野いちご源氏物語 三五 柏木(かしわぎ)

大将(たいしょう)様はそのまま元太政(だいじょう)大臣(だいじん)(てい)へお見舞いに行かれた。
亡き衛門(えもん)(かみ)様の弟君(おとうとぎみ)たちがたくさん集まっておられる。
大臣(だいじん)様はご自分でお会いになるつもりだったけれど、すぐにはお出ましになれない。
やっとご対面なさると、いつまでも若々しくお美しかったお顔はすっかりやせおとろえて、お(ひげ)などもぼさぼさでいらっしゃる。
親を亡くした子以上に、子を亡くした親はやつれるものだけれど、その見本のようなご様子なの。
大将様は思わず涙がこぼれて、恥ずかしがってお隠しになる。

<息子ととくに仲のよい人だった>
おふたりが(なか)(むつ)まじく楽しそうにしておられた姿が大臣様のお目に浮かぶ。
涙が落ちて落ちて、お止めになることはできないまま、()きない思い出話をなさる。

「先ほど(おんな)()(みや)様のところにお見舞いに上がりまして、(はは)御息所(みやすんどころ)と少しお話しさせていただきました」
御息所が最後におっしゃったことを大将様は紙に書いておかれた。
「涙で目もろくに見えなくて」
大臣様は(まゆ)を寄せてご覧になる。
本来は快活(かいかつ)(ほこ)り高い、堂々とした方なのに、まったくそんな雰囲気はなくなってしまわれた。
親の立場で(なげ)かれる御息所のお言葉に共感なさって、ますます涙がこぼれ落ちる。

「あなたの母君(ははぎみ)がお亡くなりになったのは、もう三十年近く昔ですか。悲しい秋だった。これ以上悲しいことは世の中にないだろうと思ったほどです。ただ、女性は世間との交流が少ないでしょう。とくに妹のような高貴な女性は、独身時代も結婚してからも、屋敷の中に大切に隠されているものです。だから世間の悲しみの声を聞いても私の心が刺激されることはなかった。それはひととおりの悲しみ方で、妹の人柄(ひとがら)を知った上で悲しんでくれる声ではなかったからね。

しかし今回は違う。頼りなくはあったが内裏(だいり)で働いていた息子だから、皆がよく知ってくれている。出世するにつれて人付き合いも増えていったのだろう、そういう人たちが息子の地位(ちい)や働きぶりをふまえて惜しんでくれるのです。それで私はいっそう悲しくなる。

だけれど、今私が思うのは、息子が貴族社会でどれだけ評価されていたとか、役職や位階(いかい)がどうだったとか、そんなことではない。ただ、なんてことのないありのままの姿の息子が恋しい。この恋しさはどうしたらよいのだろう」
空を見上げておっしゃる。

夕暮れ時の雲は灰色に(かす)んでいる。
年末からご子息(しそく)のご病気が重くなって、お庭の木に目をお()めになる余裕などなかった。
すでに花が散ってしまったことに大臣様はやっとお気づきになる。
「親の私が子どものために喪服(もふく)を着て泣いているなんて、順番がさかさまではないか」
「衛門の督もまさかこんなことになるとは思っておられなかったでしょう」
大将様がお(なぐさ)めすると、同席なさっていたご次男が、
兄君(あにぎみ)は花を咲かせる前に命を散らしてしまわれました」
とお泣きになる。

法要(ほうよう)は盛大に行われる。
大将様のご正妻は亡き衛門の督様の妹君としてお手伝いなさる。
大将様ご自身も、お(きょう)を読む僧侶(そうりょ)などを心をこめて手配なさった。