野いちご源氏物語 二一 乙女(おとめ)

若君(わかぎみ)大宮(おおみや)様のお屋敷にお泊まりになる。
大宮様のご寝室の近くに寝床(ねどこ)が用意された。
<これからは文通もできなくなるかもしれない>
と悲しんで、横になっても姫君(ひめぎみ)のことばかりを考えてしまわれる。

隣には姫君のご寝室があるの。
女房(にょうぼう)たちが寝静まったころ、若君は(さかい)の戸を開けようとなさった。
でも、いつもはかけていない(かぎ)が、今夜はかけてある。
若君は寂しくてたまらなくて、戸にもたれてお座りになった。

姫君は風に吹かれた(ささ)の音で目を覚まされた。
(かり)の鳴き声も遠くに聞こえる。
若君を切なく思い出して、
「雲の向こうの雁も悲しそうだこと」
と独り言をおっしゃった。
ここから先は、この姫君を「雲居(くもい)(かり)」とお呼びいたしましょう。

雲居の雁の独り言をお聞きになった若君は、
「この戸を開けてください。小侍従(こじじゅう)はいませんか」
とお呼びになる。
小侍従というのは姫君の乳母(めのと)の娘で、まだ若い女房よ。
おふたりのご関係を知っていて、何かと助けてくれる。

でも小侍従からの返事はない。
姫君は若君に独り言を聞かれてしまったことが恥ずかしくなって、掛布団(かけぶとん)がわりの着物にもぐってしまわれた。
乳母たちがすぐ近くで寝ているので、おふたりとも物音を立てられず、じっとしていらっしゃる。

<雁が切なく鳴きながら飛んでいく。さらに悲しい秋風も吹いている。私の心を刺すような夜だ>
と思いながら、若君は寝床にお戻りになる。
近くで大宮様がお休みになっていらっしゃるので、ため息をつけば聞こえてしまうかもしれない。
若君は身じろぎもせず横になっていらっしゃった。

翌朝早く、若君はご自分のお部屋の方にお戻りになって、姫君にお手紙をお書きになった。
でも、いつも手紙を届けてくれる小侍従が見つからない。
ご自分で姫君のお部屋に行くこともできず、胸がつぶれるように苦しまれる。

一方の姫君は、若君とのご関係を父君(ちちぎみ)に知られてしまったことを恥ずかしがっておられる。
とはいえ、ご自分のご将来や、世間がどう思うかということまでは気が回らず、ただただ子どもっぽくおっとりしていらっしゃるの。
乳母(めのと)や女房たちの方が、よほど姫君を心配して話し合っていたわ。
姫君はそれをご覧になっても(こと)の重大さはお分かりにならない。

<どうして皆そんなに騒いでいるのかしら>
くらいに思っていらっしゃったけれど、乳母たちが厳しくご注意申し上げたので、若君にお手紙を書くことはおやめになった。
おふたりがもう少し大人でいらっしゃったら、監視(かんし)が厳しくてもこっそり文通する方法を思いつかれたはずよ。
でも、あと少し大人の知恵が足りないから、ただ残念だと思って悲しんでいらっしゃるだけなの。