野いちご源氏物語 三四 若菜(わかな)上

(むらさき)(うえ)女御(にょうご)様のところへご挨拶(あいさつ)に上がられる前に、源氏(げんじ)(きみ)にご相談なさった。
「この機会に、姫宮(ひめみや)様にもご挨拶させていただけませんでしょうか。女御様と同じ建物でお暮らしですから、(さかい)の戸を開けて、西側の(みや)様のお部屋に上がらせていただけたらと存じます。一度ご挨拶申し上げたいと以前から思っておりましたけれど、ついでもないのに上がるのは遠慮されまして、こういう機会に一言(ひとこと)でもお話しできましたら、これからお互いに安心して暮らしていけると思うのです」

「それはよいことを思いつきましたね。子どものような方ですから、いろいろと教えてさしあげてください」
源氏(げんじ)(きみ)はうれしそうにお許しになった。
紫の上はお(ぐし)まで洗って念入りに準備をなさる。
姫宮様や女御様のためというよりも、明石(あかし)(きみ)にお会いするから緊張(きんちょう)しておられるのよ。
それだけ明石の君を認めておられるということだけれど、美しく身支度(みじたく)なさった紫の上は、やはりどなたにも負けないほどご立派でいらっしゃる。

源氏の君は先に姫宮様のところへ行かれて、紫の上が訪問する予定だとお知らせなさる。
「離れに住んでおります人が、夕方、女御様にお会いするためにこちらの建物に参ります。そのついでに宮様ともお近づきになりたいと申しておりますから、ぜひお会いになってお話しください。人柄(ひとがら)などはとてもよい人ですよ。まだ若々しいところの残っている人ですから、お遊び相手にもよいでしょう」
「初めての人は恥ずかしい。何をお話ししたらよいかしら」
姫宮様がおっとりとおっしゃるので、
「そのときにお思いになったことをお返事なさったらよろしいのですよ。仲良くしておあげなさい」
とお教えになる。

<姫宮様と紫の上には平穏(へいおん)な関係を築いてほしい。あまりに幼いご様子を紫の上に見られるのは気まずいけれど、せっかく仲良くする気でいてくれるのだから止めるわけにもいかない>
源氏の君はなんとか無事にご対面がすむことを祈っておられる。

一方、紫の上は、ご挨拶の準備を女房(にょうぼう)たちにさせながら物思いにふけっていらっしゃる。
<私の身分がそれほど(おと)っているとは思えない。ご正妻(せいさい)の子ではないけれど、式部卿(しきぶきょう)(みや)様の娘なのだ。ただ、母君(ははぎみ)祖母君(そぼぎみ)を幼いときに亡くして、頼る人がいないところを源氏の君に救っていただいた。それがいまだに私の立場を不利にしている>
お習字の練習で古い和歌(わか)をいくつかお書きになったけれど、男女関係に悩む和歌ばかりを思い出して書いていることにはっとなさった。
<私は悩んでいるというのか。この私が>
これまでなかったご感情にとまどわれるの。

源氏の君は姫宮様と女御様をそれぞれお美しいとご覧になって、紫の上のところに戻られると、
<やはりこの人が一番だ>
とお思いになる。
これ以上ないほど気高(けだか)成熟(せいじゅく)なさって、華やかで現代的でいらっしゃる。
いつでも今が(おんな)(ざか)りのように思われる。
去年より今年、昨日より今日の方がお美しい。

お習字の紙を源氏の君がお見つけになった。
紫の上のご筆跡(ひっせき)は完璧な達筆(たっぴつ)というのではないけれど、おっとりとしたかわいらしさがおありになる。
「私は()きられてしまったのかしら」
とあるところへ、
「私の気持ちは変わりませんよ。気にしすぎです」
と源氏の君は書き加えながら、つらいお気持ちを隠そうとなさるのがお気の毒だとお思いになる。