野いちご源氏物語 三二 梅枝(うめがえ)

兵部卿(ひょうぶきょう)(みや)様がお越しでございます」
女房(にょうぼう)がそう申し上げると、源氏(げんじ)(きみ)は驚いてきちんとした格好をなさる。
かしこまってお待ちになっていると、宮様はお庭から御殿(ごてん)へ上がる階段をゆったりとお上がりになった。
美しい弟宮(おとうとみや)でいらっしゃるから、女房たちは物陰(ものかげ)から(のぞ)いて見とれている。
ご兄弟といえどもお互いに礼儀正しくご挨拶(あいさつ)なさって、それもまた感じがよいの。

「暇で暇で苦しいほどでしたから、よいところにお越しくださいました」
そう歓迎(かんげい)なさると、宮様は頼まれておられたお手本を差し出された。
さっそく広げてご覧になる。
筆跡(ひっせき)自体は特別にご立派というわけではないけれど、ひたすら(うるわ)しいお書きぶりでいらっしゃる。
お選びになった和歌は古くてめずらしいもので、すっきりと書かれていた。

源氏の君は驚かれる。
「これほどお上手とは思っておりませんでした。私などとても書けなくなってしまいます」
「今の名人たちばかりにお声をおかけになったと(うかが)いましたから、私だってそのひとりだと信じて書かせていただきました」
楽しそうにご冗談をおっしゃるの。

ご自分がお書きになったものや、ご依頼先から集まってきたものもお隠しするわけにいかないので、宮様の御前(ごぜん)にお出しになる。
源氏の君のご筆跡は自由(じゆう)自在(じざい)に変えてある。
それぞれの書体が一番輝くように紙や和歌をお選びになっていて、どれも見ごたえがある。
宮様は夢中でご覧になっていた。