野いちご源氏物語 二一 乙女(おとめ)

そろそろ(みかど)中宮(ちゅうぐう)を決めなければならない。
たくさんのお(きさき)様たちのなかから、特別なおひとりを選ぶの。
有力な候補(こうほ)は、斎宮(さいぐう)女御(にょうご)様、弘徽殿(こきでん)の女御様、(おう)の女御様よ。

源氏(げんじ)(きみ)は、亡き六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)姫君(ひめぎみ)である斎宮の女御様を推薦(すいせん)なさる。
「帝の母君(ははぎみ)であられる亡き入道(にゅうどう)(みや)様が、ご自分の代わりに帝の後見(こうけん)役にしたいと(おお)せでございましたから」
とおっしゃるけれど、
「入道の宮様につづいて皇族出身の中宮が連続するのはよろしくございませんでしょう」
と反対する貴族もいらっしゃる。
そういう方たちは、右大将(うだいしょう)様の姫君である弘徽殿の女御様を()される。
「どなたよりも最初に入内(じゅだい)なさった方ですから」
と主張なさるけれど、なかなかどちらがふさわしいか決まらない。

一方の王の女御様というのは、入道の宮様の兄宮(あにみや)の姫君よ。
(むらさき)(うえ)父宮(ちちみや)でもあられるこの宮様は、以前は兵部卿(ひょうぶきょう)というお役職でいらしたけれど、今は式部卿(しきぶきょう)におなりになっている。
式部卿の宮様の姫君は、このお三方(さんかた)のなかでは最後に入内なさった。
でも、「帝の亡き母君の兄の娘」というのは、中宮候補として強いわ。
「亡き母君の代わりの後見役というなら、母君の(めい)にあたられる王の女御様がふさわしいのでは」
とおっしゃる方もいる。

結局帝は、斎宮の女御様を中宮にお選びになった。
「亡き六条御息所は、東宮(とうぐう)()のときに東宮様がお亡くなりになって頼りない未亡人(みぼうじん)になってしまわれたけれど、姫君はそんな母君の分もご幸運でいらっしゃる」
と世間は驚いていた。