野いちご源氏物語 三五 柏木(かしわぎ)

衛門(えもん)(かみ)様のご正妻(せいさい)はついに夫君(おっとぎみ)()()に会えなかったことで、運命を(うら)んでおられる。
広いお屋敷はだんだん人気(ひとけ)が少なく心細い雰囲気になっていくけれど、親しくお仕えしていた人たちはちらほらとお見舞いに来る。
衛門の督様がお好きだった(たか)や馬の世話をする家来たちは、もはやどなたのために働いているのだろうかと、しょんぼり出入りして世話をしている。
お部屋にはご愛用の家具やお道具がそのまま置かれている。
いつも弾いていらっしゃった琵琶(びわ)和琴(わごん)は、もう(げん)が張られていなくて音も鳴らない。

お庭の木立(こだち)に花が咲いている。
人が死のうが、残された家族が悲しんでいようが、花は必ずその季節に咲くのよね。
未亡人(みぼうじん)におなりになった(みや)様はぼんやりと(なが)めていらっしゃる。
おそばの女房(にょうぼう)たちも喪服(もふく)を着ていて物寂しい。
そんな昼ごろ、華やかなお行列の騒ぎが聞こえたかと思えば、こちらのお屋敷に入ってくる気配(けはい)がある。

「あぁ、衛門の督様がお帰りかとうっかり思ってしまいました」
そう言って泣く女房がいる。
<亡き夫の弟君(おとうとぎみ)たちのどなたかだろう>
と宮様が思っていらっしゃると、美しくご立派な大将(たいしょう)様がお入りになった。

縁側(えんがわ)に客席をご用意する。
女房が応対しては失礼なお相手なので、ご正妻の(はは)御息所(みやすんどころ)(すだれ)越しにお会いになった。
大将様がお見舞いを申し上げなさる。
「衛門の督は私にとって従兄(いとこ)義兄(ぎけい)で親友でございました。死を悲しむ気持ちはお身内(みうち)の方々と同じように深うございましたが、恐れ多いこちら様に身内顔で()けつけるのは気が引けまして、それで世間と同じ時期のお見舞いとなってしまいました。

亡くなる間際(まぎわ)、衛門の督は宮様のことを私に言い(のこ)しましたから、これからもたびたびご機嫌(きげん)(うかが)いに上がらせていただくつもりでおります。私とてあとどれほどの寿命(じゅみょう)かは分かりませんが、命のあるかぎりは誠意をご覧に入れたいと存じます。
あちらの父君(ちちぎみ)はお心を激しく乱していらっしゃいますとか。親子の別れはもちろんつらいものでしょうが、夫婦の別れのお悲しみは私などの想像を超えておりましょう」
涙をぬぐいながらお話しになる。
まぎれもなく()(だか)い方だけれど、お優しい誠実な雰囲気もおありなの。

御息所も鼻声でお返事なさる。
「寿命をはじめ何もかも確実なことはない世の中だからこそ、悲しいことが起きるのでございましょうね。若くして未亡人(みぼうじん)になる人というのはまれにいますから、おつらくても生きていかれるしかないと私のような年寄りは思いますけれど、宮様は不吉(ふきつ)なほど思いつめていらっしゃいます。ご自分まで死んでおしまいになりそうなのです。

私は更衣(こうい)の身分でしか入内(じゅだい)できず、(おとこ)皇子(みこ)様もお産みできませんでした。上皇(じょうこう)様はご出家(しゅっけ)なさり、その代わりとして頼りにするべき婿君(むこぎみ)は、あっけなくお亡くなりになってしまいました。この上さらに宮様にまで先立たれてしまったらと思うと心が落ち着きません。すべては、生まれつき運の悪い私が長生きしてしまったせいですけれど。

亡き婿君とそれほどお親しいご関係だったのでしたら、すでにご存じでしょうか。私ははじめからこのご結婚に反対だったのです。しかしあちらの父君の元太政(だいじょう)大臣(だいじん)様がとてもご熱心でしたし、上皇様もお許しになるらしいと(うかが)いまして、『私の考えの方が間違っていたのだ』と反省いたしました。それで宮様を衛門の督様とご結婚おさせすることになったのですが、あのとき自分の考えを強く申し上げておけばよかったと(くや)しゅうございます。まさかこのようなことになるとは夢にも思っておりませんでした。

私は考えが古うございますから、神聖な(ひめ)皇子(みこ)様たちはご結婚などなさるものではないと信じておりました。現代的なお考えの方なら、ご結婚なさってご家庭を築いていかれるのもよいとお思いでしょう。しかしこちらの宮様はそのどちらにもなれず、不安定なお立場で世の中を(ただよ)っていかれることになります。いっそ夫君(おっとぎみ)の後を追うようにお亡くなりになった方が、宮様ご自身にとってはお幸せかもしれませんが、母としてはそうきっぱりと(あきら)めることもできず悲しく思っております。

あなた様がお見舞いのお使者(ししゃ)をたびたびお(つか)わしくださって、ありがたくも少し不思議にも思っておりましたが、婿君がご遺言(ゆいごん)でお願いしてくださっていたのですね。宮様に対してそれほど深いご愛情があるようにも見えませんでしたが、亡くなる直前にあちこちに宮様のことをお頼みになったようで、悲しいことのなかにもうれしいことは混ざっているものでございますね」
簾の向こうからひどくお泣きになっている気配(けはい)がするの。

大将様を涙をお止めになれない。
「幼いころから落ち着いたご性格の方でした。ただこの二、三年は、(しず)みこんで一人の世界に閉じこもってしまわれることが多かったのです。物事(ものごと)を深いところまで延々(えんえん)と考えてしまって、人付き合いなどはお嫌になったのかもしれません。なんとなくそういうふうにお見受けいたしましたから、『何事にも無関心でいらっしゃるのはよくありませんよ。本当のあなたはそんなつまらない人ではないはずだ』などと、生意気(なまいき)にも申し上げていたのです。

宮様へのご愛情が薄いようにお感じになったのは、そういう事情があってのことかと恐れながら想像いたします。とはいえ、このような言い訳で宮様のお悲しみが軽くはなりませんでしょう。どなたよりも深くお嘆きのことと存じますから、本当にお気の毒でございます」
優しくお話しになっているうちに時間が()つ。

衛門の督様の方が五、六歳お年上でいらしたけれど、あちらは若々しくて女性的なお優しさがおありだった。
こちらの大将様は、ご立派で重々(おもおも)しく男性的な雰囲気なの。
でもお顔はさわやかでお美しいところがよいのよね。
若い女房たちは悲しみも忘れて拝見している。

お庭のみごとな桜に目をお()めになる。
「衛門の督が亡くなったことなど関係なく、春になれば美しく咲くのですね。あの人も生きてさえいればこの美しさを()でられただろうに」
そうおっしゃって退出しようとなさると、
「この春は涙におぼれそうです。宮様もどうなってしまわれることか」
と御息所はすぐにお返事なさった。
深い教養がおありというわけではないけれど、かつては聡明だと評判(ひょうばん)の更衣様でいらっしゃった。
<しっかりしたご婦人だ>
大将様も感心なさる。