野いちご源氏物語 三四 若菜(わかな)下

<予行演習に衛門(えもん)(かみ)を呼ばなかったらさすがに世間があやしむだろう>
参上(さんじょう)なさるようお伝えになったけれど、ご病気を理由に辞退(じたい)なさった。
<それほどの重病(じゅうびょう)とは聞いていない。(つみ)の重さに苦しんでいるのだろう>
同情して特別にお手紙をお書きになる。

父君(ちちぎみ)の元太政(だいじょう)大臣(だいじん)様は驚いて、
「どうしてお断りしたのだ。反抗(はんこう)しているように思われたら困るだろう。たいした病気ではないのだから、元気を出して参上しなさい」
とおっしゃるから、苦しみながらも仕方なくお出かけになる。

まだ他の上級貴族たちが集まっていないころにご到着なさった。
いつものようにおそば近くにお呼びになるけれど、間には(すだれ)がかかっている。
源氏(げんじ)(きみ)の方からは衛門の督様のお顔がよくご覧になれる。
痛々しいほどおやせになって、顔色は青白い。
もともと明るく陽気というよりも、落ち着いた態度に魅力(みりょく)のある方よ。
それが今日はさらに神妙(しんみょう)にかしこまっていらっしゃるの。

内親王(ないしんのう)様を妻にしても何の問題もない立派な人物だ。ただ私の妻に手を出したのはいけない。ふたりが私を軽んじたことが問題で罪なのだ>
そう思うお心のうちはまったく見せず、さりげなく優しくお話しになる。
「ひさしぶりですね。今年は体調を(くず)女君(おんなぎみ)たちが多くて本当に目まぐるしかった。(おんな)(さん)(みや)様が(ちち)上皇(じょうこう)様のために祝賀(しゅくが)(かい)をしたいと(おお)せだったのが、延期につぐ延期で、もう十二月ですよ。

そちらは十月に盛大な祝賀会をなさったそうだね。こちらはそれほど大がかりなことをするつもりはないが、この機会に孫たちの舞をお目にかけたいと思いましてね。舞は何より拍子(ひょうし)が大切だから、どなたかに拍子を合わせる指導をしてもらおうと考えたときに、やはり一番に思い浮かんだのはあなただった。それで何か月も来てくれない(うら)みも捨ててお招きしたのです」

本心からそう思っているようにおっしゃるから、衛門の督様はよけいに恥ずかしくて、しばらくお返事もおできにならない。
お心を落ち着かせて、やっと申し上げなさる。
「女君たちがご病気と(うかが)ってご心配申し上げておりましたが、私も春の終わりから(あし)を悪くいたしまして、立つこともおぼつかなくなってしまいました。気力もおとろえていきましたので、参内(さんだい)もせず屋敷に引きこもっていたのでございます。

そうしていると父が騒ぎ出しまして、『今年は入道(にゅうどう)の上皇様が五十歳であられる。おかわいがりいただいたご(おん)を思えば、どなたよりも私が盛大な祝賀会をしてさしあげたい』と申します。それでも自分がすでに引退した身であることを気にして、『代わりにそなたがお祝いしてまいれ』と申しますから、無理をして父に言われるがままお祝いをいたしました。

私が拝見いたしましたところ、入道の上皇様はすっかり僧侶(そうりょ)らしくおなりでしたから、派手な祝賀会はお望みでないように思われます。仰せになりましたとおり大がかりになさらず、姫宮(ひめみや)様とゆっくりお話しできる場をご用意なさった方がおよろこびになるかと存じます」

正妻(せいさい)(おんな)()(みや)様の祝賀会を夫として取り仕切ったとはおっしゃらず、あくまで父君の祝賀会をお手伝いしただけと謙遜(けんそん)なさった。
そうすることで、「これは女三の宮様と姉宮(あねみや)様の競争ではない。それよりも本当に父上皇様がおよろこびになることは何か」ということを、源氏の君に賛成しながら(かど)を立てずに助言(じょげん)なさったの。
思慮(しりょ)(ぶか)い男だ>と源氏の君は感心なさる。

「私もそういう会にするのがよいと思ったのだ。世間は手抜きだと言うだろうが、やはりあなたはよく分かっておられる。おかげでこの方針でよかったと安心しましたよ。大将(たいしょう)は相談相手にならなくてね。内裏(だいり)での仕事はそれなりにやっているようだが、こういう人の気持ちが大切なことになると、どうも想像力が働きにくいらしい。

入道の上皇様は何でもおできになる方だけれど、とくに音楽がお好きだった。ご出家(しゅっけ)なさって遠ざかっていらっしゃるから、お耳は()()まされておられるだろうね。中途半端な音楽ではいけないな。
あなたは大将と一緒に舞の子どもたちに最終指導をしてやってください。専門の師匠(ししょう)が動きなどはしっかり教えてあるはずだが、心構えのようなことまでは行き届いていないだろう。そういうところはやはり、あなたたちにしか教えられませんからね」
親しみやすい調子でおっしゃるから、うれしくはあるけれど心苦しくも申し訳なくもなってしまわれる。
少しでも早くこの場から去りたくて、普段どおり話しこむこともせず、逃げるように退出なさった。

そのまま夏の御殿(ごてん)に向かわれる。
予行演習がはじまる前に楽団(がくだん)舞人(まいびと)の衣装の確認をなさるの。
十分に整っていたけれど、さらに工夫できる点を助言された。
するといっそう立派な雰囲気になるのだから、やはりこういう風流(ふうりゅう)な方面では特別な才能のある方でいらっしゃる。