野いちご源氏物語 二一 乙女(おとめ)

昇進(しょうしん)祝賀(しゅくが)(かい)がすんでお(ひま)なころ、内大臣(ないだいじん)様は大宮(おおみや)様のところへお顔を見せに行かれた。
時雨(しぐれ)が降る夕暮れ時、風が吹いてしみじみとよい雰囲気よ。
大宮様のお部屋へ姫君(ひめぎみ)をお呼びになって、(こと)琵琶(びわ)をお弾かせになる。

大宮様は、ご身分の高い女性に求められる芸事(げいごと)が何もかもお得意で、姫君にも教えていらっしゃるの。
内大臣様は満足なさる。
「おばあ様によく習っているのですね。大きな琵琶を(かか)えて演奏するのは女性には似合わないのが残念ですが、音色は一番どっしりしていてよいものです。もう今は、本来の音色を響かせられる方は少なくなりました」
とおっしゃって、何人かのお名前をお()げになる。

「女性では、源氏(げんじ)(きみ)大堰(おおい)(がわ)近くに置いておられる人がお上手だそうですね。元地方長官の父親が、由緒(ゆいしょ)正しい弾き方を昔の親王(しんのう)様から教えていただいたとか。それを受け継いでいるらしいと源氏の君がときどき自慢なさいますが、田舎(いなか)で成長した女性がどうしてそこまで弾けるようになったのでしょう。不思議なことです。音楽は上手な人たちと合奏してこそ上達するものでしょうに、ひとりで練習して上手になるなんてめずらしい。母君(ははぎみ)の琵琶もひさしぶりにお聞かせいただけますか」

内大臣様に頼まれて、大宮様は困った顔をなさる。
「年を取りましたから、近ごろは(げん)を押さえることもおぼつかないのですけれど」
とおっしゃりながらも、魅力的にお弾きになった。

内大臣様は大宮様の琵琶を聞きながらお続けになる。
「それにしても、その大堰川の女性というのは幸運な方ですね。源氏の君のたった一人の姫君をお生みになったのですから。しかも心構えもご立派です。意地を張らずに姫君を二条(にじょう)(いん)に差し上げて、高い身分の女性のご養女(ようじょ)になさった。女性が世間から立派だと思われるかどうかは、人柄(ひとがら)次第(しだい)なのでしょうね。
私も弘徽殿(こきでん)女御(にょうご)様をどなたにも負けないようにお育てしたつもりでしたが、まさか他の女御様に負けて中宮(ちゅうぐう)(くらい)(のが)しておしまいになるとは。源氏の君が亡き六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の姫君を後見(こうけん)して入内(じゅだい)させなさるなど思いもよりませんでしたし、その姫君が中宮にお立ちになるなんて」

「次はそなたの番ですよ」
姫君に向かっておっしゃる。
「私の姫は弘徽殿の女御様とそなただけなのだから、こうなったらそなたが、私の夢を叶えてほしい。まもなく東宮(とうぐう)様がご元服(げんぷく)ですから、そなたを真っ先に入内させようと思っているのです。しかし、源氏の君は姫君を入内させてぶつけていらっしゃるでしょうね。きっと勝ち目はないだろう」
とお(なげ)きになる。

大宮様は内大臣様を(はげ)まされる。
「まだ勝負は決まっておりませんよ。あなたの亡き父君は、『我が家の姫が中宮になれないはずがない』と(おお)せでした。それであなたの姫を、わざわざご自分の養女になさった上で入内させなさったのです。当時の太政(だいじょう)大臣(だいじん)の養女という身分で入内なさったのに弘徽殿の女御様が負けておしまいになったのは、その大臣様が中宮選びの前にお亡くなりになってしまったからですよ。もし生きておられたら、いくら源氏の君が後見なさっているとはいえ、斎宮(さいぐう)の女御様などにお負けになるはずはありませんでした」
普段は婿君(むこぎみ)の源氏の君を愛しておられる大宮様だけれど、この件に関してだけは源氏の君を(うら)んでおいでになる。

姫君はおとなしく(そう)を弾いていらっしゃる。
可憐(かれん)でおかわいらしいの。
(ぐし)がお顔にかかるあたりが上品でお美しいのを、内大臣様はじっとご覧になる。
それにお気づきになった姫君は、恥ずかしがって少し顔を(そむ)けてしまわれる。
お手がお人形のようにかわいらしくて、大宮様も愛しくお思いになる。
大切な大切な姫君なの。

内大臣様は和琴(わごん)を引き寄せて、現代風にお弾きになった。
お庭の木々はすっかり葉が落ちている。
大宮様のお部屋には、年老いた女房(にょうぼう)たちがあちこちに(ひか)えている。
「心に()みる夕暮れ時ですね。(こと)のせいというわけではないだろうけれど。もう少し演奏をしましょう」
と内大臣様はおっしゃって、和琴を弾きながらよいお声でお歌いになる。
大宮様は、ご子息(しそく)の内大臣様のことも愛しいとお思いになっている。
そこへ、源氏の君の若君(わかぎみ)がいらっしゃったの。