野いちご源氏物語 三四 若菜(わかな)上

大将(たいしょう)様とご結婚なさった玉葛(たまかずら)尚侍(ないしのかみ)様が、四十歳の祝賀(しゅくが)(かい)を開きにいらっしゃった。
若菜(わかな)を食べると寿命(じゅみょう)()びるといわれる特別な日に、若菜を持ってお越しになったのよ。
(ひか)えめにはなさったけれど、東宮(とうぐう)様の伯父君(おじぎみ)である大将様のご正妻(せいさい)だから、お行列はかなりのものだった。

突然のことだったので、源氏(げんじ)(きみ)がお断りになる(すき)もない。
春の御殿(ごてん)を会場に飾りつけをしていかれる。
贈り物もたくさん運びこまれる。
現代的でご趣味がよいのはもちろん、賢い方だからご指示もお上手なのでしょうね、()(あたら)しく整えられていたわ。
とはいえ源氏の君の派手嫌いなご性格をご存じだから、全体的にはおおげさにならないように抑えてある。

源氏の君は尚侍(ないしのかみ)様とご対面なさった。
お互いお心のうちで何を思われたのかしら。
若々しくお美しいから、とても四十歳におなりになったとは見えない。
数え間違いではないかと思ってしまうほどよ。
そんな源氏の君とお顔を合わせるのは恥ずかしいけれど、ご結婚前と同じように直接お話しになる。

幼い男の子をおふたり連れてきておられる。
兄君(あにぎみ)はよちよち歩きするかどうか、弟君(おとうとぎみ)はまだ生まれたばかりでいらっしゃる。
とてもかわいらしいお子たちよ。
尚侍(ないしのかみ)様は、
「立てつづけに生んだ子どもをお目にかけるのは気恥ずかしい」
とお嫌がりになったのだけれど、大将様が、
「せっかくなのだからご覧いただこう」
とおっしゃったの。
幼児の髪形で、お着物はきちんとおめかしして無邪気にしておられる。

「年を取ったという自覚はなくて昔のまま若いつもりでいたけれど、こうして孫を見せてもらうと思い知らされますね。中納言(ちゅうなごん)のところにも子どもが生まれたらしいが、まだ見せてくれないのですよ。あなたが最初に私の四十歳を祝ってくださった。うれしいのと同時に、若菜を食べて寿命を延ばすというのが急に現実味(げんじつみ)()びてきました。老人の仲間に入ったことなど、もうしばらく考えずにいたかったのに」
苦笑いしておっしゃる。

尚侍(ないしのかみ)様はすっかり大人らしくなって、貫禄(かんろく)までおつきになった。
ため息が出るようなご立派なお美しさでいらっしゃる。
「孫を連れて、父君(ちちぎみ)のご長寿(ちょうじゅ)を祈りに上がりました」
まるで本当の娘のようにおっしゃる。
若菜を少し召し上がって、源氏の君はお返事なさる。
幼子(おさなご)を見ると元気が出ますからね。長生きできそうです」
水入らずでお話しになっていると、お客様がお席に着かれていよいよ祝賀会が始まる。

上皇(じょうこう)様がご病気ということで、正式な楽団(がくだん)はお呼びにならず、その場にいらっしゃる方だけで音楽会をなさった。
楽器は太政(だいじょう)大臣(だいじん)様が一流のものをそろえてお届けになった。
「源氏の君の四十歳の祝賀会ならば、何もかも最高でなければならぬ」
とおっしゃって、ずっと前からご準備なさっていたみたい。

そのなかでも和琴(わごん)は太政大臣様が秘蔵(ひぞう)なさっている名器(めいき)で、いつもとてもお上手に弾かれているから、他の方は弾くことを遠慮してしまわれる。
ご長男の衛門(えもん)(かみ)様も遠慮なさっていたけれど、源氏の君が無理におすすめなさると、父君に負けないほどおもしろくお弾きになった。
どんな芸事(げいごと)でも名人は子どもに技術を()()がせようとするものだけれど、これほど完璧にお()ぎになることはめずらしい。
お客様たちも感動なさる。

楽譜(がくふ)などなくても、ご自分の感性(かんせい)音色(ねいろ)をつくりあげていくのがお上手でいらっしゃるのよね。
父君の太政大臣様は、(げん)をゆるく張って、低音をとどろかせるようにお弾きになるのに対し、衛門(えもん)(かみ)様は、高い音色が親しみやすい愛らしさをふりまくような雰囲気でお弾きになる。
<これほどまでに上手だとは知らなかった>
と、親王(しんのう)様たちも驚いていらっしゃったわ。

(きん)兵部卿(ひょうぶきょう)(みや)様がお弾きになった。
これは亡き上皇様が内親王(ないしんのう)様にお(ゆず)りになった名器で、それを太政大臣様が今日の音楽会のために頂戴(ちょうだい)なさったの。
亡き上皇様は源氏の君や兵部卿の宮様の父君であられるから、(きん)の音色に亡き父君を思い出して、ご兄弟は恋しくお思いになる。

宮様はお泣きになって演奏どころではなくなってしまわれたので、(きん)を源氏の君にお願いなさった。
物悲しさにつられて、めずらしい曲を一曲お弾きになった。
おおげさではないけれど、この上なくおもしろい夜の音楽会よ。
歌を歌う人たちを集めて、夜が()けるほど打ち解けた会になっていく。
楽しげな楽器の音色とよい声がにぎやかに響く。
源氏の君は今回の祝賀会を公式行事としては(あつか)わず、お土産(みやげ)を個人的にたくさんお出しになった。

明け方になる前に玉葛(たまかずら)尚侍(ないしのかみ)様はお帰りになる。
源氏の君はお返しの贈り物をなさった。
「上皇様と同じ(あつか)いをしていただくようになって、すっかり世間から離れて暮らしていますから、年月が()つのもどこか他人(ひと)(ごと)のように思っていたのですよ。こんなふうにきっちり年齢を数えて祝賀会などをしていただくと、あとどれだけ生きられるだろうかと心細くなりますね。たまにはどれだけ()けただろうかと顔を見にきてください。たいそうな身分になってしまった年寄りは、気軽に出かけることもできない。あなたに思いどおりにお会いできないことが残念なのですよ」

尚侍(ないしのかみ)様も六条(ろくじょう)(いん)でお暮らしになっていたころのことをあれこれと思い出される。
短い間のご滞在だったから、もっとゆっくりお話しになりたいこともおありだったでしょうね。
本当の父君の太政大臣様の方は、血がつながっているだけのご関係とお思いになって、こちらの源氏の君の方をそれ以上に大切になさっているの。
(こま)やかにお世話してくださったありがたみを、人妻になってしみじみお感じになっている。