野いちご源氏物語 二八 野分(のわき)

明け方近くになると湿(しめ)った風が吹いて、にわか雨が降りはじめた。
六条(ろくじょう)(いん)では倒れた建物もあるようです」
と家来からお聞きになると、若君(わかぎみ)養母(ようぼ)花散里(はなちるさと)(きみ)をご心配なさる。
父君(ちちぎみ)のいらっしゃる春の御殿(ごてん)には女房(にょうぼう)家来(けらい)も多いけれど、それに比べると養母君(ははぎみ)の夏の御殿は人が少ないから、こんなときにはお心細いだろう>

まだ夜が明けきらないうちにお帰りになる。
乗り物のなかに(よこ)(なぐ)りの冷たい雨が吹きこんでくる。
おどろおどろしい色の空に、ご自分の(たましい)が迷いこんでいきそうな気がなさるの。
(むらさき)(うえ)を拝見してしまったせいよ。
<それほど深く私の心に入りこんでしまったのか>
驚かれると同時に、
<いや、人として持ってはいけない感情だ。義理の母ともいえる方に恋など正気(しょうき)ではない>
とご自分をお(しか)りになる。

六条(ろくじょう)(いん)にお着きになると、まず夏の御殿へ向かわれた。
花散里の君はおびえて困りはてていらっしゃる。
優しくお(なぐさ)めして、家来を呼んで建物の修理をお命じになった。
それから春の御殿へ行かれると、まだ窓も閉めたままになっている。

<お休みになっているのだろうか>
と、若君は()(えん)に座ってお庭をお(なが)めになる。
もう雨はやんでいるけれど、(きり)()い。
木の枝は折れ、花は見る(かげ)もなく、(さく)なども倒れたり曲がったりしている。
雲の間から日が少し差しこんで、あちこちに残る(つゆ)がきらきらと光る。
若君はわけもなく悲しくなって、(まぎ)らわせるために(せき)(ばら)いをなさった。

「あれは中将(ちゅうじょう)の咳払いだろうか。まだ夜は深いだろうに」
濡れ縁の奥のご寝室から源氏(げんじ)(きみ)のお声が聞こえる。
紫の上が何かおっしゃったのか、お笑いになる声も聞こえた。
「これが有名な(あかつき)の別れというものですよ。早朝に恋人が寝室から出ていってしまう悲しみなど、あなたには経験させたことがないけれど」
若君の方へおいでになるようなの。
女君(おんなぎみ)のお返事は聞こえないけれど、冗談を言いあう仲のよいご様子に、若君は勝手に敗北(はいぼく)をお感じになる。