野いちご源氏物語 三四 若菜(わかな)上

源氏(げんじ)(きみ)よりも一足(ひとあし)早く、ご子息(しそく)中納言(ちゅうなごん)様がお見舞いに上がられた。
近くまでお招きになって、あれこれとお話しになる。
「亡き上皇(じょうこう)様はご遺言(ゆいごん)のなかで、源氏の君のことと今の(みかど)のことをとくに熱心に言い置かれたのです。そのころ私はすでに帝の(くらい)にありましたが、母である皇太后(こうたいごう)様や、祖父である当時の右大臣(うだいじん)に遠慮しながら政治をしていました。源氏の君を大切な弟と思う私の気持ちに変わりはなかったけれど、情けない話だが自分の意見を(つらぬ)くことはできず、ご遺言に(そむ)いて源氏の君を須磨(すま)へ行かせてしまった。

私は源氏の君から(うら)まれても仕方がないと思っていました。しかしあの人は、都に戻ってからも私への恨みなどちらりともお見せにならない。どれほどの賢人(けんじん)であっても、自分が理不尽(りふじん)な目に()えば冷静ではいられなくなるものなのに。それでもいつかは仕返しをされる日が来るだろうと世間も私も思っていたが、ずっと我慢をお続けになっているのです。
さらには私の皇子(みこ)である東宮(とうぐう)姫君(ひめぎみ)入内(じゅだい)させて()()てようとしてくれるのだから、これ以上ありがたいことはない。お礼を言わなければと思っていますが、それも(おや)馬鹿(ばか)すぎるような気がしましてね、何も言えないでいるのですよ。

今の帝のことはご遺言どおり大切にお守りいたしました。それだけが私の生涯(しょうがい)(ほこ)れることです。このような時代にはもったいないほど(すぐ)れた帝として、私の失敗だらけの政治を挽回(ばんかい)してくださっていますから、うれしく思っております。

この間の行幸(みゆき)は楽しかった。あれから昔のことがいろいろと思い出されて、ぜひ源氏の君とゆっくりお話ししたいのですよ。直接お伝えしたいこともありますから、きっとご自身でお見舞いくださるよう、そなたからもお願いしてください」

弱々しくお話しになるので、中納言様は(はげ)ますように申し上げなさる。
「父が須磨へ行くことになった事情は、当時子どもだった私には分かりかねますが、少なくとも私はこれまで、上皇様への(うら)(ごと)を父から聞いたことはございません。元服(げんぷく)して内裏(だいり)でお仕えするようになりましてから、お役目のことも個人的なこともいろいろと教わりましたが、『昔つらい目に遭った』などとほのめかされたことはないのです。

亡き上皇様からは、上皇様と帝に()くすようにというご遺言があったと聞いております。ただ、上皇様が帝でいらっしゃったころは父はまだ(わこ)うございましたし、人となりも役職も他に立派な方がいらっしゃったために、十分にお仕えして誠意(せいい)をお見せすることができなかったようです。逆に今は、上皇様と同格の(あつか)いをしていただくようになって、帝のご後見(こうけん)を途中でやめてしまいましたから、いずれのご遺言も守れていないと思いながら屋敷に(こも)っているようです。

『政治から離れて静かにお過ごしの上皇様をお訪ねして、打ち解けてお話を(うかが)いたい。しかしもう気軽に出かけられる身分ではなく、どうしようかと思っているうちに月日が()ってしまった』とよく(なげ)いております」

中納言様はまだ二十歳にもおなりでないけれど、すっかり整って、ご器量(きりょう)(さか)りのお美しさでいらっしゃる。
上皇様はじっとお見つめになって、
(おんな)(さん)(みや)の後見役にぴったりではないか>
と思いつかれた。
太政大臣(だいじょうだいじん)婿(むこ)になったそうですね。姫との結婚をなかなか許さないらしいと(うわさ)で聞いて、不思議にも気の毒にも思っていましたから安心しましたよ。しかし太政大臣がうらやましくもある」

<どういうことだろう>
と中納言様はお思いになって、女三の宮様のことだとお気づきになった。
姫宮(ひめみや)をふさわしい夫に預けて安心して出家(しゅっけ)したい」とおっしゃっているのを、人づてにお聞きになったことがあるの。
かといって(わけ)()(がお)でお答えするわけにもいかない。
ただ、
「つまらない人間ですので、結婚するのも難しいことでございまして」
とだけ謙遜(けんそん)なさった。