野いちご源氏物語 二一 乙女(おとめ)

夜が()けて、内大臣(ないだいじん)様は大宮(おおみや)様のお部屋からご退出なさる。
お帰りになったふりをして、かわいがっておられる女房(にょうぼう)の部屋でしばらくお過ごしになったわ。
それからこっそりと廊下を通って、今度こそ帰ろうと乗り物の方へ向かわれると、近くからひそひそ声が聞こえてきたの。
<私のことを言っているようだ>
とお気づきになって、耳をおすましになる。

「内大臣様も父親としては凡人(ぼんじん)でいらっしゃる。若君(わかぎみ)姫君(ひめぎみ)からうまく遠ざけているおつもりでも、実際どうなっているか、まるでご存じないのですもの。『子どものことを一番よく分かっているのは親だ』なんて昔の人は言ったそうですけれど、それは間違っていますよ」
などと言って、老いた女房たちがくすくすと笑っている。

<なんということだ。まったく考えなかったことではないが、まだ幼いふたりだからと油断していた>
若君と姫君の関係に気づいてしまわれて、真っ青になってお帰りになる。
(とも)が騒がしくお屋敷から出ていくので、
「内大臣様は今ご出発になるようですよ。これまでどこに隠れていらっしゃったのでしょう。お年を召しても女好きでいらっしゃること」
と別の女房たちは笑っている。

陰口(かげぐち)を言っていた(ろう)女房たちは、
「話しているときに近くからよい香りがしましたけれど、若君のお着物の香りだろうと思っていたのですよ。あれは内大臣様の香りだったのでしょうか。あぁ、恐ろしい。お怒りに違いありません」
と震えている。

道中(どうちゅう)、内大臣様はお考えになる。
<姫を若君と結婚させるのは悪くはないが、手近(てぢか)なところですませてしまったように世間は思うだろう。(みかど)中宮(ちゅうぐう)選びで源氏(げんじ)(きみ)に負けたことが(くや)しく、しかしこの姫が東宮(とうぐう)様に入内(じゅだい)すれば、ゆくゆくは中宮になることだってあるかもしれないと期待していたというのに、それも駄目(だめ)になってしまう>
と、若君のことも源氏の君のこともお(うら)みになる。

内大臣様と源氏の君は、ふだんは仲の良いご関係よ。
でも、政治家としての権力争いということになると、内大臣様の負けん気がむくむくと()き上がるの。
横になっても眠れずにいらっしゃると、老女房のしわがれた声がよみがえる。
大宮(おおみや)様だってご存じですよ。でも、若君も姫君もかわいい孫君(まごぎみ)でいらっしゃいますから、見て見ぬふりをなさっているのです」

<あぁ、腹の立つ>
とお思いになる。
男性的なご性格だから、お怒りを抑えることが難しくていらっしゃるのでしょうね。