野いちご源氏物語 二二 玉葛(たまかずら)

都に戻ると、右近(うこん)はすぐに源氏(げんじ)(きみ)のお屋敷に上がった。
<早く夕顔(ゆうがお)(きみ)姫君(ひめぎみ)にお会いしたことをお伝えしたい>
と急いでいる。
六条(ろくじょう)(いん)の門を入ると、なかは広々としているのに、源氏の君にご挨拶(あいさつ)に来た貴族たちの乗り物でごった返している。
たいした身分でもない自分が入っていくのは目眩(めまい)がするような御殿(ごてん)よ。

その夜は源氏の君の御前(ごぜん)にも出ずに、心を落ち着かせようと横になった。
もちろん落ち着かせることなどできないのだけれど。
次の日、休み明けの女房(にょうぼう)たちのなかで、特別に右近だけが源氏の君から呼び出された。
うれしく思いながらお部屋へ上がると、
「ずいぶんと長い(さと)()がりだったな。里に夫がいるわけでもないのに、若返ったのではないか。おもしろいことがあったのだろう」
と、いつものようにご冗談をおっしゃる。

「七日間のお休みを頂戴(ちょうだい)しましたが、ご期待なさるようなおもしろいことはございませんでした。ただ、初瀬(はつせ)(でら)へお参りしまして、ずっと気になっていた方を見つけました」
とお答えすると、
「それはどのような人だ」
とお尋ねになる。

「夕顔の君の姫君でございます」と喉元(のどもと)まで出かかって、右近はやめた。
<どうせなら(むらさき)(うえ)もいらっしゃるときにお話し申し上げた方がよい。こそこそと女性の話をすれば、きっと嫉妬(しっと)なさる>
と思い直して、
「また改めてお話しいたします」
とお返事した。

あたりが暗くなった。
ほのかな(あか)りのなかで、源氏の君と紫の上は仲良く並んで座っていらっしゃる。
女君(おんなぎみ)は二十七、八歳。
(おんな)(ざか)りでお美しい。
右近はうっとりと拝見している。
<お休みをいただいている間に、また一段(いちだん)とお美しくなられた気がする。姫君のことを紫の上に負けないほどお美しいと思ったけれど、やはりこちらの方が輝いておられる。お幸せかどうかの違いだろうか>

源氏の君は紫の上とご寝室に入られるとき、おみ(あし)()む係として右近をお呼びになった。
「若い女房たちはこういう仕事を嫌がってね。やはり長年一緒にいて、気心(きごころ)のしれているそなたに(まか)せるのがよい」
とおっしゃると、女房たちはくすくすと笑う。
「おみ足を揉むのを嫌がっているわけではございません。面倒なご冗談をおっしゃるのですもの」
と言うので、右近はあらためて源氏の君を見上げる。
「面倒な冗談を聞き流してくれるのはそなただけだが、年寄り同士で仲良くするのも紫の上は嫉妬(しっと)なさるだろうか。困ったことだ」
とお笑いになるお顔が(にく)めないの。

太政(だいじょう)大臣(だいじん)におなりになって、政治の現場からは離れていらっしゃる。
毎日のんびりなさってご退屈(たいくつ)なのか、女房にご冗談を()()けては反応を楽しんでおられる。
それで右近のような年配(ねんぱい)の女房にもご冗談をおっしゃるのね。

初瀬(はつせ)(でら)で見つけたとかいうのはどのような人なのだ。まさか僧侶(そうりょ)と仲良くなって自宅へ連れ込んだのか」
ご寝室でおみ足を揉ませながら、源氏の君はおっしゃる。
(ばち)()たりなことを(おお)せにならないでくださいませ。はかなくお亡くなりになった夕顔の君の、(わす)形見(がたみ)をお見つけ申し上げたのです」
「本当か。うれしいことだ。長年いったいどこに隠れていたのだ」

右近は事情をすべてお話しするのもよくない気がして、あいまいに答える。
田舎(いなか)の方でございます。夕顔の君にお仕えしていた人たちもおりましたので、(なつ)かしい話をして、お互いに涙がこぼれました」
源氏の君は紫の上の方をちらりとご覧になって、
「わかった。ご存じない方もいらっしゃるから」
と話をそこまでにしようとなさる。
紫の上は、
「私のことはどうぞお構いなく。眠たくなってまいりましたから、何も耳に入りません」
とおっしゃって、耳をふさぐ仕草(しぐさ)をなさった。

「お顔は夕顔の君に負けないほどお美しいか」
声をひそめてお尋ねになる。
「想像以上にお美しくおなりでした。いくらなんでも母君(ははぎみ)のお美しさには(かな)わないだろうと思っておりましたのに」
「それはめでたい。どなたほどのお美しさだ。こちらの紫の上と比べてどうだろう」
右近は遠慮して、
「そこまででは」
と申し上げたけれど、源氏の君は本心を見抜いてしまわれる。
「いやいや、その顔は『紫の上にも負けない』という顔だ。まぁ、私に似たのなら見た目の心配はいらないだろう」
と、まるでご自分が父君(ちちぎみ)でいらっしゃるかのようにお話しになる。