年相応になった俺。

「とりあえず行きましょうよ!俺、一ノ瀬さんともっと話したいんです、みんなも楽しみにしてますし!」

そう言われると弱い。一瞬悩んで、結局断った。
「誘ってくれてありがとう。でも今日は悪い、定時で帰りたい。次は必ず参加するから」

岸田は壁に指をぐりぐり押し付けていじけたポーズを見せた。
「噂は本当なんですね、一ノ瀬さん、女ができたって噂です。後輩より女なんですね」

なんだその噂は。

そう口を開こうとした時、ガラスの壁を叩くと同時に入ってきた男がいた。

「一ノ瀬、良かった、いたか!」

同期の三神だった。

岸田がレジェンドを見るような目をしている。やめろ、ただの変人だ。

「三神…どうした、なんか嫌な予感しかしないんだけど」

「急用だ。あ、君、悪いけど席外してもらえるかな」

三神が岸田を追い出すと、俺をまっすぐ見て言った。漫画なら眼鏡がキランと光った場面だろう。

「リコ・キリュウ ブライダルサロンと会食なんだ。先方の指名だ、一ノ瀬。急に申し訳ないが一緒に来て欲しい」

俺は瞬きをした。なぜ俺なのか、理解が追い付かなかった。

「リコ・キリュウ?国内ブライダルチームの担当だろ?なんで俺なんだ?」

「そこは察してくれ」

察してくれ?

「おいおい、俺は社内で揉め事はごめんだぞ…」

他部署が長いこと大事にしている仕事を横取りするつもりはない。

「簡潔に言う。リコ・キリュウのブランド創業100周年記念プロジェクトが動いてる。僕が全体設計を担当してるんだが、そこから派生するCMやグローバルキャンペーンに君をご指名だ」

ブランド創業100周年記念プロジェクトだって?

なおさら国内ブライダルチームが節目としてやるべきだろう。2030年の俺だってそう思ったはずだ。

「俺を指名ってのはそのイベントの、って理解で合ってる?」

「いや、それだけじゃない。その100周年を記念して新ライン〈Kiryu Heritage〉の発表、フラッグシップ店舗のリニューアル、全部ひっくるめてだ」

思わず口をつぐんだ。想像以上にデカい案件だ。なおさら俺じゃなく、国内ブライダルチームがやるべきだろう。これまでリコ・キリュウの伝統美を堅実に伝えてきた、いわばブランドのパートナーだ。俺がいいとこ取りみたいなマネしたくない。

しかし話は進んでいるのが現実で、場合によってはもう逃げられない。

「今日の顔ぶれは?」

「先方は広報部長、マーケティング本部長、それから若手の担当スタッフ。うちからはマーケティング部の僕は当然として、うちの部長と若手の予定だった。
でも君に指名が入った以上、アカウントマネージャー(営業部長)の阿部原さんが出ることになった。それと君と僕だ」

これはもう逃げられないやつか。
思わず目を閉じた。どうする。

社のトップ営業が動いてるってことは、国内ブライダルチームも黙らせることができる人が動いてるわけで、会社レベルで「一ノ瀬に決まってる」案件なわけだ。

「わかった……、とりあえず行くよ」

「助かる。君が来れないとしてもどの道君に話が来ることになってた。なら先方と直接会っておいた方が君にとってもいいはずだから」

本来、別チームの仕事なんだぞ。
どう考えても面倒の匂いしかしない。