野いちご源氏物語 三二 梅枝(うめがえ)

源氏(げんじ)(きみ)女君(おんなぎみ)たちのご筆跡(ひっせき)を比べて(むらさき)(うえ)におっしゃる。
「いろいろなことが昔に比べると(おと)っていく世の中ですが、平仮名だけは最高に洗練(せんれん)されて美しくなりましたね。古い時代の平仮名は、きちんとしているけれど個性が表れにくく、誰が書いても似たような字になっていました。
近ごろは上手にお書きになる方が増えたけれど、なかでも私が感動したのは亡き六条(ろくじょうの)御息所(みやすんどころ)のご筆跡です。平仮名を熱心に練習していたころ、中宮(ちゅうぐう)様の母君(ははぎみ)でいらっしゃる御息所(みやすんどころ)の、ほんのわずかな走り書きを手に入れましてね。あの方には私のせいで苦しい思いをさせてしまったが、中宮様をこうして後見(こうけん)させていただいていますから、空から私のことを見直してくださっているだろうと思うのです。その中宮様のご筆跡はというと、(こま)やかで風情(ふぜい)がありますが母君ほどの才気(さいき)は感じられません。

亡き入道(にゅうどう)(みや)様のご筆跡は、お考えが深くて上品なお人柄(ひとがら)がよく表れていたけれど、少しか弱くて匂い立つような美しさはもうひとつでした。その点で言うと上皇(じょうこう)様のところで尚侍(ないしのかみ)をなさっている朧月夜(おぼろづきよ)(きみ)は、今の時代の名人でしょうね。華やかに洒落(しゃれ)たご筆跡です。やや(くせ)が強いのが難点(なんてん)だけれど。
とはいえ、ご存命(ぞんめい)の方たちのなかでは、やはりこの朧月夜の尚侍と朝顔(あさがお)姫君(ひめぎみ)、それにあなたが平仮名の名人だと思いますよ」

紫の上は源氏の君に認められて気恥ずかしくていらっしゃる。
「まぁ、そのような方たちと並べていただくのは」
謙遜(けんそん)なさるのですね。あなたの筆跡はかわいらしい優しさという点では別格ですよ。その長所を殺さないためにも、漢字はあまりお書きにならない方がよい」

明石(あかし)姫君(ひめぎみ)のために、お習字のお手本を増やそうとなさる。
入内(じゅだい)のお道具に加えるおつもりで、まず白紙(はくし)冊子(さっし)を美しくお作りになった。
兵部卿(ひょうぶきょう)(みや)様などにお願いして、私も少し書こう」
ご自分も風流(ふうりゅう)(じん)の宮様に(おと)らないご筆跡だと自信をもっていらっしゃる。

女君(おんなぎみ)たちのところにもお願いなさる。
念入りに選んだ(すみ)や筆を()えて、立派なお願いのお手紙をお届けになったから、遠慮して辞退(じたい)なさる方もいらっしゃる。
そういう方にはもう一度お願いなさって書いていただかれるの。

若い人たちによる現代風のお手本も必要だと思われて、舶来(はくらい)洒落(しゃれ)た紙をお選びになった。
若君(わかぎみ)内大臣(ないだいじん)様のご長男に、絵として見てもおもしろいお手本をお願いなさる。
どなたも最高のものを差し上げようと張り切ってお書きになる。